家族枠は、あと一名

 会社では、私は彼を「里見さん」と呼ぶ。

 自分の部屋では、「月面印鑑さん」と呼ぶ。

 もちろん本人のいないところでだ。

 里見朔、三十一歳。社内システム部。いつも無地のシャツを着て、会議では必要なことしか話さず、給湯室で誰かと鉢合わせると、会釈だけして静かに消える。

 そんな彼が、二十年前に打ち切られたSFアニメ『銀河配達局オービター』の考察ブログを十二年も続けている人物だと、社内の誰が想像するだろう。

 私以外は。

 私、青木麻冬、二十九歳。通販会社の経理部。趣味は同じく『オービター』で、二次創作小説を書いている。投稿名は「凍結みかん」。

 半年前、作品の上映会で最後の限定アクリルスタンドを同時につかんだ相手が月面印鑑さんであり、それが里見さんだった。

「あ」

「あ」

 私たちはアクリルスタンドを挟んで五秒ほど見つめ合い、その後、示し合わせたように同時に手を離した。

「会社では」

「知らないことに」

「しましょう」

「賛成です」

 成人オタクの社会生活は、停戦協定の上に成り立っている。

 ただし停戦後、私たちは少しだけ話すようになった。

 業務用チャットで、「月末処理の資料です」に混じって「第九話の船長は本当に本人だと思いますか」と送ったり、昼休みのエレベーターで「例の復刻版、予約開始しましたね」と囁いたりした。

 恋愛かと聞かれれば、私は即座に否定しただろう。

 だが、復刻版の予約開始時刻を共有する相手は、世間一般ではかなり特別な部類に入るのかもしれない。

 そんな金曜日、母が家に妙なものを持ち込んだ。

「家族写真立て、三百円!」

 玄関を開けた瞬間、母の春江が、戦利品を掲げていた。

 木枠の中に黒い画面がはめ込まれた、古いデジタルフォトフレームらしい。電源コードもメーカー名もない。裏には銀色の文字で、こう刻まれていた。

 《あなたに最適な家族写真を》

「電気、どうするの」

「知らない。でも三百円」

「動かない物に三百円払ったの?」

「額縁だけでも三百円するでしょ」

「額縁としては画面が黒すぎるよ」

 居間では、父の正志が新聞から目を上げずに言った。

「黒は何色にも合う」

「お父さん、今は味方しなくていいから」

 ソファに寝転がっていた弟の朔也が、フレームの裏側をのぞき込んだ。

「充電端子もない。母さん、これ、ただの板じゃない?」

「失礼ね。商店街のリサイクル市で、いちばん人が集まってた店のよ」

「いちばん人が集まってたのは、隣の焼きそば」

「細かい男はモテないよ」

「姉ちゃんに言って」

「なぜ私に流れ弾が来るの」

 そのときだった。

 真っ黒だった画面に、白い文字が浮かんだ。

 《おかえりなさい、麻冬》

 全員が黙った。

 父だけが新聞をめくった。

「音声認識だな」

「電源ないけど」

「最近のは進んでる」

「進み方が怖いんだよ」

 画面がふっと明るくなった。

 そこに映っていたのは、うちの食卓だった。

 母が鍋を運び、父が箸を持ち、朔也がスマートフォンを見ている。私は台所に背を向けて座っていた。

 そして私の隣に、見覚えのある無地のシャツの男がいた。

 里見さんだった。

「彼氏?」

 母の反応は、フレームより速かった。

「違う」

「婚約者?」

「違う」

「宅配便?」

「だいぶ離れたね」

「じゃあ誰」

「会社の人」

「会社の人が、なんでうちで鍋を食べてるの」

「私が聞きたい」

 画面の下に、小さな文字が現れた。

 《現在の家族数:五名》

 《新規候補を検出しました》

 うちは父、母、私、朔也の四人家族だ。

「五人目、誰だろうね」

 母が楽しそうに言った。

「怖がって」

「おばあちゃんじゃない?」

「おばあちゃんは千葉で元気に卓球してる」

「じゃあ冷蔵庫」

「家電を家族に数える思想、嫌いじゃないけど」

「納豆かもしれない」

「朔也、それはもう食べ物だよ」

 父がようやく新聞を畳んだ。

「犬だろう」

「飼ってないよ」

「昔、飼いたかった」

「希望まで数えるの?」

 その夜、私はフレームをコンセントのない棚へ伏せて置いた。

 ただの悪質な玩具だ。そう思うことにした。

 翌日、里見さんが本当にうちで鍋を食べることになるまでは。

 土曜の午後、私は駅前で里見さんと会っていた。

 目的は恋愛ではない。限定上映会の物販で、私が間違えて持ち帰った彼のトートバッグを返すためだ。

 黒地に銀河配達局の紋章が入ったバッグは、一般人から見れば会社説明会でもらった袋にしか見えない。だが分かる人には分かる。分かる人同士でしか分からない物を持ち歩くことに、オタクは妙な安らぎを覚える。

