『社長室の最終セル』
遠雷メディアの社長後継者面接で、宝生結衣は総合評価二位と告げられた。
一位は人事本部長、雲林院宗玄が推す外部候補。結衣は売上、社員支持、事業計画のすべてで上回っていたが、創業者評価だけが最低点の一だった。療養中の創業者が最終確認し、今朝送信したという。
「本人の意思なら受け入れます」
結衣はそう言いながら、評価表の最終セルを選んだ。コメント欄は空白に見えたが、数式バーには半角の空白が一つ入っている。
「創業者は空欄を作るとき、スペースを入れません」
雲林院は笑った。「癖で後継者を決めるのか」
結衣は、過去十年の役員評価を開いた。創業者は未記入欄に必ず〈保留〉と書き、半角空白を使ったことはない。情報システム担当が版履歴を戻すと、前夜の時点で創業者評価は五。講評には〈次期社長に宝生を推薦〉とあった。今朝七時四十二分、雲林院が五を一へ変更し、講評を削除。空になったセルへ誤ってスペースを残していた。
「創業者から電話で訂正を受けた」
取締役会議長が通話記録を確認する。雲林院の社用電話に創業者からの着信はない。反対に七時三十分、創業者は原評価を添付したメールを全取締役へ送っていた。雲林院は配信リストから結衣と議長を外したが、秘書室共有アドレスをCCから消し忘れていた。
さらに七時四十分から社長室を予約していたのは雲林院一人。用途欄には〈後継者順位調整〉。アクセス元も社長室端末だった。
創業者のメールには、結衣の事業計画へ付けた手書きメモの写真も添付されていた。雲林院は評価表から講評を消した後、その添付だけを外部候補へ転送している。転送文は〈この論点を自案として面接で使ってください〉。外部候補の高得点の説明まで、結衣の資料から作られていた。
雲林院は「外部候補の方が会社を守れる」と言った。
議長は答えず、評価表を原版へ復元した。結衣の総合順位が一位に変わる。取締役たちはその画面のまま、次期社長推薦を承認した。
続いて雲林院の人事権限が停止される。
結衣を落としたのは創業者の一票ではなく、空欄に残った一文字分の空白だった。社長室の最終セルが、次に退くべき人物を決めた。