秘密は豆を挽く音にまぎれて
早瀬依都は、雑誌記者を名乗ってカフェ〈木霊〉を訪ねた。
「秘密を見抜くバリスタがいると聞きました。取材させてください」
カウンターの漣征士は、右手首に赤い糸を三重に巻き、豆を挽いている間は決して話さない。グラインダーが止まると、低い声で言った。
「秘密は、注文に混ざります」
依都はメモ帳を開き、蜂蜜を二滴、塩をひとつまみ入れたカフェオレを頼んだ。五年前に家を出た姉、早瀬未弦が好んだ飲み方だった。残された手帳の最後のページに、この店の名と注文だけが書かれていた。
姉は成人しており、事件性はないとされた。家族には『一人で暮らす』と短い連絡が一度届き、それきりだった。依都は姉が無事かだけでも知りたかった。
征士は蜂蜜を二滴落とし、塩を加えずにカップを置いた。
「注文が違います」
「塩は、本人しか入れません」
依都のペンが止まった。
「姉を知ってるんですね」
「記者ではないことは知っています」
「どうして」
「取材する人は、録音より先に同じ飲み物を頼まない」
征士はまた豆を挽いた。轟音の中で、依都は姉の名前を何度も口にした。音に消され、本人にも届かない気がした。
「居場所を教えてください」
音が止まる。
「できません」
「家族です」
「だから、です」
冷たい答えだった。依都は立ち上がりかけた。征士は赤い糸を一本ほどき、棚の奥にある小さな豆缶へ結びつけた。缶には日付だけが書かれている。三週間前だった。
中から一枚の絵葉書を出す。海辺の町の写真だが、消印と住所は黒い紙で隠されている。裏には姉の字で、『元気です。まだ帰れません』とあった。
「これだけ?」
「無事だと伝える許可だけ、もらっています」
「帰れない理由は?」
「それは彼女の秘密です」
依都は腹が立った。家族がどれほど心配したか、姉だけが自由を選び、自分たちは待たされたことを訴えた。
征士は反論せず、塩の小瓶を依都へ渡した。
「入れるかは、自分で決めてください」
依都が一つまみ加えると、甘いカフェオレの輪郭がはっきりした。姉と同じ味なのに、同じ気持ちにはならなかった。
「姉は、私のせいで帰れないんでしょうか」
「その質問をすると思っていた、と預かっています」
豆缶の底に、さらに折った紙があった。
『依都へ。あなたのせいではない。探させてごめん。いつか私から話す。』
短い言葉を読んだだけで、五年分の不安が消えるわけではなかった。それでも、自分が原因ではないという一行は、息をする場所を作った。
「秘密は豆を挽く音にまぎれるって、自分の答えも音で隠してるだけじゃないですか」
依都が言うと、征士はグラインダーの電源を抜いた。店内が、耳の奥まで静かになる。
「では、今度は隠しません」
赤い糸を巻き直し、依都をまっすぐ見た。
「未弦さんは生きています。そして、あなたへの手紙を一通ずつ、この店に預けるつもりです」
征士は空になった豆缶へ、新しい日付札を貼った。
「次の一杯は、来月です。秘密は注文に混ざりますが、受け取るかどうかは、あなたが決めてください」