竜神に返された火
千年に一度、竜神ルヴァシアは人の国へ火を下す。
祝福と呼ばれているが、実際には選別だった。炎に耐えた土地だけを残し、弱い村も病人も記録ごと焼く。
今年、竜神を迎える祭壇に立ったのは、名もない辺境村の女アマルナだった。彼女は空の陶器椀を両手で捧げている。
「供物はどこだ」と竜神が問う。
「ここに。あなたの火を入れてください」
神官たちが笑う。炎を椀で受けるなど、幼子の冗談にもならない。
ルヴァシアは退屈を紛らわせるように、赤い神火を吐いた。祭壇の柱が溶け、周囲の田畑が一瞬で灰色になる。炎は女と椀を完全に呑み込んだ。
竜神は背を向ける前に、微かな音を聞いた。
陶器の縁を指が撫でる、乾いた音だった。
煙が晴れる。アマルナは同じ姿勢で椀を捧げていた。髪も粗末な服も焼けず、素焼きの器にひび一つない。さらに、彼女の背後の村だけは稲穂の色まで変わっていなかった。
「誰の加護だ」
「誰のものでもありません」
竜神は周囲を見下ろした。女の背後では村だけでなく、逃げ込んだ旅人も、巣を持つ鳥も無傷だった。椀を持つ腕は細い。それでも守りの境界は、竜神の視界より遠くまで伸びている。
「神に嘘をつくか」
竜神の逆鱗が開く。二度目は、世界がまだ海だった頃に大陸を焼き固めた《始原火》。空が白く裏返り、神官たちは結界の中で意識を失った。
火が去る。
アマルナは椀を捧げたまま、同じ場所にいた。器の底には、消えずに丸く収まった始原火が一滴だけ揺れている。
そのときルヴァシアは、女の顔を思い出した。
千年前の選別にもいた。二千年前にも、焼けた村の入口で同じ目をしていた。毎回死に、毎回立ち上がり、炎への耐性を積み重ねてきた人間。名が変わっても魂の傷は同じだった。
「私たちは弱かったから焼かれた。でも焼かれるたび、私はあなたの火を覚えた」
アマルナは椀を少し差し出す。
「もう十分です。千年分、まとめてお返しします」
器の中の一滴から、これまで竜神が地上へ落とした炎すべての気配が立ち上がる。ルヴァシアの鱗が初めて冷え、背後の神官たちが息を呑んだ。
空の支配者である竜神は、陶器椀を捧げる女から一歩退いた。