黒板の戻り次第
喫茶店「雨粒」は、あと一か月で続けるか閉めるかを決めることになった。古賀颯希と香椎は、剝げた店頭黒板を塗り直していた。新しいメニューを書くためではない。表面を整えれば、中古備品として少し高く売れるからだ。
二人は営業時間を消し、ランチの絵を消し、「スタッフ募集」の文字も削った。古賀が紙やすりをかけ、香椎が黒い塗料を刷毛で伸ばす。
古賀は三日前、店長と口論して店を飛び出した。常連へ閉店の可能性を隠す方針に納得できなかった。香椎から「黒板を運ぶ人がいない」とだけ連絡が来て、私服のまま戻った。
「募集、消すんですね」
「人を増やす金がない」
「俺も人数に入ってます?」
香椎は答えず、塗りむらをもう一度なぞった。
黒板の脚は片方が腐っていた。二人で裏返し、古い木片を当てる。古賀が錐で穴を開け、香椎がねじを締めた。真っ直ぐにはならず、手を離すと少し右へ傾く。
「店長、俺を辞めさせたいでしょう」
「店長は全員辞めさせたくない。全員雇う金がないだけ」
「同じですよ」
「辞める側にはな」
塗料が乾くまで、二人は店内で残り物のナポリタンを食べた。香椎は二皿作り、古賀のほうへ粉チーズを置いた。口論の日、古賀が割ったカップは片づけられ、代わりに縁の欠けた古いカップが一つ増えていた。
夜十一時、黒板は売り物らしい黒さになった。明日、買い取り業者が来る。店に残せるかは査定額次第だ。二人は表へ運び、傾いた脚の下へ厚紙を挟んだ。
香椎が白いチョークで翌日の予定を書いた。
十時 業者査定
十一時 豆納品
古賀 戻り次第
「これ、消してください」
「塗料の乾き、確認する人が要る」
古賀はチョークを受け取り、「戻り次第」の横へ小さく「黒板」と足した。自分のことではないように見せたかった。
帰り際、返すつもりだった鍵をレジへ置く。香椎はそれをエプロンで拭き、黒板の脚を固定する金具と一緒に古賀の鞄へ入れた。
店は一か月後になくなるかもしれない。古賀はその可能性を認めたまま、明日の目覚ましを九時にした。黒板が売られる前に、一度は自分の手で店頭へ立てたかった。