門が閉まる前に
翠と湊人には、終業式の日に校門まで競走する習慣があった。
一年の夏、掃除当番を押しつけ合って遅くなり、閉門ぎりぎりに走ったのが始まりだ。二年の冬は雪で転び、三年の一学期は翠が靴紐を結ぶふりをして先に出た。
勝敗は、翠の六勝、湊人の五勝。
卒業式の日が、最後の一回だった。
「ホームルームが終わったら即スタート」
「写真は?」
「ゴール後」
「寄せ書きは?」
「昨日やれ」
「泣いたら?」
「失格」
そう決めていたのに、最後のホームルームは予定より長引いた。
担任が一人ずつ名前を呼び、言葉を渡した。クラス写真を撮り、後輩が廊下で待ち構え、部活の仲間が花束を持ってきた。
翠は何度も時計を見た。湊人も見ていた。
校門が閉まる五分前、二人はようやく昇降口に立った。
「今度こそ、寄り道なし」
「了解」
合図もなく走り出す。
三年間踏んだ廊下。ワックスの剥げた角。階段の手すり。職員室前の赤い消火器。見慣れたものが、走るたび後ろへ流れた。
中庭で、吹奏楽部が校歌を演奏していた。翠は立ち止まりそうになったが、湊人が「失格」と叫ぶので走った。
玄関を抜ける。
校門まであと三十メートル。
そのとき湊人が急に止まった。
「何してるの!」
翠も数歩先で止まる。
湊人は息を切らし、校舎を振り返っていた。
「忘れ物」
「今さら?」
「三年間、言い忘れた」
門のところで用務員が鎖を持ち上げた。あと一分もない。
湊人は翠を見た。
「次の学校でも、走る相手になって」
二人の進学先は違う。次の学校など同じではない。
翠は一瞬だけ黙り、それから踵を返して湊人のところまで戻った。
「それ、告白?」
「競走の申し込み」
「逃げた」
「お互いさま」
門がきしみ始める。
翠は湊人の肩を叩いた。
「じゃあ、次の門を決めよう」
「どこ」
「今は知らない。先に見つけたほうが勝ち」
二人は再び走り出した。
閉まりかけた門を、翠が先に抜ける。半歩遅れて湊人が滑り込む。背後で鎖の音が鳴った。
「七勝」と翠が言った。
「今のは同着」
「証人いるよ」
「用務員さん、見てました?」
「青春は自己申告だ」
三人で笑った。
校門の外には、どちらの通学路でもない道が伸びていた。
翠は卒業証書を脇に抱え、湊人へ言った。
「次は、門を閉める人がいないところまで」
最後の競走は終わった。
けれど二人とも、まだ止まらなかった。