八人目の曜日

 僕の通う私立うずまき高等学校には、三種類の人間がいる。

 一つ目は、変な人。

 二つ目は、かなり変な人。

 三つ目は、自分だけは普通だと思っている、ものすごく変な人だ。

 僕――常盤正人は、そのどれにも当てはまらない。

 朝は七時に起き、食パンにいちごジャムを塗り、八時十二分の電車に乗る。趣味は読書と音楽鑑賞。特技は十円単位までの割り勘。好きな教科は現代文、嫌いな教科は持久走。将来の夢は、まだ決まっていない。

 つまり、どこに出しても恥ずかしくない普通の高校二年生である。

 ただし、僕以外の連中は、どこに出してもたいてい返品される。

「常盤くん、おはよう。今日の私、床に負けてない?」

 昇降口で話しかけてきたのは、クラス委員の天井美知留だ。彼女は「床を歩くと運気を吸われる」という祖母の遺言を守り、机、ロッカー、窓枠、たまに人の肩を渡って登校する。

「床は勝負してないと思うよ」

「そういう油断が敗北を呼ぶの」

 美知留は僕の頭を踏み台にして、下駄箱の上へ飛び移った。

 廊下では、野球部の木魚沢がバットで木魚を打っていた。美術部の白目さんは、透明な絵の具で透明な富士山を描いていた。担任の蒲田先生は、右手にはめたワニの人形を通してしか会話しない。

