滑る銅貨で城門を回す
「銅貨一枚ぶんを一呼吸だけ滑らせる? 転ばせるにも狭すぎる」
河川砦の技能検査で、テムジアは無能と判定された。
【魔法:《無摩擦》――触れた面の銅貨大の一か所から、一呼吸だけ摩擦をなくす】
広い床には効かず、動かす力も生まれない。テムジアは砦の歯車油を差す係へ回された。
油を差すたび、彼女は歯車が重いから止まるのではなく、接触する一点で力を失うと学んだ。百の歯があっても、固着している場所は一つだった。
春の雪解けで、上流湖の堰が破れた。
濁流を王都から逸らすには、河川砦の巨大な分水門を回さなければならない。ところが百年動かなかった回転軸は錆び、兵二百人が綱を引いても一寸も動かない。
辺境王ザクレオンは火術で軸を焼いた。金属は膨らみ、かえって固く噛み合った。水は砦の外壁まで上がり、あと十息で操作室そのものが沈む。
テムジアは毎日、歯車の油穴を掃除していた。
動かない原因は軸全体ではない。回転を止める青銅の制動靴が、錆で一か所だけ軸へ焼きついている。接触面は山ほどの重さを受けていても、実際に固着している中心は銅貨ほどだった。
「滑らせても、門を押す力はないぞ」
ザクレオンが言う。
「力なら、もう門の向こうに来ています」
テムジアは水の轟音を指した。
彼女は制動靴へ腕を差し込み、錆びた中心へ指を当てる。
《無摩擦》。
一呼吸だけ、青銅と鉄の間から抵抗が消えた。
門を押していた濁流の力が、初めて回転軸へ伝わる。巨大歯車が一歯動き、そこから次の歯へ勢いが移った。制動靴が再び摩擦を取り戻したときには、軸はもう回転している。
分水門が開き、濁流は王都ではなく、空の旧河道へ曲がった。砦の兵は綱を放し、泥水が遠ざかる音を聞いた。
検査官が「水が門を開けただけ」と言う。
ザクレオンは油差しを取り上げ、その男の検査帽へ逆さに差した。
「王も兵も、すでにある力を増やそうとした」
辺境王は分水門の鉄鍵をテムジアへ渡す。
「力を邪魔する銅貨一枚を消せる者こそ、この砦の機巧長だ」