赤い停止ボタン
雨宮朔良は、妹のカーディガンへ最後のボタンを縫いつけながら、枕元の録音機を回していた。
明日の朝には病院へ戻り、そのあとは眠る時間が長くなると聞いている。訪問看護師には、疲れたら途中でやめるよう言われた。家で片づけられる用事は一つだけ選んだ。春に預かったままのカーディガンを直すことだ。
妹は隣の部屋で、病院へ持っていく書類をそろえている。呼べばすぐ来る距離だが、朔良は一人で始めた。
赤い録音ランプが点いている。
「糸は二本取り。長すぎると絡むから、肘から指先くらい」
妹は裁縫が苦手で、ボタンが取れるたび朔良へ持ってきた。今回も「急がない」と言われたが、季節が一周する前に返したかった。
針穴へ糸が通らない。朔良は指を湿らせ、三度目で通した。録音には、息を整える音と、糸を引く小さな擦れが入る。
「最初は裏から。玉結びが大きくても、裏なら見えない」
カーディガンは深い緑色で、取れたボタンだけが皿の上に置かれている。黒い糸を表へ出し、四つ穴のボタンへ斜めに通す。元のボタンは縦二本だったが、妹は斜めの十字が好きだった。そこだけは説明せず、好きな形にする。
途中で糸が絡まった。以前なら舌打ちしたところを、朔良は録音機へ向かって「こうなったら、引っ張らない」と言う。針先で輪を広げると、結び目はほどけた。
窓の外でごみ収集車の音楽が流れる。少し調子の外れた旋律が録音へ入ってしまったが、やり直さない。妹がこの声を聞く日の外にも、同じ音楽が流れるかもしれない。
ボタンの下へ針を回し、根元に糸を三周巻く。
「最後は裏で二回。余った糸は、布を切らないように少し離して切る」
朔良は玉止めを作り、鋏の先で糸を切った。ボタンを引いて確かめる。ぐらつかない。
録音に残したのは、謝罪でも約束でもなく、ボタン一個の直し方だけだった。朔良はカーディガンを畳み、録音ファイルの名前を「ボタン」にするための紙を上へ載せ、カーディガンを録音機の横へ置く。赤い停止ボタンを押すと、回転していた数字が止まった。