「ホームルームを始めるワニ。日直、号令だワニ」

「先生、今日はワニのほうがネクタイしてます」

「本体は寝坊したワニ」

 そんな二年B組でも、とりわけ目立つのが、窓際に横一列で座る七人の男子だった。

 月島月太。

 月島火太。

 月島水太。

 月島木太。

 月島金太。

 月島土太。

 月島日太。

 名字も顔も身長も声も、ついでにテストの点数まで同じ。違うのは胸につけた曜日バッジだけで、しかも本人たちは毎朝つけ間違える。

 僕らは彼らを「曜日兄弟」と呼んでいた。

「おい常盤。俺たちの中で、今日いちばん知的なのは誰だ?」

 月太が聞いた。たぶん月太だ。バッジが正しければ。

「全員、数学の追試だったよね」

「そういう細かいことじゃない。知性は雰囲気だ」

「じゃあ、メガネをかけてる水太」

「これは窓だ」

 水太はレンズのないフレームを外し、そこから外を眺めた。

 いつも通りの朝だった。

 八時三十分、チャイムが鳴るまでは。

 キーン、コーン、と最初の二音が響いたあと、スピーカーが咳払いをした。

『あー、あー。本日は晴天なり。本日は晴天なり。なお、地下では小雨です』

 教室中が天井を見上げた。

 放送委員の声ではない。蒲田先生のワニも首をかしげていた。

『生徒諸君にお知らせします』

 低く、古い声だった。カセットテープを井戸の底で再生しているような声。

『明日、正午。本校で最も普通な生徒が、一名、消えます』

 数秒の沈黙。

 それから木魚沢が笑った。

「なんだそれ。いちばん普通って、常盤じゃん」

 教室中の視線が、僕に集まった。

「いやいやいや、何を真に受けてるんだよ。誰かのいたずらだろ」

『繰り返します』

 放送は、僕の言葉にかぶせるように続いた。

『明日、正午。本校で最も普通な生徒が、一名、消えます。消えた生徒は、早退扱いとなります。保護者への連絡は各自でお願いします』

 ブツン、と音が切れた。

 蒲田先生がワニを外し、自分の口で言った。

「これは、まずいな」

 先生が本体でしゃべったことのほうが、僕には怖かった。

 校長室には、校長が三人いた。

 一人は机の前に座り、一人は観葉植物に水をやり、もう一人は壁に掛かった肖像画の中で腕組みしている。どれが本物か尋ねると、三人とも「校長という概念です」と答えた。

「さっきの放送は何なんですか」

 僕が聞くと、机の校長が書類をめくった。

「放送室は十年前から閉鎖されています」

「じゃあ、どこから?」

 観葉植物の校長が葉っぱを一枚めくった。

「旧放送室です」

「それはどこに?」

 肖像画の校長が額縁の外を指さした。

「ありません」

 話が一歩も進まない。

 付き添いで来た美知留が、観葉植物の鉢にしゃがみ込んだ。

「校長先生。学校案内に載っていない校則ってありますか」

 三人の校長が、同時に黙った。

 机の校長が、いちばん下の引き出しから、黒い表紙の冊子を出した。表紙には白い文字でこうあった。

『校則・第零版』

 ページを開く。

 一、授業中は静かにすること。

 二、廊下は走らないこと。

 三、異常が過半数を超えた場合、普通を一名排出すること。

「三番、明らかに様子がおかしいですよね」

「昔からある規則です」

「昔からあるなら、もっと早く直してください」

「校則を変えるには生徒総会の三分の二以上の賛成が必要です。ただし第零版を読んだ生徒は、決議前におおむね消えます」

「民主主義の欠陥が極端すぎる!」

 思わず大声を出すと、肖像画の校長が僕を見た。

「いい反応ですね」

「何がですか」

「実に普通です」

 背中が冷たくなった。

 美知留が僕の肩をつかんだ。

「正人くん。明日の正午までに、変な人になろう」

 校長室の三人が、うんうんとうなずいた。

 この学校で初めて全員の意見が一致した瞬間だった。

 その日の二年B組は、授業を中止して「常盤正人異常化計画」に取り組んだ。

 まず、外見。

 白目さんが僕の制服に目を描いた。胸に二つ、背中に三つ、ひざに一つ。どこを見ているのか聞くと、「来週」と答えた。

 次に、口調。

 演劇部の鼻山が僕に語尾を割り当てた。

「今日から全部の文末に『および冷蔵庫』をつけろ」

「どうして?」

「理由を求める姿勢が普通だ。求めるな。冷やせ」

「なるほど、および冷蔵庫」

「納得が早い。普通だな」

 次に、趣味。

 木魚沢から木魚を三個もらい、美知留から「架空の叔父を毎朝見送る」という習慣を教わった。蒲田先生のワニからは、ワニにしか通じない方言を習った。

 それでも、クラスの判定は厳しかった。

「服が変なだけで、中身は普通」

「変なことをやらされてる普通の人」

「むしろ変人集団の中で頑張る常識人として完成度が上がった」

「冷蔵庫」

 最後の意見は、家電だった。

 放課後、曜日兄弟が僕を囲んだ。

「俺たちに任せろ」

 七人は同じ顔で同時に笑った。

「普通でなくなる最短の方法は、俺たちの誰かになることだ」

「それ、個性が減る方向じゃない?」

「七人いる時点で十分おかしい」

 それはそうだった。

 彼らは僕を月島家へ連れていった。学校から徒歩五分。玄関が七つ、表札が七つ、犬小屋にも同じ表札がついている家だ。

 居間には同じソファが七脚あり、同じ湯のみが七個、同じ家族写真が七枚飾られていた。ただし、写真はすべて少しずつ古く、写っている制服も違っていた。

「まず顔だ」

 火太が言い、僕の頬を両手で挟んだ。

「引っ張るなよ」

「安心しろ。俺たちは全員、こうしてこの顔になった」

 部屋が静かになった。

「……どういう意味?」

 火太は手を離した。

 七人のうち誰かが、カーテンを閉めた。誰かがテレビを消した。誰かが僕の前に、古い学生証を並べた。

 どの学生証にも、曜日兄弟と同じ顔が写っていた。

 けれど名前は違った。

 昭和五十八年度 二年D組 西尾孝一。

 平成三年度 一年A組 坂巻純。

 平成十一年度 三年C組 榎本拓也。

