買い取れるのは一人
烏丸総司は毎朝、母・百世と二体の貸出身体で食卓を囲む。総司の本体は視神経障害、百世の本体は重い関節病。借り物の目で母の顔を見て、借り物の手で味噌汁を渡す。それが十五年続いた普通の朝だった。
レンタル会社が倒産した日、一通の通知が届いた。
《家族契約の貸出身体を一体のみ買い取れます》
《選択されなかった身体は本日二十時に回収します》
清算時、同一家族への譲渡は一体まで。資産を広く債権者へ分配するための一つの規則だった。
総司は母の身体を選んだ。
《決済者と利用者が異なるため承認できません》
百世の口座には年金しかなく、買い取り価格九百万円を払えない。総司が贈与しても、倒産後の名義変更は禁止されていた。
「じゃあ俺の身体を買って、母に渡す」
《買い取り後の利用者変更はできません》
母は通知を閉じた。
「私は本体へ戻ればいいよ」
「痛くて起き上がれないだろ」
「目が見えないよりまし」
「比べるなよ」
二人は十五年間で初めて、どちらが不自由かを言い争った。
総司は自分の身体の買い取りを放棄しようとした。だが決済履歴により、家族枠は自動で高額利用者へ仮確保されている。
《優先取得者:烏丸総司》
《辞退した場合、二体とも競売へ移行します》
自分を選べば母が戻る。
母を選ぼうとすれば、二人とも失う。
十九時五十分、百世は台所に立った。
「最後なら、ちゃんと作る」
借り物の指で、総司の好きな卵焼きを巻く。十五年前、本体の手が動かなくなってから初めて覚えた料理だった。
二人で食べる。
「味、見えてる?」
母が昔と同じ言い間違いをした。
「味は見えないよ」
総司は笑った。
二十時。
母の身体が停止する前に、総司は買い取り確定を押した。
《烏丸総司さんへ身体を譲渡しました》
百世の箸が落ちる。
意識は保管施設の本体へ戻った。画面越しに、母のかすれた声が届く。
『顔、見える?』
総司は買い取った目で、動かなくなった母の貸出身体を見た。
「見えるよ」
回収員が来て、その身体を運び出す。競売へ回されれば、明日から別の誰かが母の顔で歩く。
総司は追いかけようとした。
だが母の本体から緊急通知が届く。
《関節痛による呼吸障害》
《家族の来訪を推奨します》
保管施設まで二時間。
総司は買い取った身体で走った。
十五年間、二人を家族にしていたのは意識だと思っていた。
それでも最後に残ったのは、一人分の身体を持つ権利だけだった。