蔵書票に書いた新しい名
王立書庫の最奥には、一枚の蔵書票に縛られた梟獣人がいた。
名はソラト。夜ごと禁書を読み、宰相に都合の悪い歴史を記憶から消す仕事をさせられている。
蔵書票の分類欄には、こう記されていた。
『生きた記録媒体・王家所有』
新任司書ノエルは、その一行を見て本を閉じた。
「これは蔵書ではありません」
「だが票を外せば、こいつの百年分の記憶も消える」
宰相代理が鍵を鳴らす。
「お前の司書印へ移管しろ。記憶を自由に検索できるぞ」
ソラトは翼を畳み、何も言わなかった。移管のたびに主人が替わり、拒むたび思い出を一冊ずつ奪われてきた。
ノエルは蔵書票を灯りへ透かす。
記憶を縛っているのは紙ではない。分類番号の最後に打たれた、極小の所有点だった。
彼女は消し砂を一粒だけ落とした。
「そんなもので王家の魔法が消えるか!」
「文字を消すのではありません。これは句点です」
所有点を失った一行は、命令文として終われなくなった。
『生きた記録媒体・王家所有』という断定がほどけ、蔵書票から黒い鎖が浮かび上がる。
ノエルは鎖を自分の司書印へつながず、紙ごと中央から破いた。
ソラトの翼に刻まれていた番号が、羽毛から雨のように落ちる。
「百年分の記憶は?」
宰相代理が青ざめる。
ソラトは目を閉じ、ゆっくり答えた。
「残っています。忘れたふりを命じられていただけです」
不正の記録を抱えた梟を、誰も止められなかった。
ノエルは書庫の窓を開ける。
「どこへでも行けます。証言する義務も、戻る義務もありません」
ソラトは夜空へ飛び去った。
翌朝、王都の鐘が鳴る。
ノエルが最奥書庫へ入ると、空だった机に新しい蔵書票が一枚置かれていた。
『自由記録官 ソラト・リベル』
選んだばかりの姓の下には、雇用条件が細かな字で並ぶ。閲覧拒否の権利、辞職の自由、記憶の私有。
最後に、彼自身の署名があった。
「ここで歴史を書き直したい。今度は消すためではなく、残すために」
ノエルは所有印ではなく、同僚を示す二枚目の蔵書票を隣へ差し込んだ。
朝の鐘が終わる頃、書庫には誰の所有物でもない新しい名が、最初の一行として刻まれていた。