 平成十九年度 二年E組 花村修平。

 平成二十六年度 一年B組 大路雅人。

 令和二年度 三年A組 鏡川誠。

 令和五年度 二年F組 高梨洋介。

 生まれた年も、名字も、全部ばらばらだった。

「俺たちは兄弟じゃない」

 月太が言った。

「昔、この学校でいちばん普通だった生徒だ」

 僕は笑おうとした。

 誰も笑っていなかった。

「じゃあ、消えたっていうのは……」

「体が消えるわけじゃない」

 水太が、自分の顔を指でなぞった。

「顔が消える。名前が消える。家族の記憶から消える。『その人らしさ』だけが抜かれて、学校が決めた平均の型に押し込まれる」

「それが、その顔?」

「そう。俺たちは“平均くん”の七代目までだ」

「どうして曜日の名前を?」

「本名を思い出せなくなるから、仮につけた。七人だったから曜日にした。お前が加わったら……そうだな」

 金太が少し考えた。

「祝日」

「嫌だよ!」

 七人がほっとしたように笑った。

「そのツッコミだ。俺たちも昔は、そうやって笑ってた」

 テーブルの上の学生証を見た。

 写真の裏には、鉛筆で短い言葉が書かれていた。

『母さんのカレーは辛口』

『左足の小指にほくろ』

『妹の名前は千佳』

『将来は消防士』

『猫のミミを忘れない』

『本当の名字は――』

 どれも途中で薄れ、読めなくなっていた。

「毎年じゃないんだね」

「異常が増えすぎた年だけだ。最近は間隔が短い。この学校、どんどん変になってるから」

「皆を普通に戻せばいいんじゃないか?」

「やってみたさ。だが、変な連中に『普通にしろ』と言うと、それぞれが自分なりの普通を始める。ある年は全校生徒が朝礼で納豆をかき混ぜた」

「なぜ」

「当時の校長が『粘り強い人間になれ』と言ったからだ」

 この学校なら、ありえる。

「じゃあ、どうすれば助かる?」

 七人は顔を見合わせた。

 同じ顔なので、合わせたというより、鏡が増えたように見えた。

「お前が本当にやりたい、変なことをするんだ」

 日太が言った。

「誰かにやらされたんじゃない。昔から隠してたもの。人に言ったら引かれそうで、でも本当は好きなこと。そういうのが一つくらいあるだろ」

「ないよ」

「よく考えろ」

 考えた。

 読書。普通。

 音楽鑑賞。普通。

 甘い卵焼きが好き。普通。

 寝る前に目覚ましを二個確認する。普通。

 コンビニでもらった割り箸を捨てられず、引き出しに四十二膳ある。少し変だが、弱い。

「本当にない」

 僕が言うと、七人の顔から笑いが消えた。

「それが一番まずい」

 月太がつぶやいた。

「空っぽの人間ほど、平均の型に入りやすい」

 翌朝、学校は異常の見本市になっていた。

 誰も消えたくないので、全員が必死に変人になろうとしていたのだ。

 校門では生徒会が入場者にくじを引かせ、「今日一日の前世」を割り当てていた。体育館では剣道部が竹刀で将棋を指し、吹奏楽部は音を出すと普通だからという理由で、全員が楽器を抱えて無音の演奏会を開いていた。

 先生たちも負けていない。

 英語教師は逆立ちして古文を教え、数学教師は「二次関数は気持ちの問題」とだけ板書して帰った。蒲田先生はワニを二匹に増やし、両手で夫婦げんかをしていた。

「ワニ夫、あなた最近帰りが遅いワニ!」

「仕事だワニ!」

「その口でよく言えるワニ!」

「同じ口だろ!」

 僕が突っ込むと、クラス全員が拍手した。

「出た、普通の反応!」

「安定感がすごい!」

「やっぱり常盤だ!」

「および冷蔵庫!」

 普通であることが、こんなに注目を集めるとは思わなかった。

 午前十一時。

 校内放送が入った。

『判定まで、あと一時間です』

 スピーカーの声に、笑いはなかった。

 その直後から、不思議なことが起き始めた。

 僕の机から、名前が消えた。

 教科書の表紙に書いた「常盤正人」の文字が、消しゴムをかけたように薄くなった。スマートフォンの連絡先から僕の名前だけ抜け、母に電話すると、知らない番号を見るような声で「どちらさまですか」と言われた。

「母さん、僕だよ」

『僕って、どちらの僕さん?』

 通話が切れた。

 足元が揺れた。

 美知留が窓枠から飛び降り、僕の腕をつかんだ。

「まだ消えてない。顔も同じ。大丈夫」

「母さんが僕を知らない」

「大丈夫じゃなかった」

 十一時三十分。

 クラス写真から僕だけが消えた。僕が立っていた場所には、空白ができず、最初から全員が少しずつ詰めて並んでいた。

 十一時四十分。

 出席番号十七番が欠番になった。

 十一時五十分。

 蒲田先生が僕を見て首をかしげた。

「君、何組の生徒だワニ?」

 教室中が静まり返った。

「先生、常盤だよ!」

 美知留が叫んだ。

「ほら、いつも真ん中の列に座ってて、テストはだいたい七十二点で、みんなのツッコミをして――」

「そんな生徒、いたワニ?」

 ワニの黒い目は、冗談を言っていなかった。

 曜日兄弟が一斉に立ち上がった。

「旧放送室へ行くぞ」

「でも、ないって」

「なくなる前なら、見える」

 七人が教室の後ろの壁に並び、同時に押した。

 壁が、観音開きに割れた。

 その向こうに、細い階段が地下へ続いていた。

 地下は、小雨だった。

 天井も雲もないのに、冷たい雨が降っている。階段の両側には、歴代の卒業写真が並び、どの写真にも同じ顔の男子が一人ずつ写っていた。

 僕と曜日兄弟、そして美知留は、雨の中を下りた。

「どうして来たんだ」

 僕は美知留に聞いた。

「床に負けたまま友達まで失うのは、もっと嫌だから」

「今、床の話いる?」

「いる。私の核だから」

 彼女は真剣だった。

 階段の最下段に、木の扉があった。

『旧放送室 0』

 月太が扉を開けた。

 中にはマイクが一本と、巨大な秤があった。片方の皿には、鉛筆、上履き、学生証、弁当箱、笑い声、寝癖、将来の夢――形のあるものも、ないものも、山のように積まれている。

