鍵を置いた朝

家族のために動き続けることが、自分の役目だと思っていた。

朝食、祖父の薬、子どもの送迎、店の開店。

誰かに任せれば順番が崩れ、結局あとで直すことになる。

夜明け前、玄関マットの下へ予備鍵を置いて家を出ると、同じ姿のもう一人の自分が家へ残った。

本人が自分の意思で帰宅するまで、代役が一日の役目をすべて引き受ける。

女性は電車へ乗り、知らない町まで行った。

何も決めず、喫茶店へ入り、川を歩いた。

自由より先に罪悪感が来た。

昼、家の様子が気になり戻った。

窓の外から見ると、代役は完璧だった。

祖父の薬を忘れず、子どもの宿題を見て、店の客へ笑顔を向ける。

夫もいつもより穏やかだった。

「本物がいなくても平気」

そう思い、胸が冷えた。

夕食で子どもが尋ねた。

「今日の失敗は?」

代役は答えられない。

家では毎晩、一人ずつその日の失敗を言う習慣があった。

女性が始めたものだ。

子どもは牛乳をこぼした。

夫は取引先の名を間違えた。

祖父は薬を飲んだか二度忘れた。

最後に女性が、自分の失敗を話して皆を笑わせる。

代役には失敗がなかった。

家族は食卓で黙った。

祖父が言った。

「ちゃんとしたお前は、少し居心地が悪い」

夫も、

「直す仕事がないと、こちらも家族をやってる気がしない」

と笑った。

女性は玄関へ向かった。

すぐ入ろうとして、足を止めた。

必要とされる証拠を聞いたから帰るのでは、また役目へ戻るだけだ。

川辺で買った菓子を一つ食べ、夕暮れまで自分の時間を終えてから扉を開けた。

代役が消える。

「おかえり」

家族が言った。

女性は座り、

「今日の失敗。帰るのを一時間迷った」

と話した。

翌週から、役目を分けた。

祖父の薬は夫、送迎は交代、店には短時間の手伝いを頼む。

順番は崩れ、直し方も女性と違う。

それでも全部を元へ戻さないよう練習した。

予備鍵は今も玄関マットの下にある。

もう一人の自分を呼ぶためではない。

一人で外へ出ても、帰りたい時刻に自分で扉を開けられるように。

家族に必要なのは、すべてを代行不能にする有能さではなかった。

失敗を持ち帰り、同じ食卓で笑う本人の席だった。