白鞘に名はない

暁城の裏門で、長峰周蔵と萩江新八は白鞘の刀を向け合った。

鞘に紋はない。浪人を一夜だけ雇うための貸刀で、明朝の突撃が終われば持ち主ごと戻らない。敵は三重の柵を築き、城の食料は今夜で尽きる。最後尾は退く味方を通した後、自分で裏門を閉じる。外から閂は掛けられない。雇われる一人は、門の内側へ残ることまで給金に含まれていた。

城に残る扶持は一人分だった。勝者は最後尾を守り、敗者は銀三枚を受け取って城を去る。

「銀は妹へ送れ」

周蔵が言った。

「自分で送れ」

新八が答えた。

周蔵には帰る家がない。新八には病んだ妹がいる。二人は三冬、同じ長屋で炭を分けた。新八が熱を出した夜は周蔵が薬を盗み、周蔵が賭場で斬られた夜は新八が背負って逃げた。だから事情を知らない振りだけは、互いにできなかった。新八は銀三枚で妹が春まで薬を買えると知っていた。周蔵も同じ薬屋の値札を知っていた。だから二人とも、相手を負かす理由があった。

判定は刀を落とすか、膝をつくまで。殺す必要はない。だが明日死ぬ男を決める勝負に、手加減という言葉は似合わなかった。

太鼓が一度鳴る。

新八は速かった。白鞘から半ば刃が出る。周蔵はまだ柄へ手を置いたまま動かない。

次の瞬間、周蔵は刀ごと前へ投げた。

新八の目が白い軌道を追う。鞘に入ったままの刀が胸へ来ると思い、刃で払い上げた。

だが飛んだのは鞘だけだった。

周蔵は最初から、鯉口の内側で刃を抜き、左袖に沿わせて隠していた。白鞘は刀の姿をした囮だった。

新八の刃が軽い木鞘を弾き、頭上へ流れる。周蔵は懐へ入り、裸の刃の棟で新八の手首を打った。刀が石畳へ落ちる。

周蔵の切っ先は、新八の胸へ触れていた。

「侍の勝ち方ではない」

新八が言った。

「侍なら、主を選べた」

周蔵は答えた。

白鞘が地を転がり、泥水を吸った。何の紋もない木は、誰の名も守らない。その代わり、一人分の命を間違えずに選んだ。

城代は銀三枚を新八へ投げた。周蔵には、新しい白鉢巻だけを渡した。

新八は銀を握り、何も言わず背を向けた。周蔵も見送らなかった。

夜が薄くなるころ、最後尾を入れる裏門が開いた。