隣が灯りを消したあと
宍戸の部屋には、隣室の灯りが細く入ってくる。
ベランダの仕切り板と壁の隙間から、黄色い光がカーテンの端へ一本だけ映る。午前二時四十三分ごろ、その線は毎晩ふっと消える。
隣の人は、遅くまで本を読むらしい。
ページをめくる音までは聞こえない。けれどときどき椅子がきしみ、カップを置く小さな音がする。空調の室外機が回り、止まり、雨の日は仕切り板を水滴が叩く。宍戸はその光が消えるまで起きていることが多かった。
一人暮らしを始めたころ、夜の終わり方が分からなかった。
実家では母が最後に廊下の照明を消し、弟が洗面所のドアを閉めた。音が一つずつ減って、家全体が眠る。今の部屋では、自分が消さなければ照明も動画もいつまでも続く。
だから隣の光を、勝手に最後の合図にした。
今夜は仕事で小さな失敗をした。送る相手を間違えた資料はすぐ回収でき、誰にも責められなかった。それでも宍戸は帰宅してから何度も送信履歴を見直した。次はもっと大きな間違いをするかもしれない、と考えると、明日へ進むのが怖かった。
宍戸は毎晩、黄色い線の幅を確かめてから歯を磨き、充電器を差し、明日の服を椅子へ掛けた。それは生活というより、隣の消灯へ追いつくための待ち時間になっていた。失敗をした夜ほど、その線が消えるのを見届けなければ朝が来ない気がした。
二時三十五分。
隣の光はまだ点いている。向こうでカップが置かれ、椅子がきしむ。宍戸のエアコンは低く回り、窓には細い雨が当たっていた。
いつもなら、あと八分待つ。
宍戸は送信履歴を閉じた。机のライトを消し、部屋の中央の照明も消す。カーテンの端には、隣から来る黄色い線だけが残った。
暗い部屋へ先に入るのは、少し不安だった。けれどベッドまでの距離は分かっている。手探りで歩き、掛け布団へ入る。
壁の向こうでは、まだ誰かがページをめくっているのかもしれない。宍戸には関係のない夜が、すぐ隣で続いている。
二時四十三分になる前に、宍戸は目を閉じた。
黄色い線がいつ消えたかは分からなかった。朝まで誰かの合図を待たなくても、自分の部屋の夜は、自分で終わらせてよかった。