聖女が倒れた一秒前
王位継承夜会の最高潮、聖女アメリアがコーデリアと目を合わせた瞬間、胸を押さえて倒れた。
脈は止まり、唇は青い。聖女付きの司祭が蘇生の祈りを唱えると、彼女は数秒後に息を吹き返し、震える指をコーデリアへ向けた。
「邪眼です。私の心臓を止めました」
王太子アレクシスは客席の前へ進み出た。
「聖女の命を狙った悪女を妃にはできない。グランツ公爵令嬢との婚約を破棄し、国外追放を命ずる」
拍手すら起こりかけた。コーデリアは幼い日から支えた王太子を見たが、彼の目には勝利しかない。悲しみは確かにあった。けれど、その感情に人生の決定権まで渡すつもりはなかった。
「帝国皇太子コンラート殿下。《時環鏡》をお借りします」
国賓席から立ったコンラートは、懐中時計ほどの鏡を一つ掲げた。時環鏡は、直前十秒に発生した魔力の順序を、一度だけ逆再生する帝国の司法具である。
鏡の中で、アメリアが倒れた場面が巻き戻る。
一秒前。彼女の袖の下で腕輪が光り、自分の心臓を五秒停止させる聖術が発動した。
二秒前。コーデリアはまだ壁の紋章を見ている。
三秒前。アメリアが自ら彼女の名を呼び、振り向かせていた。
魔力の発生源として示されたのは、聖女の腕輪ただ一つだった。
「邪眼は記録されていない。倒れる一秒前に、聖女自身が心停止術を使っている」
コンラートは鏡を閉じた。高位者の権威ではなく、十秒の順序だけが告発を崩した。
アメリアは腕輪を隠し、アレクシスはすぐに声音を変える。
「聖女は王国の未来を案じ、君の覚悟を試したのだ。追放も婚約破棄も撤回する。コーデリア、王太子妃の席へ戻れ」
「その席へ座れば、次に誰かが倒れるたび、私は疑われます」
コーデリアは胸元の婚約章を外し、王太子の足元へ置いた。
「殿下が今夜選んだのは私ではなく、都合のよい物語です。私はもう、その悪役を演じません」
コンラートが帝国の外交章を掌に載せ、手を差し出した。
「穀物協定を書いた匿名の交渉官を、帝国は探していました。妃としてではなく、あなた自身の名で国境を越えませんか」
コーデリアは王座にも元婚約者にも背を向け、自分で選んだ未来へ踏み出し、コンラートの手を取った。