本名で呼ばないで
紬を追う匿名アカウントは、彼女を「つむちゃん」と呼んだ。
その呼び方を知るのは、学生時代の友人だけだという。投稿は〈返して〉〈逃げても分かる〉と続き、金額らしい数字まで書かれた。
紬は以前から、昔の知人に執着されやすかった。連絡先を変えるたび「また見つかった」と私の部屋へ逃げてきた。私は頼られることが嬉しく、事情を詳しく聞かないのが友情だと思っていた。
「怖い。でも証拠が要るから、ブロックしないで」
私は紬を守るため、連絡窓口になった。新しい携帯を契約し、部屋探しにも付き添った。身分証を忘れたというので、内見の受付では私のものを貸した。携帯の名義も一時的に私にした。紬は「華の名前なら安心」と、免許証を写真に撮った。
匿名アカウントから私にも連絡が来た。
〈あなたの名前で借りています〉
〈写真と声を確認してください〉
嫌がらせは巧妙になっている。私は開かず削除した。紬はなぜか、届いた時刻と件数だけを細かく尋ねた。本文を見せようとすると「怖いから読めない」と顔を背けるのに、添付ファイルが何枚あったかは必ず確認した。
新居が決まり、契約日に不動産会社へ行くと、担当者が私の免許証を長く見た。
「以前も同じお名前でお申し込みがあります」
別の県で、家賃を滞納しているという。携帯電話、消費者金融、フリマアプリにも同じ名義があった。本人確認の写真は、髪型を変えた紬だった。
問い詰めると、彼女は泣いた。
「華なら助けてくれると思った。私の本名はもう使えないの」
匿名アカウントは、紬に金を貸した女性のものだった。ほかにも同じ被害を訴える匿名名義がいくつもあり、互いに次の身分証写真を探していた。追っていたのは住所ではなく、次に使われる名前だった。
私は契約を中止し、警察へ行くと言った。紬は「友達なのに」と、初めて私を本名で呼んだ。
帰宅後、契約書の控えを開いた。借主欄には私の名前があり、その下に見慣れない筆跡の署名があった。
それは、私が書いていない私の名前だった。