梁が言った次

築百年の家を壊す前夜、家族は最後の食事をした。

祖父母、両親、子どもたち。

祝いも葬式も、この座敷で行った。

雨漏りと傾きがひどく、修理より建て替えの方が安い。

誰も反対しなかったが、誰も先に帰ろうとしなかった。

昔から、この家には一つだけ言い伝えがある。

家中の灯りを最後に消した人へ、大黒柱の梁が一言だけ話す。

祖父が子どもの頃に聞いた言葉は「遊べ」。

母が嫁いできた夜は「眠れ」。

父が会社を辞めた日は「食え」だった。

梁は人生で一度しか同じ人に話さない。

解体前夜、皆が玄関へ出た。

最後に家を閉める役を、最年長の祖父へ譲ろうとした。

祖父は首を振った。

「この家の次をいちばん長く見る人が消せばいい」

小学生の末の子が、一人で座敷へ戻った。

仏間、台所、廊下。

灯りを順番に消す。

暗い家は怖かったが、家族の声が玄関から聞こえている。

最後の座敷灯へ手を伸ばし、

「さよなら」

と小さく言った。

スイッチを押す。

暗闇の梁が、低く軋んだ。

「次」

末の子は走って外へ出た。

「次って言った」

家族は顔を見合わせた。

「次の家ってことかな」

「次はお前たちが守れってことか」

「次に進め、じゃない?」

誰にも分からなかった。

翌朝、家は解体された。

柱や梁の一部は古材として売る予定だったが、末の子は「次」と言った梁だけを残してほしいと頼んだ。

新しい家へそのまま入れるには大きすぎた。

職人は梁を三つに切った。

一つは新居の玄関ベンチ。

一つは町の図書室の長机。

最後の一つは、小学校の劇で使う舞台の板になった。

祖父は、切れば家霊が死ぬのではと心配した。

けれど玄関ベンチで子どもが靴を履き、図書室で誰かが宿題をし、舞台で新しい物語が始まるたび、古い木は小さく鳴った。

末の子が大人になり、家を出る日が来た。

玄関ベンチへ座り、靴紐を結ぶ。

家族は「いつでも帰れ」と言った。

本人はうなずき、古い木を掌で撫でた。

梁はもう言葉を話さない。

一人に一度という決まりだった。

それでも木目の中に、あの一言が残っている。

家の次は、別の家だけではない。

次の席、次の読者、次の舞台、次に出ていく人。

長く住んだ場所を失うことは、そこにあった時間まで終わらせることではなかった。

玄関の扉が閉じると、古い木が、行ってらっしゃいの代わりに一度だけ軋んだ。