 もう片方の皿は空だった。

 壁の時計は、十一時五十七分を指していた。

『候補者、入室』

 天井のスピーカーが言った。

 空の皿に、僕の名前が浮かび上がった。

『常盤正人。普通度、九十九・八。平均適合率、百パーセント』

「そんな数値、誰が決めた!」

『周囲の認識です』

 声は淡々としていた。

『本人が何者であるかは、判定に影響しません。周囲から何者と思われているか。それが個性です』

「勝手すぎる」

『社会とは、おおむねそのようなものです』

 反論しづらいことを言うな。

 時計は十一時五十八分。

 曜日兄弟が僕の前に並んだ。

「こいつを持っていくなら、俺たちから返せ」

 月太が学生証を秤に置いた。

「俺の本名」

 火太が置いた。

「俺の家族」

 水太が置いた。

「俺の夢」

 木太が置いた。

「俺の顔」

 金太が置いた。

「俺の記憶」

 土太が置いた。

「俺が俺だった証拠」

 日太が置いた。

 空だった皿が、少し沈んだ。

『返却不能。データは平均化済みです』

「だったら、新しい個性をやる!」

 月太が曜日バッジを外した。

 残りの六人も外した。

 七個のバッジが、秤に落ちる。

『それは仮の識別情報です』

「仮でも、七年かけて俺たちの名前になった!」

 七人が叫んだ。

 僕には、もう誰が月太で、誰が火太なのかわからなかった。

 だが不思議なことに、それぞれが別の人間に見えた。

 一人は怖がりなのに前へ出る。

 一人は口が悪いくせに、いつも最後に鍵を閉める。

 一人は甘い物を隠れて食べる。

 一人は笑うと右の頬だけへこむ。

 一人は人の話を最後まで聞かない。

 一人は靴下を左右ちがう色で履く。

 一人は、自分より先に誰かが消えることを許さない。

 顔は同じでも、同じ人間ではなかった。

「普通度を測り直せ!」

 美知留が秤の上に飛び乗った。

『床に触れない習慣。異常度、七十三』

「習慣じゃない。信念よ!」

 美知留は両足で皿を踏んだ。

「床は運気を吸う。これはおばあちゃんが最後にくれた、くだらないけど大事な言葉。誰に笑われても、私は守る!」

 秤が大きく傾いた。

 壁の時計が、十一時五十九分を指した。

『再計算を開始』

 学校中の声が、スピーカーから流れ込んできた。

「木魚は打楽器じゃなくて相棒だ!」

「透明な富士山だって、私には見えてる!」

「ワニ夫婦は来月、離婚しますワニ!」

「逆立ち古文は腰に悪い!」

「納豆は百十二回が一番うまい!」

 全校生徒が、自分の奇妙さを叫んでいる。

 異常を演じる声ではない。

 どうしても捨てられない、本人だけの普通だった。

 秤の両皿が激しく上下した。

『警告。平均値を算出できません』

『警告。普通の定義が不安定です』

『警告。全員が自分を普通と認識しています』

「それでいいんだよ!」

 僕はマイクをつかんだ。

「変な人間なんていない。自分の中では、みんな普通だ!」

『詭弁です』

「高校生なんて、だいたい詭弁でできてる!」

 時計の秒針が、十二の直前で震えた。

 そのとき、僕の頭の中に、母の声がよみがえった。

 ――あんた、またやってるの?

