読まないでの中身
百田郁美の「創作卒業祝い」は、駅裏の安い居酒屋で開かれた。
砂原茉莉亜がケーキ代わりの卵焼きへろうそくを一本立て、伏木弦が紙ナプキンに〈完〉と書く。
「めでたくない」と郁美。
「じゃあ何祝い?」
「送別会」
「どこへ送るの」
「創作の外」
三人は大学から七年間、共同で物語サイトを運営した。郁美が小説を書き、茉莉亜が宣伝文を整え、弦が読書会を開いた。郁美は来月から経理職に就き、もう一作も書かないという。
サイトは翌朝、契約切れで自動的に閉じる。管理画面には、七年間の閲覧数と、三人しか読まなかった初期作が同じ一行で並んでいた。茉莉亜が延長料金を払おうとすると、郁美は止めた。
「残すことまで創作にしないで」
茉莉亜は広告会社へ行く。「私は、百文字に値札を付ける」
弦は商店街で子どもの創作教室を始める。「俺は、完成させなくていい場所を作る」
「二人とも続けるんだ」
「郁美の分まで、とは言わない」と茉莉亜。
「言ったら殴る」
弦がビールを注ぐ。「やめる理由、まだ聞いてない」
郁美はろうそくの火を見た。
「書けば書くほど、書いてない時間が罪悪感になった。友達と会っても景色を見ても、使えるって考えた。もう人生を材料置き場にしたくない」
二人は、創作は人生を豊かにする、と言わなかった。
「私は、何にもならない時間を使う」
三人で火を吹き消す。店を出る前、郁美は白いUSBメモリをテーブルへ置いた。ラベルには〈読まないで〉とある。
「新作?」
「削除する前の全部」
「持って帰って」
「いらない。でも捨てるのは、まだできない」
郁美は先に店を出た。茉莉亜がUSBへ手を伸ばすと、弦が首を振る。
管理画面の閉鎖まで、残り時間が赤い数字で減っていた。茉莉亜が何度も更新すると、郁美はスマートフォンを伏せる。『終わるところを実況しないで』。弦は時計を見ず、三人が店を出た時刻だけを会計票の裏へ書いた。
三人掛けの席で郁美の椅子だけが引かれたままだった。〈読まないで〉は命令にも題名にも見えた。二人は中身を開かず、閉鎖時刻だけを手帳へ書いた。