本部からの百十番

朝比奈澄人警視は、県警本部から県警本部へかかった一一〇番を聞いていた。

発信者は月岡渡。三十年、暴力団と警察の間で名前を売り続けた老情報屋だった。昨夜二時十六分、月岡はかすれた声で言った。

――事件です。県警本部の中で、人が一人消されます。

受理員が場所を問う。

――記録庫、地下二階。消されるのは俺の名前だ。名簿から抜いて、最初からいなかったことにする。

背後で本部庁舎のエレベーター到着音が鳴り、紙を裁断する機械音が続いた。

――俺が売った名前で、あんたたちは表彰された。最後に買ってくれ。誰が俺をここへ入れたか、入館記録を見るんだ。

通話は警報音とともに切れた。記録上、発信元は「回線試験端末」。当直責任者はシステムテストとして処理し、警ら出動を行わなかった。月岡の協力者台帳も、今朝には存在しなくなっていた。

通信指令部長は澄人の前で腕を組んだ。

「月岡は本部へ入っていない。外から庁舎音を流したいたずらだ」

澄人は電話交換機の生ログを表示した。通報は外線ではなく、地下二階記録庫の非常試験ジャックから発信されている。ジャックを有効化した職員証は警察本部長秘書室名義。さらに入館記録には、月岡の顔写真と一致する来庁者が「庁舎設備業者」として登録されていた。

「秘書室のカードは共用だ」と部長は言った。「生ログは保安機密だ。外へ渡せば本部通信網が裸になる」

「記録庫の防犯映像は?」

「定期点検で停止していた」

「裁断機の使用記録は午前二時十八分。協力者台帳百四十七冊分です」

部長の声が低くなった。

「表に出せば、月岡から得た過去三十年の事件が争われる。本部長だけではない。退職した刑事、検察、裁判まで巻き込む。警察を守る立場のお前が、それをするのか」

澄人は月岡の最後の言葉を再生した。

――警察を守るってのは、警察に売られた奴を黙らせることか。

月岡の所在は分からない。逮捕すべき者も、まだ一人に絞れない。あるのは、本部の内側から助けを求めた通話と、それを試験に変えた記録だけだった。

澄人は交換機の生ログを追記不能媒体へ複製し、協力者台帳削除の監査記録と束ねた。提出先から県警本部を外し、地方検察庁と公安委員会を選ぶ。

通信指令部長が電源ケーブルへ手を伸ばした瞬間、澄人は送信を確定した。