 幼いころの僕は、居間の時計を全部、十二時十二分に合わせていた。

 壁掛け時計も、目覚まし時計も、電子レンジも、ビデオデッキも。左右対称に並んだ数字を見ると、胸の奥がすっと静かになった。

 誰にも言わなかった。

 中学生になってからは、見つからないよう、夜中に一人でやった。

 朝には必ず直した。

 自分でも意味がわからず、恥ずかしかった。

 けれど、やめられなかった。

 僕は壁の時計に飛びついた。

 針をつかみ、十一時五十九分から、十二時十二分へ動かした。

『何をしていますか』

「時計を十二時十二分にそろえる」

『理由は』

「知らない。でも昔から、そうすると落ち着くんだ」

『非合理的です』

「そうだよ」

 僕は初めて、自分のために笑った。

「これが僕の普通だ」

 時計が、十二時十二分を打った。

 十二回でも、十三回でもない。

 なぜか八回、鐘が鳴った。

 気がつくと、僕は教室にいた。

 机も、黒板も、クラスメイトも元通りだった。

 美知留は窓枠に座り、蒲田先生のワニは夫婦そろって仲直りしていた。木魚沢は木魚を抱いて泣き、白目さんの透明な富士山には、透明な朝日が昇っていた。

「助かった……?」

 僕は自分の手を見た。

 名前は消えていない。

 顔も変わっていない。

 スマートフォンには母から「夕飯はカレー」とメッセージが届いていた。

 窓際では、曜日兄弟が横一列に座っていた。

 一、二、三、四、五、六、七。

 七人。

 僕は胸をなで下ろした。

 その日の午後、学校は臨時休校になった。校長は「設備点検」と説明したが、点検する設備が現実そのものだとは誰も言わなかった。

 帰り道、美知留と並んで歩いた。正確には、僕が歩道を歩き、美知留がガードレールの上を歩いた。

「ねえ、正人くん」

「何?」

「曜日兄弟、前から七人だったよね」

「そうだよ」

「月、火、水、木、金、土、日」

「うん」

「じゃあ、あの子は誰?」

 振り返った。

 曜日兄弟が、僕らの後ろを歩いていた。

 一、二、三、四、五、六、七。

 そして、少し離れて、もう一人。

 同じ顔、同じ制服。

 胸には、白いバッジ。

 そこに黒い文字で、こう書かれていた。

『平』

 その少年は、僕と目が合うと、口元に指を当てた。

 静かに、と言うように。

 次の瞬間、七人の中へ紛れ、どれが彼だったかわからなくなった。

「八人、いるよな」

「いるね」

「僕は助かったんじゃないのか」

 美知留は少し考えた。

「たぶん、助かったよ」

「じゃあ、あれは?」

「正人くんの中から、“普通”だけが抜けたんじゃない?」

 冗談にしては、彼女の顔が真剣だった。

 家に帰ると、居間の時計が十二時十二分で止まっていた。

 電子レンジも、炊飯器も、母の腕時計も。

 家中の時計が、全部、十二時十二分。

「母さん、これ……」

「何言ってるの。あんたが毎日そろえてるんでしょう」

 母は当たり前のように言った。

「昔から、一日も欠かさずに」

 胸の奥が、すっと静かになった。

 不思議と、もう直そうとは思わなかった。

 翌朝。

 窓際には、曜日兄弟が八人並んでいた。

 誰も、そのことを変だとは言わない。

 蒲田先生が出席簿を開いた。

「月島月太」

「はい」

「月島火太」

「はい」

「月島水太」

「はい」

「月島木太」

「はい」

「月島金太」

「はい」

「月島土太」

「はい」

「月島日太」

「はい」

「月島平太」

「はい」

 八人目が返事をした。

 僕と同じ声だった。

 クラスの誰かが、僕の席を見た。

「あれ。お前、誰だっけ?」

 冗談だと思って笑った。

 誰も笑わなかった。

 スピーカーが、咳払いをした。

『生徒諸君にお知らせします』

 低く、古い声。

『本日、本校へ転入する生徒を紹介します』

 教室の扉が開いた。

 そこに、見覚えのない女子生徒が立っていた。

 髪型は普通。

 制服の着方も普通。

 趣味は読書と音楽鑑賞です、と彼女は言った。

 特技は十円単位までの割り勘。

 将来の夢は、まだ決まっていない。

 彼女は教室を見回し、八人の同じ顔と、窓枠に座る委員長と、ワニに授業をさせる教師を見た。

 そして、ごく普通の反応をした。

「なに、このクラス……」

 スピーカーが小さく笑った。

『なお、明日、正午』

 僕は立ち上がった。

 少なくとも、そうしたつもりだった。

 けれど僕の席には、最初から誰も座っていなかった。机の名札も白紙だった。

「逃げろ!」

 叫びは、窓際に並ぶ八人の口から、同時に飛び出した。

 転校生が青ざめる。

 八人目の胸で、『平』のバッジが鈍く光った。

『本校で最も普通な生徒が、一名、消えます』

(了)