灯りを消す順番

 若葉は、引っ越し前夜の部屋で灯りを消す順番を考えていた。

 台所、浴室、廊下、寝室。家具のほとんどは運び出され、音が壁へよく響く。最後の段ボールが一つ、ベランダの窓際に置かれていた。

 午前一時、若葉は台所の照明を消した。

 冷蔵庫は空でも低く鳴っている。浴室の換気扇は一定の速さで回り、外では雨上がりの室外機から雫が落ちた。

 ぽつん。

 間を置いて、ぽつん。

 廊下の照明を消す。

 部屋の奥が暗くなり、向かいのマンションの窓がよく見えた。白い窓、黄色い窓、青いテレビの窓。三年間、名前も知らない人たちの明かりを、若葉はカーテン越しに見てきた。

 一つの窓が消える。

 少しして、別の窓が消える。

 上の階では、人影がベランダへ出てタオルを取り込み、ガラス戸を閉めた。下の階では誰かが鉢植えを内側へ寄せ、照明を消した。

 誰も若葉の引っ越しを知らない。明日この窓が暗いままでも、気づく人はいないだろう。

 それは寂しいことのようで、同時に少しだけ自由だった。

 寝室の照明を消す。

 残ったのはベランダの小さな灯りだけ。濡れた床が白く照らされ、室外機の丸い影が壁へ映っている。雫はまだ、ぽつん、ぽつん、と落ちていた。

 若葉は窓を開け、空のベランダへ出た。

 ここで洗濯物を干し、熱のある夜に座り、電話を切ったあと泣いたこともある。どの夜も一人だったわけではなく、どの夜も誰かと一緒だったわけでもない。ただ、そのときの自分がここにいた。

 向かいの最後の一室で、カーテンが揺れた。手だけが伸び、窓辺の小さなスタンドを消す。

 建物が一段暗くなる。

 若葉もベランダのスイッチを押した。

 暗闇の中で、雨の雫と換気扇の回転だけが残る。怖くはなかった。何も見えないからこそ、明日持っていかないものまで数えなくて済んだ。

 空になった壁へ換気扇の音が丸く返り、前より遠く聞こえた。若葉は最後の段ボールの側面を撫でる。中身は明日持っていくものだけで、今夜を満たすためのものではない。向かいの暗い窓も、そのままで何も欠けて見えなかった。

 窓を閉め、空の部屋へ戻る。鍵をかけ、段ボールを枕代わりにして横になった。

 誰も待っていない部屋は、今夜だけなら、静かな寝床だった。