逆向きの時刻表

白石和花は、夜行列車の乗車口で伊吹稜司と向かい合っていた。

和花は東京で照明デザインの仕事をし、稜司は京都で亡き父の書店を継いでいる。三年の遠距離。会うたび、どちらが移るかという話を避け、季節の新刊と仕事の愚痴だけを交換した。互いの部屋には歯ブラシがあるのに、どちらにも二人の名前を並べた表札はなかった。

和花には、稜司へ店を捨ててと言えなかった。父親の名前が残る看板を、彼が毎朝磨いていることを知っている。それだけが、好きと言えない理由だった。

発車まで六分。

「帰るんだね」

稜司が言った。

「戻るよ。明日仕事だし」

一度目の返事は事実だった。

「次、いつ来る?」

「来月かな」

「また和花が来るの?」

「私のほうが休み取りやすいから」

「そういうことじゃない」

ホームへ発車ベルの予告音が流れる。乗務員が乗車を促した。

「じゃあ何」

「俺たち、ずっと向かう方向が逆だね」

「今さらでしょ」

「今さらだから聞く。和花は、どこで暮らしたい?」

逃げられなかった。背後には開いた扉、前には稜司。あと四分で、質問ごと東京へ持ち去ることもできる。

「東京。仕事あるし」

「店を理由に、俺に何も聞かないのやめて」

和花は顔を上げた。

「だって、あの店はお父さんの――」

「俺の店だよ。続けるのも、誰かに任せるのも、俺が決める」

発車まで二分。

「和花が何も言わないから、俺も東京へ行きたいって言えなかった」

稜司は書店の鍵を見せた。見慣れない小さな札がついている。

「来月から、店長を従兄に任せる。月の半分は東京で仕入れをする」

和花は笑うべきか怒るべきか分からなかった。

「先に言ってよ」

「和花も」

ベルが鳴った。乗務員が扉のそばで秒を数える。

「帰るよ」

二度目は、これまでと同じ自分へ戻るための言葉だった。

和花はキャリーケースを持ち上げた。だが乗車口へは進まない。

「帰るんじゃない。戻る場所を、二人で決めたい」

扉が閉まり、列車がゆっくり動き出した。

和花は乗らなかった。キャリーケースを稜司の足元へ置き、翌朝の列車を予約するためにスマートフォンを開いた。