閉まらない防火扉
引渡し前夜、新しい学校には誰もいないのに、廊下の防火扉だけが開いたままだった。
榊原穂高の依頼は、朝の完成検査までに扉を閉まるようにすること。金物業者は丁番を調整し、大工は枠を測った。扉そのものに狂いはない。
「下端を三ミリ削れば閉まります」
現場監督が言う。床とのクリアランスが足りず、扉が途中で擦っていた。
穂高は削る前に、隣の教室の扉を開けた。こちらは同じ寸法なのに閉まる。違いは廊下の床だった。防火扉の前だけ、仕上げ材の継ぎ目が二重になっている。
床業者へ確認すると、前日に下地の傷を隠すため、古い接着剤を残した上から薄い補修材を塗っていた。見た目は平らでも、その区画だけ二ミリ高い。
「扉は削りません」
「時間がない。閉まれば検査は通る」
「削ったら下の隙間が規定より広がります」
防火扉は普段の開閉だけでなく、煙を区画に留める役目がある。今の高い床に合わせて扉を短くすれば、補修材が摩耗した後に隙間が残る。戸当たりを強くして押し切れば、子どもの指を挟む力も増える。
穂高は床の仕上げを扉の軌道だけ剥がし、古い接着剤まで削り取らせた。境目が段差にならないよう、幅を広く取って薄く塗り直す。乾燥を待つ間、他の階の同じ位置をすべて確認した。
二階でも一枚、三階でも一枚。どれも扉を調整すれば一時的には隠せる不具合だった。
午前五時、三枚の扉が自重で静かに閉まった。穂高は紙片を下端へ差し込み、抵抗なく通る幅を確かめた。
完成検査で、検査員は扉を一度閉めただけだった。
「問題なし」
校庭では入学式用の椅子が運び込まれている。監督が穂高の肩を叩いた。
「これで終わったな」
そのとき携帯が鳴った。次の現場で、基礎の墨が合わないという。
校長が到着する前、穂高は三枚をもう一度開け放し、同時に閉じた。どれも途中で止まらず、同じ静かな音を立てた。
穂高は新品の廊下を振り返った。扉は何もなかったように閉じている。建物は使われ始めると、直した跡から先に見えなくなる。彼は検査用の定規を鞄へ戻し、まだ人のいない昇降口から次の朝へ出た。