氷は朝に完成する
冬木晴臣は、誰もいない午前四時のリンクで氷を削った。
製氷車を走らせる前に膝をつき、表面へ掌を置く。客席側と機械室側で冷え方が違えば、水の量を変えた。選手の刃跡を見れば、氷の下を流れる冷媒の偏りまで分かった。
アリーナ支配人の高城賢吾は、その作業を過剰だと決めた。
「水を凍らせて磨くだけだ。毎朝三時間も残業する給料泥棒は要らない」
国際選手権の開催が決まった直後、晴臣は解雇された。高城は自動製氷の標準設定へ切り替えた。
大会前の公開練習で、選手が同じ場所で何度もつまずいた。冷媒管の一系統が弱り、客席側の氷だけ一度高かった。表示温度は平均値しか示さず、高城は予定どおり開幕させた。
初日の第二試合、深い轍に刃を取られた選手が転倒した。けがは軽かったが、審判団はリンクを不適格と判定した。氷面には削れた雪が筋になって残り、全試合は中断。生中継には、溶けた氷を測る係員と空になった客席が映った。
高城は製氷機メーカーへ責任を押しつけた。しかし保守記録には、晴臣が半年前から冷媒の偏りを警告し、配管交換を申請していたことが残っていた。
晴臣は隣町の古いアリーナへ移っていた。設備は旧式だったが、館長は彼の申請を一枚ずつ読み、必要な配管交換を開館前に終えた。晴臣は冷媒管を区画ごとに調整し、削った氷の重さから翌朝の水量を決めた。
選手権の代替会場を探す連盟が、抜き打ち試験に来た。
晴臣の氷は、開始から四時間後も硬さの差がほとんどなかった。試走した選手は最高速度を更新し、「刃が最後まで同じ音をする」と言った。
連盟の緊急会議で、高城は修理すれば次戦から戻せると主張した。
競技委員長は会場変更通知を掲げた。
「私たちは建物へ大会を預けたのではありません。氷を朝までに完成させる人へ預けていたのです」
残り全試合と次年度三大会の開催地が、晴臣のアリーナに確定した。
晴臣がリンク入口の扉を開けた瞬間、高城の巨大スクリーンから大会ロゴが消えた。