聖獣を傷つけたのは神殿だった

大聖堂の扉を、白い巨熊が内側から打ち破った。

世界樹の根を守る天蓋熊。百年眠り、災厄の前にだけ目覚める聖獣だ。祭司たちは民衆の前で叫んだ。

「獣が堕ちた! 神殿を襲う災厄だ!」

天蓋熊の咆哮に鐘が割れ、騎士たちは聖槍を並べる。

床掃除係のノアは、熊の首から垂れる金色の鎖を見た。毛の奥に十二本の聖釘が打ち込まれ、鎖へ繋がっている。熊が暴れるたび釘が皮膚を裂き、白毛を赤く染めていた。

「堕ちたんじゃない。あなたたちが縛ったんだ」

ノアの声に、大祭司の顔が歪む。

「祝福を持たぬ下働きが口を挟むな!」

祝福がないからこそ、ノアには聖光に隠された血が見えた。

彼は掃除用の長柄を捨て、熊の前へ歩いた。天蓋熊が前脚を振るい、石床が砕ける。破片が頬を切ったが、ノアは止まらない。

「十二本。全部抜く。痛ければ俺を転がしていい」

熊の金眼が彼を捉えた。

ノアは膝をつき、掌を上にして待つ。やがて巨大な鼻が手の匂いを嗅ぎ、首がほんの少し下がった。

聖釘は返し付きだった。力任せには抜けない。

ノアは清掃道具の薄いへらを釘の脇へ差し、傷口を広げない角度を探った。一本抜くたび熊が吠え、大聖堂の窓が震える。騎士はそれを攻撃の兆しと見たが、ノアには痛みを吐き出す声だと分かった。

三本、六本、九本。

血で滑る指を衣服で拭き、最後の一本を抜く。金の鎖が音を立てて落ちた。

天蓋熊はその場に崩れた。

ノアは大きな傷を聖水ではなく、井戸から汲んだ普通の水で洗う。香の強い神殿薬を避け、無臭の軟膏を塗り、自分の寝具を裂いて首へ巻いた。

熊は差し出された蜂蜜水を飲み干し、長い舌でノアの傷ついた頬を一度舐めた。

大祭司が叫ぶ。

「そいつは災厄を呼ぶ! 今すぐ殺せ!」

天蓋熊は立ち上がり、大祭司の祭服を前脚で押さえた。破れた裏地から、聖釘を打つ命令書が何枚もこぼれる。

民衆が息を呑む中、熊はノアの前へ戻った。そして大木が倒れるように横たわり、巨大な頭を彼の膝へ載せる。

白毛に世界樹の紋が浮かび、ノアの胸にも同じ契約印が根を張った。

「祝福がない」と言った大祭司の声は、もう誰も聞いていなかった。

ノアが首毛へ腕を沈めると、体ごと抱かれるほど深かった。傷を負ってなお、その毛は冬の日差しのように温かい。膝はすでに感覚がなくなるほど重かったが、信頼を丸ごと預けられたその重みを、ノアは二度と誰にも鎖で奪わせないと決めた。