返されていない一冊目
高槻未央が借りた推理小説には、細長い紙が挟まっていた。
“この本を読み終えても、すぐ返してはいけない。窓際の辞書を開け。”
悪戯だと思いながらも気味が悪く、未央は相談カウンターへ持っていった。
風間戒吾は、廃棄する貸出票で小さな紙鶴を折っていた。目つきが鋭く、利用者への返事はたいてい一文で終わる。
「続きは次の来館日に」
「今日、調べてくれないんですか」
「閉館まで十五分です」
「辞書を見るだけなら」
「指示に従う前に、紙の出所を確認します」
風間は紙を光に透かした。片端に薄い青線があり、古い貸出票を切ったものだと分かる。印字された日付は二十二年前。裏には鉛筆で小さな丸が三つ。
「誰かが私に向けて入れたんでしょうか」
「あなたの名前はない」
「でも、私が借りた本に」
「偶然と宛名を混同しないでください」
冷たい言い方だった。けれど風間は紙を証拠袋に入れ、同じ本の過去の修理記録まで確認した。挟み紙が見つかった記録はない。
翌日、未央が来ると、窓際の古い辞書はカウンターへ移されていた。風間が立ち会い、二人で開く。指定された語は書かれていない。代わりに、背表紙の内側から二枚目の紙が落ちた。
“二冊目は、名前を失った本。分類番号〇〇〇。”
〇〇〇は総記。百科事典、図書館学、珍しい本が並ぶ棚だった。
「宝探し?」
「図書館で宝を隠す人は、たいてい返却期限を守りません」
風間はそう言いながら、紙鶴を一羽、辞書の横へ置いた。三つの丸は、鶴の翼に押されていた古い館印と同じ形だった。
総記の棚で“名前を失った本”はすぐ見つかった。表紙と奥付が欠け、仮題だけで登録された手製本。中には、この図書館で働いた人々の短い記録が綴られていた。最後のページだけ切り取られている。
そこへ三枚目の紙が挟まっていた。
“一冊目を返した者にだけ、最後のページを渡す。”
「一冊目って、私の推理小説じゃないんですか」
「これは三冊目と書かれていました」
風間は最初の紙の裏を示した。三つの丸は番号だった。
閉館の音楽が鳴る。風間は三枚の紙を重ね、紙鶴の腹へ折り込んだ。
「続きは次の来館日に」
「また先延ばしですか」
「いいえ」
彼は無愛想な顔のまま、手製本を慎重に箱へ収めた。
「一冊目は二十二年間、返されていません。探すなら、あなたにも利用者として立ち会ってもらいます」
未央は推理小説を借り直した。今度の“次の来館日”は、謎の続きが正式に始まる日だった。