門が閉まるまで
野々村環は、卒業式が終わっても校門の内側に立っていた。
約束の時間は三時だった。三時十分、二十分、四十分。卒業生の群れは少しずつ消え、写真を撮る声も、第二ボタンをねだる笑い声も遠ざかった。環の手には、紺色のノートが一冊あった。
千絵と二人で使っていた交換日記だった。
二年の秋、千絵は学校へ来なくなった。クラスのグループチャットに、千絵の家の事情をからかう画像が回ったとき、環は何も書かなかった。止めれば次は自分が標的になると思った。既読の印だけを残した。
千絵はその冬、転校した。数週間後、交換日記は郵送で環の元へ戻った。最後の一枚だけが綴じ目からきれいに切り取られ、裏表紙には《卒業式の日、門の外で返す》とだけ書かれていた。
午後四時、用務員が門の鎖を持ってきた。
「忘れ物?」
環はノートを抱きしめた。
「待ち合わせです」
「門は四時半に閉めるよ」
四時二十七分、道路の向こうに千絵が現れた。制服ではなく、薄いベージュのコートを着ていた。門の前まで来たが、中へは入らなかった。
環も外へ出られなかった。
鉄の格子を挟み、二人はしばらく立った。環は用意していた言葉を思い出そうとした。あのとき怖かった、悪気はなかった、ずっと後悔していた。どれも自分を説明する言葉だった。
「止めなくて、ごめん」
それだけ言った。
千絵は頷かなかった。許すとも言わなかった。コートのポケットから一枚の紙を出し、格子の隙間へ通した。交換日記の最後のページだった。
「これは返す。でもノートは環が持ってて」
ページには、何も書かれていなかった。
「白紙だけど」
「うん。続き、私が書くものじゃないから」
用務員が遠くで「閉めるよ」と声をかけた。
環は門の外へ一歩出た。千絵との距離が近くなったのに、二人は抱き合わなかった。千絵は「卒業おめでとう」と言い、環も「新しい学校、卒業したら教えて」とは言わなかった。
「来てくれて、ありがとう」
千絵は小さく手を上げ、駅とは反対の道へ歩いた。
背後で鎖が鳴り、校門が閉まった。環は振り返らなかった。閉じた門の向こうに、許してもらえる自分を置いていくことにした。
バス停のベンチで、環は白紙のページをノートへ戻した。最初の行に、その日の日付を書く。その下へ、春から住む町の名前を書いた。
過去の続きを勝手に書き換えることはできない。けれど、自分の次のページまで白紙にしておく必要はなかった。バスが来ると、環はノートを閉じ、開いた前扉から乗り込んだ。