閉まる扉を押さえて
携帯ショップの閉店二十分前、眞琴と凌平は「家族割の代表者変更」という用紙を挟んで座っていた。
二年前に別れたのに、料金プランだけが二人を家族扱いしていた。制度変更の期限が今日で、解約には双方の署名が必要だった。
「暗証番号、覚えてる?」
「消したよ」
眞琴はペン先を見ながら答えた。
別れた原因は、眞琴が凌平のスマートフォンを勝手に見たことだった。深夜に届いた同僚からのメッセージが気になり、寝ている彼の指を認証に使った。
内容に浮気の証拠はなかった。それでも眞琴は問い詰め、凌平は、疑われたことより触られたくない境界を越えられたことに怒った。
謝った。けれど、謝罪は信頼を元に戻さなかった。
今も好きだと言えない理由は一つ。もう一度信じてほしいと頼む資格が、自分にはないと思っているからだ。
「共有アルバム、どうする?」
凌平が店員から渡された確認画面を見せる。旅行や料理の写真が三百枚残っていた。
「消したよ」
「まだクラウドにあるけど」
「自分の端末からは」
「そう」
二人はそれぞれ『個別契約へ移行』にチェックを入れた。
閉店まで十二分。店員が奥で手続きをしている間、隣り合った端末のデモ画面だけが明るい。
「結婚した?」
眞琴は聞いてから後悔した。
「してない」
「彼女は」
「今はいない。眞琴は?」
「いない」
「そう」
会話はそこで止まった。閉店案内が流れ、入口の自動扉が片側だけ施錠される。
「指紋、本当に消した?」
凌平が尋ねた。
「端末を替えたから」
「番号は?」
眞琴は答えなかった。彼の番号は、名前の先頭に記号をつけ、連絡先一覧の下へ隠してある。
「消したよ」
三度目は、また嘘だった。
店員が戻り、契約の分離が完了したと告げる。共有アルバムは三十日後に自動削除されるため、必要なら各自で保存するよう説明された。
「以上です。閉店しますので、お出口へお願いします」
二人は同時に立った。これで、制度上も完全な他人になる。
出口で凌平が先に外へ出た。眞琴が続こうとすると、自動扉が閉まり始める。凌平は反射的に手を伸ばし、扉を押さえた。
「眞琴」
「何」
「嘘つくとき、今も右を見るんだな」
眞琴は右を見ないよう、真正面の彼を見た。
「消したくない」
好きという言葉の代わりに、スマートフォンを開く。連絡先の記号を外し、凌平の名前を元の位置へ戻した。
共有アルバムからは、二人が写っていない街の写真を一枚だけ保存する。
凌平は扉を押さえたまま、自分のスマートフォンを取り出した。眞琴の番号から着信が鳴る。
閉店した店の明かりが消えるまで、どちらも通話を切らなかった。