閉館十分前の神
「閉館まであと十分です」
世界最古の冒険者ギルド、その一階受付は驚くほど狭い。
受付係アステラは、今日も報酬袋を数え、破れた依頼票を糊で直し、酔った英雄へ閉館時刻を告げていた。白髪の副長ローデンだけは、彼女が自分の祖父の代から一度も年を取っていないことを知っている。
最後の客が帰った夜、正面扉を開けずに男が現れた。
星の冠を戴き、瞳の奥で無数の誓約を燃やす契約神オルディオス。
人と魔物が最初の依頼を交わしたころから、約束を破った魂を徴収してきた神だ。
「期限が来た。ギルドに属した全員の魂を、利息ごと受け取る」
男が指を上げると、壁一面の登録証が黒く染まる。
眠る冒険者たちの胸から光の糸が伸び、天井へ引かれ始めた。
ローデンは剣へ手をかけたが、身体が一歩も動かない。
アステラだけが、受付時計を見て小さくため息をついた。
「その契約は、控えを確認しましたか」
彼女は机の最下段から、黄ばんだ一枚の紙を取り出す。
世界で最初のギルド登録票。会員番号一番の署名欄には、まだ神になる前の《オルド》という名があった。
契約神の顔から余裕が消える。
「それは破棄したはずだ」
「原本は受付で保管します。創設時からの規則です」
アステラが返却印を押した。
星の冠が砕けたのではない。
冠を冠たらしめる神性だけが、静かに紙へ戻った。男の瞳から誓約の炎が消え、黒く染まった登録証は元の色へ戻る。伸びていた魂の糸も、眠る者たちへ一斉に帰った。
神だった男が床へ膝をつく。
アステラは世界最初の登録票へ追記する。
《資格停止。理由――会費未納、九千九百九十九年。》
紙の裏には、もっと古い署名があった。
《ギルド創設者・最初の受付係アステラ》
英雄が集まったからギルドが生まれたのではない。彼女が窓口を開き、「次の仕事」を渡したから、人は冒険者になれたのだ。
アステラは砕けた星光を箒で集め、屑籠へ捨てる。ローデンの記憶には触れなかった。秘密を守り続けた年月への、ささやかな信頼だった。
「副長、戸締まりを」
老いた男は震える声で「承知しました」と答える。
受付時計の針は、騒ぎの間も一分しか進んでいない。
元神が呆然と窓口を見上げると、アステラは苦情申請書を一枚差し出した。
「閉館まであと十分です」