空の金庫が一番高い

古美術商・薬袋章吾の死後、親族は巨大な金庫の前へ集まった。

「祖父さんは“店で一番高い宝を金庫へ入れた”と言っていた」と孫の紅実。

叔父は金庫を撫でた。

「翡翠の龍だ。市場に出れば二億」

叔母は首を振る。

「幻の茶碗よ」

「茶碗を二億の龍と同じ棚に置く?」

「値段は大きさではない」

「なら金庫ごと私が相続する」

「中身を確認する前に容器を取るな」

暗証番号をめぐっても争いになった。

「祖父の誕生日」

「店の創業日」

「初恋の人の誕生日かも」

「なぜ知ってるの」

「聞いた」

「祖母がいる前で?」

「祖母から聞いた」

「情報源が一番怖い!」

鍵師が呼ばれ、親族は開扉の瞬間を三台のカメラで撮影した。

「中身へ最初に触れた者が所有者、は無効だからね」

「私は手袋をしている」

「準備してる時点で狙ってる」

「文化財保護だ」

「ポケットに緩衝材を入れるな!」

重い扉が開いた。

中は空だった。

叔父は底板を叩き、叔母は壁面へ磁石を当て、紅実は懐中電灯で鍵穴までのぞいた。

「隠し扉がある」

「何もないことを認めたくないだけでしょう」

「空間そのものが暗号かも」

「空気を三等分する?」

「祖父の吸った空気なら記念品になる」

「瓶詰めする気?」

一同は数秒黙り、次の瞬間、互いを指さした。

「先に抜いたでしょう!」

「昨日、店へ来たのは叔父さんだ」

「線香をあげに来た」

「線香箱に翡翠が入る?」

「龍が折り畳み式なら」

「二億の龍を携帯仕様にするな!」

警察を呼ぶ、監視映像を見る、全員の家を捜すと騒いでいると、遅れて古金庫の研究家が到着した。

彼は空の内部を見て、息をのんだ。

「現存三台しかない、明治期の佐伯式耐火金庫です。改造されず内部も完全。素晴らしい」

紅実が尋ねた。

「中身は盗まれたんですよ」

「中身を入れると湿気で傷むので、章吾さんは空のまま保存していました」

「では“一番高い宝”は?」

研究家は金庫そのものを指した。

「これです。推定評価額、三千万円」

親族は同時に扉へ手を伸ばした。

金庫は重さ一・八トン。

一ミリも動かなかった。