校章をほどく夜

古見川縁は、翌週から通う夜間の服飾学校へ持っていく布を探し、入学案内を床へ広げた。平日の仕事のあとに三時間学ぶ予定で、続けられる自信はまだない。押入れから高校のブレザーを出した。胸の校章に触れると、裏地の内側で小さな結び目が指に当たった。緑色の糸だった。

手芸部最後の活動は、卒業生の作品展示ではなく、寄付された制服を直すことだった。袖口のほつれ、取れたボタン、ほどけた裾。春から誰かが着る服を、三年生が一着ずつ受け持った。

縁の担当は、右袖が大きく裂けたブレザーだった。表から縫い目が見えないよう、裏地を開き、同じ色の糸で細かくすくう。三年間でいちばん地味な作業だった。

縁は服飾の専門学校へ行きたかった。けれど家族に反対され、卒業後は事務職に就くことが決まっていた。最後の作品さえ自分の名前を残せないことが、ひどく悔しかった。

直し終えた袖の内側へ、緑の糸で一針だけ結び目をつくった。外からは見えない、小さな署名だった。

顧問は気づいたが、ほどかなかった。

「着る人の肌に当たらない場所なら」

制服は段ボールへ入り、誰の手に渡ったか知らない。縁は自分のブレザーにも同じ緑の結び目を縫い、忘れない印にした。

就職して六年、ブレザーは形を崩さないまま残った。夢を捨てていない証拠のつもりだったが、見るたび、何も始めなかった時間まで吊るされているように感じた。

今夜、学校からは「課題用の布を持参」と連絡が来ている。縁は裁ちばさみを開き、校章の周囲へ刃を入れた。

厚い布が、ざくりと鳴る。

一度目は手が震えた。二度目からは、線に沿って切れた。校章を避けずに外し、袖、背中、ポケットを一枚の布へほどいていく。

緑の結び目だけは切らず、裏地ごと残した。

翌朝、その布は未完成の鞄になっていた。持ち手は左右で少し長さが違い、縫い直した跡も表に出ていた。校章は内ポケットに縫いつけ、外からは見えない。縁は型紙と教科書を入れ、肩へ掛ける。

制服はもう、戻るための形ではなかった。

歩くたび、内側の校章が新しい布に触れた。