看板を寝かせない
風間美澄は、一葉写真室の壁から外されたガラス看板を見に来た。金色の文字で店名が描かれ、上部に吊り下げ用の鎖がついている。
写真室は月末で閉じる。美澄は閉店品の案内を見つけ、看板だけ譲ってほしいと連絡した。子どものころ、入学式のたびにここで撮ってもらったから、部屋に飾れば記念になると思ったのだ。
今の美澄は通販会社で商品写真を撮っている。白い背景、決められた角度、決められた明るさ。一日に何十点も撮り、画像処理まで終えれば仕事は正確に片づく。その一方、休日に人物を撮るための小さな部屋を借りようと、半年も物件を探していた。候補は一つある。申込期限は今日だが、家賃を払える自信がなく、断るつもりでいた。
店主は看板をカウンターへ置き、柔らかい布でガラスを拭いた。文字の一部は剥げ、鎖にも錆がある。美澄が「きれいに包んでください」と頼むと、店主は大きな段ボールを用意した。
けれど全面を覆う前に、四隅へ厚紙を当て、ガラス面だけ薄紙で守った。鎖は包みの外へ出したまま、二本をそろえて結ぶ。持ち上げると、看板は箱の中に寝ず、鎖から垂直に下がった。
「横にしたほうが、運びやすくないですか」
店主は床置き用の箱と、吊った状態の包みを秤へ順に載せた。送料はほとんど変わらない。注文票の〈展示用〉へ丸をつけ、〈保管用〉は空欄にした。どちらにするか、美澄へペンを渡す。
美澄は看板の向こうに、かつての撮影室を見た。背景布は外され、床には椅子の脚の跡だけがある。店が終わることと、ここで撮られた写真が無意味になることは違う。看板も、思い出として眠らせる以外の使い方ができる。
「展示用でお願いします」
店主は丸を濃くし、会計の領収書へ〈ガラス看板 一点〉と打った。値引きはしなかった。その代わり、剥げた文字を塗り直さず、鎖へ新しい留め具だけをつけた。古さではなく、もう一度掛けられる状態に整えたのだ。
美澄は店の隅で物件サイトを開いた。候補の部屋は四階、エレベーターなし、自然光は午後だけ。それでも壁に、この看板を掛けられる梁がある。
申込フォームの用途欄へ〈週末の人物写真室〉と入力し、送信した。店名は一葉を引き継がない。看板の下へ、自分の名を書いた小さな札を足すつもりだった。
持ち上げると、鎖が短く鳴った。
記念品は、壁へ掛けた瞬間から、営業の道具になる。