送信ボタンの向こう

北見暁警部は、最初から漏えいを認めていた。

「留置人を殴る映像を外へ出した。そこは争わない」

荒垣奈緒警視は、供述調書の最後の空欄を見た。相手は記者、動機は組織への怨恨。津雲刑事部長は、その二行を埋めれば北見一人の懲戒事件として終わらせると約束している。奈緒には次の人事も示されていた。

「送信先は新聞社ですね」

「違う。最初は津雲部長だ」

「内部報告をした?」

「午前三時十四分。映像と報告書を監察経由で部長室へ送った。七分後、部長室の端末から外部媒体へ書き出された。その後、俺の報告は削除された」

「なぜ部長が映像を外へ出す」

「俺を漏えい犯にして、暴行の中身を争点から消すためだ」

北見は机の調書を押し返した。

「俺は最終的に記者へも渡した。だから処分は受ける。ただ、最初の七分を書け」

奈緒のイヤホンに津雲の声が響く。

『虚偽だ。内部サーバーに受信記録はない』

「受信記録がない」と奈緒が言うと、北見は笑った。

「削除した人間が、ないと言っている。あなたは誰を取り調べてる?」

心理戦だった。北見は自分の罪を認めることで、奈緒から逃げ道を奪っている。彼を正当な告発者と美化することも、単なる裏切り者として切ることもできない。

奈緒はメール監査画面を開いた。通常検索には何もない。しかし災害復旧用の配送ログには、午前三時十四分、北見から津雲部長室への受信が残る。三時二十一分、同じ添付ファイルが外部媒体へ書き出され、三時二十三分に受信箱から削除。操作カードは津雲名義だった。

『荒垣、画面を閉じろ』

イヤホンの声が低くなる。

『北見の自白を取れば、君は本部へ戻れる。組織を守るのも正義だ』

北見は奈緒を見た。

「部長の言うとおりだ。組織は守る価値がある。だから、壊した人間を中に残すな」

奈緒はイヤホンを外した。供述調書には、北見が記者へ渡した事実を書く。その前に、内部報告が受理され、部長室から外部へ書き出された七分も記す。どちらかを消せば、また同じ取調室が使われる。

津雲が監視室から出る足音が近づいた。

奈緒は監査ログを添付し、報告書の宛先を津雲決裁から検察庁と県公安委員会へ変更した。送信ボタンの向こうには、昇任の消滅と、組織全体の敵意がある。

扉の取っ手が下がる。

奈緒はボタンを押した。画面の文字が、灰色の『送信済み』に変わった。