黒いルークの重さ
国際チェス大会の控室で、スポンサー金庫の鍵が消えた。大会責任者の城ケ崎は鍵を対局卓へ置き、三人の関係者に賞金の不足を問いただした。隣室で勝敗を告げる拍手が起こり、皆が中継画面へ目を向けた数秒後、鍵がなくなった。控室は内側から施錠されている。
容疑者は招待選手の冠城、審判の久延、会計係の町支。三人とも賞金管理に触れ、不足金を隠す理由がある。衣服、鞄、盤の下まで調べても鍵はない。卓上には分析用のチェス盤があり、黒駒は開始位置へきれいに戻されていた。
大会は中断できず、観客席から次の対局を促す拍手が続いた。久延は選手の身体検査を求め、町支は金庫を壊して賞金を確認しようとした。冠城は盤面を崩すと分析記録が失われると言い、黒駒へ触れさせまいとした。だが駒の配置は写真に残っており、守るべきは位置ではなく重量の対称性だった。
手掛かりは三つだけだった。第一に、黒い二つのルークは同型なのに、王側の一個だけ二十一グラム重かった。第二に、その駒の底のフェルトは縁の一部が新しく切られ、速乾糊の匂いがした。第三に、拍手の直前、盤面を片づけると言って黒駒を鍵のそばへ寄せたのは冠城だった。
冠城は「競技用の駒には重りが入っている」と答えた。だが一組の駒は左右で同じ重量に調整される。片方だけ増え、底だけ貼り直されているなら、中身が追加されたと考えるべきだった。
私は王側のルークのフェルトを剥がした。中空の駒から金庫の鍵が落ちた。「二十一グラムは鍵の重さ、切られたフェルトは入口、黒駒を鍵へ近づけた動作が冠城さんの機会です。拍手の間に底を開き、鍵を収めて糊で戻した。盤上ではルークは直線にしか動けません。けれどこの一個だけは、誰にも持ち去られず、鍵を抱えて盤の外へ逃げる準備をしていたのです」冠城さんは、同じ形の駒が二個あることを利用し、重さを比較されなければ異常はないと考えたのでしょう。チェスでは左右のルークは同価値です。だから片方だけが重いという単純な非対称が、盤上のどんな妙手より雄弁でした。