空封の旗

野火止甚内が運ぶ密書には、墨が一滴もなかった。

白紙を八度折り、封筒へ入れただけだ。折り目を城の古地図へ重ねると、線が西櫓、火薬蔵、内門を結ぶ。三つの交点は、敵へ寝返った番頭たちの持ち場だった。文章は拷問で読まれる。折り目なら、ただの皺として捨てられる。

甚内は薪売りに化け、敵が占領した伏波城の大手門へ荷車を押した。城内には、厩番として残った味方の柊木頼母がいる。紙を渡せれば、夜明けの奪還軍へ内側から旗を出せる。

関所で秋暮内膳が封を切った。

白紙を広げ、裏返し、火へかざす。蜜文字も炙り文字も出ない。水を垂らし、爪で表面を剥いだが、薄紙も挟まっていない。

「何もない」

「母の遺言です」

「字がない」

「字を知らぬ女でした」

内膳は紙を机へ押し広げた。折り目が掌の下で白く潰れる。甚内は見ないようにした。見れば価値を教える。

「白紙なら、捨ててもよいな」

火鉢へ持っていく。

甚内は荷車の縄だけを見た。

「お好きに。母はもう一度も死にません」

内膳の手が止まった。脅えて取り返そうとしない男から、大事な物を燃やしても面白くない。彼は紙を甚内の顔へ投げた。

「薪代から紙一枚ぶん引け」

門役が笑った。甚内は紙を拾い、折り直さず胸へ入れた。折り目は一度平らにされても消えない。骨と同じだった。

身体を探られた時、右手の薬指を踏まれた。骨が鳴った。内膳は母の遺言にしては平然としすぎると言い、痛みで顔が変わるか見たかったらしい。

「今度は泣いたな」

「母より指の方が新しいので」

甚内は荷車を押して門をくぐった。

厩の裏で頼母は白紙を受け取った。紙は濡れ、血が一滴ついていたが、八本の折り目は残っている。古地図へ重ね、交点へ黒豆を置いた。

「西櫓、火薬蔵、内門。三人とも今夜の交代で持ち場を離れる」

「外は子の刻に来る」

「おまえは戻るか」

甚内は腫れた指を帯へ挟んだ。

「門を二度通るほど、同じ顔は安くない」

頼母は紙の角を撫でた。最後の折りだけ、左の爪で強く押されている。甚内の母が城の廊下を紙へ写す時の癖だった。死んだ間者の手が、十年後の城内をまだ歩いている。

外堀の闇で、奪還軍の松明が一つ消えた。

頼母が櫓番へ命じた。

「無紋の白を上げろ」

伏波城の西櫓に、白旗が真っ直ぐ立った。