空いた棚を拭く
透佳が最後の箱を閉じたとき、玄関に碧生が来た。
碧生は元恋人の妹だった。兄の荷物を受け取るため、遠方から一人で車を運転してきた。
二人は親しくない。付き合っていた六年間、会ったのは三度だけだ。
「兄から、全部持って帰れって」
碧生は謝らなかった。透佳も、兄の悪口を言わなかった。
本、服、キャンプ道具、使いかけの香水。箱にはすべて中身を書いてある。
碧生は、兄が片づけに来るべきだと言った。
透佳は、もう部屋へ入れたくないから自分で詰めたと言った。
「甘やかしてる」
「守ってるのは私の生活」
「でも、あの人は自分で困らない」
「困らせるために別れたんじゃない」
二人は兄への評価も、別れの意味も違った。
それでも荷物は運ばなければならない。
碧生が重いキャンプ箱を持ち、透佳が底を支えた。階段を三往復する。碧生は車の荷室へ隙間なく積み、透佳は箱の数を伝票と照合した。
最後に、棚の奥から小さな木箱が出てきた。中には、元恋人が母親からもらった腕時計が入っている。
「これ、探してた」
碧生の声が初めて揺れた。
「見つけたのは今」
「返さず捨ててもよかったのに」
「私の物じゃないから」
透佳はそう言い、碧生は「ありがとう」ではなく、木箱を両手で受け取った。
車のドアを閉める前、碧生が兄から預かった封筒を差し出した。手紙だと言う。
「いらない」
「読まなくても、受け取って」
「受け取ったら、捨てる仕事が増える」
碧生は少し考え、封筒を自分の鞄へ戻した。
「分かった。これは私が持って帰る」
荷物がなくなった部屋には、背の高い棚だけが残った。元恋人の本で埋まっていた六段が、全部空いている。
碧生は帰りかけてから、雑巾を一枚借りた。
「積んだ箱、埃だらけだったから」
透佳ももう一枚濡らした。
二人は棚を上段と下段に分けて拭いた。碧生は角まで何度もこすり、透佳は一度で十分だと言う。方法は最後まで合わない。
それでも中央の三段目で手が近づき、二人は同時に止まった。
碧生が先に雑巾を引き、透佳が残った一本の埃を拭き取る。
「兄のこと、嫌いになっていいよ」
碧生が言った。
透佳は首を振った。
「決めるのは、片づけが終わってから」
碧生は納得していない顔で頷いた。
車が出たあと、透佳は空いた棚へ何も置かなかった。
ただ、乾くように窓を開けた。