願いの返品口
商店街の端に、「かなった願い、返品できます」と書かれた窓口があった。
願いを返せば、支払った代償だけが戻る。
ただし、願いのもとで過ぎた時間は戻らない。
女性は二十年前、別の不思議な店で、
「仕事で失敗しない力」
を買った。
代償は、
「人に助けを求める力」
だった。
それ以来、仕事はすべて成功した。
昇進し、大きな案件を任され、誰にも弱みを見せなかった。
家庭でも同じだった。
病気でも一人で家事をし、育児も介護も抱えた。
娘が手伝おうとすると、
「自分でできる」
と断った。
娘は成長し、遠くへ行った。
母は何でも一人でできる人だから、自分は必要ないと思ったという。
退職の日、会社では盛大な会が開かれた。
誰もが功績を褒めた。
帰宅すると、部屋は静かだった。
娘へ電話したかったが、
「来てほしい」
という言葉が出ない。
その夜、返品口を見つけた。
窓口の店員は帳簿を調べた。
「願いを返せば、明日から失敗します」
「どのくらい?」
「普通の人と同じくらい」
「代償は戻る?」
「助けを求められるようになります。ただし二十年は戻りません」
女性は迷った。
成功してきた自分まで否定する気がした。
返品すれば、これまでの努力が魔法だけだったようで悔しい。
店員が言った。
「返品は後悔の証明ではありません。今後、別の使い方を選ぶ手続きです」
女性は願いを返した。
翌朝、目玉焼きを焦がした。
買い物で財布を忘れた。
役所の書類を書き間違えた。
二十年分の失敗が一日で来たように感じた。
夕方、娘へ電話した。
声が震えた。
「引っ越しを手伝ってほしい」
娘は黙った。
女性は断られると思った。
やがて、
「どこへ?」
と聞かれた。
「まだ決めてない。探すところから」
「一人でできるでしょう」
娘の声には、長年の痛みが残っていた。
女性は初めて、
「できる。でも、一緒にしてほしい」
と言った。
娘はすぐ許さなかった。
それでも翌週、物件を三つ見に来た。
母は道を間違え、娘は笑わず地図を開いた。
三軒目の小さな部屋を、二人で選んだ。
退職後、女性は地域の相談窓口で働き始めた。
今度は失敗もした。
説明を間違え、同僚へ訂正を頼み、利用者へ謝った。
そのたび、誰かが助けた。
願いを返品しても、失った二十年は戻らない。
娘との距離も、一度の頼み事では埋まらない。
けれど新居の棚を組み立てる日、女性がねじを一本落とすと、娘が拾った。
「次、何を手伝えばいい?」
と尋ねる。
女性は、すぐに「大丈夫」と言わなかった。
部屋を見回し、まだ開いていない箱を指した。
願いがかなわなくなった日から、小さな願いを人へ頼める暮らしが始まった。