「中身、見てませんから」

「ありがとうございます。僕も青木さんのは見てません」

「本当に?」

「本当に」

「新刊が入ってたんですけど」

「見てません」

「感想を言われたら会社を辞めます」

「見てません。ただ、表紙の紙が良かったです」

「見てるじゃないですか」

 里見さんが、ほんの少し笑った。

 会社で彼が笑うところを、私は一度も見たことがなかった。

 その直後、空が壊れたような雨が降った。

 駅の庇の下へ逃げ込んだものの、強風で横から雨が吹き込み、電車は運転見合わせになった。タクシー乗り場には長い列ができた。

 うちは駅から徒歩七分。私は迷った末に言った。

「雨が弱くなるまで、うちに来ます?」

「ご家族が」

「います」

「それは、僕には難易度が高いです」

「私にも高いです。でも、このままだと限定パンフレットが湿気ます」

「行きましょう」

 判断基準が同じなのは、楽だった。

 玄関を開けると、母が待ち構えていた。

「写真の人!」

 里見さんは一歩下がった。

「帰ります」

「雨ですよ」

「雨のほうがまだ説明可能です」

「もう見つかってます」

 母は里見さんから濡れた傘を奪い、タオルを渡し、三十秒後には居間へ座らせていた。

 朔也が、珍しい昆虫を見る目で彼を眺めた。

「姉ちゃんの彼氏?」

「違います」

「即答」

「会社の同僚です」

「姉ちゃんに会社の同僚なんていたんだ」

「会社なんだからいるよ」

「人間関係の意味で」

「あとで覚えてろ」

 父は里見さんに会釈し、テレビの野球中継を指した。

「野球、見る?」

「詳しくはありません」

「俺も」

「なんでつけてるの、お父さん」

「雨だから」

「天気と野球中継の関係を説明して」

 母はすでに鍋の準備を始めていた。

 うちでは来客があると、母は必ず鍋にする。人数の増減に強い料理だからだ。

 ただし母は、鍋に何でも入れる。

「今日の隠し味、コーヒーゼリー」

「隠しておいて」

「コクが出るんだって」

「どこの情報?」

「八百屋の奥さん」

「八百屋はコーヒーゼリーの専門家じゃないよ」

 里見さんは困ったように私を見た。

 私は小声で言った。

「食べられないものは、早めに申告してください」

「コーヒーゼリー入りの鍋は、食べたことがないので判断できません」

「私も毎回そうです」

 棚の上で、伏せてあったフレームが勝手に起き上がった。

 画面には、昨夜と同じ食卓が映っていた。

 鍋の位置も、母のエプロンも、父の箸も同じだ。

 そして写真の中の里見さんは、今まさに本人が座っている椅子にいた。

 ただ、一つ違った。

 写真の中の私は、里見さんの肩にもたれて眠っていた。

「まあ」

 母が両手を打った。

「違うから!」

「まだ何も言ってない」

「顔が言ってる!」

「将来性のある顔をしてるだけ」

「どういう顔なの、それ」

 里見さんは耳まで赤くしながら、フレームへ近づいた。

「これ、写真データはどこから?」

「知らない。母が三百円で」

「三百円は重要じゃない」

「重要よ」

「お母さんは黙ってて」

 彼がフレームを持ち上げた瞬間、画面が切り替わった。

 《新しい家族を検出しました》

 《登録しますか?》

 下に、丸い「はい」と「いいえ」が現れた。

「押さないで」

 私と里見さんが同時に言った。

 母はすでに「はい」を押していた。

「お母さん!」

「だって、機械は返事しないと先に進まないでしょ」

 画面が暗転した。

 数秒後、白い文字が一行ずつ浮かび上がった。

 《現在の登録数:五名》

 《新規登録により定員を超過します》

 《入替対象を選択しています》

 朔也が笑った。

「家族、定員制なんだ」

「笑い事じゃない」

「でも、四人しかいないじゃん」

「だから怖いんだって」

 父が言った。

「俺が抜けようか」

「町内会みたいに言わないで」

 里見さんはフレームの裏蓋を外そうとした。

 だが、継ぎ目がない。木枠も画面も一枚の塊のようだった。振っても音はしない。

「青木さん」

「はい」

「これは機械じゃないかもしれません」

「じゃあ何ですか」

「機械のふりをした、ルールです」

 いかにも『オービター』を十二年考察してきた人らしい答えだった。

 普通なら笑うところなのに、そのときの私は笑えなかった。

 写真が、また変わっていたからだ。

 食卓には、里見さんを含めて五人が座っている。

 父だけが、いなかった。

 最初の異変は、翌朝だった。

 母が味噌汁をよそい、私と朔也がパンを食べていると、空の椅子が一つあった。

「お父さん、まだ寝てるの?」

 私が聞くと、母は首をかしげた。

「お父さんって?」

「え」

 廊下から、父が現れた。

 パジャマ姿で、いつものように無表情だった。

「ここにいる」

「うわっ!」

 母が本気で驚き、味噌汁をこぼした。

「いつからいたの?」

「昨日から」

「そういう意味じゃない!」

 数秒後、母は何事もなかったように父の茶碗を出した。

 本人も、私も、妙な冗談だったのだと思おうとした。

 フレームには、今度は朔也のいない写真が映っていた。

 その日の夕方、私たちは朔也を忘れた。

 夕食を三人で食べ、風呂の順番を決め、母が「今日は静かね」と言った。

 夜十時過ぎ、玄関の鍵が開いて朔也が入ってきたとき、全員が息をのんだ。

「何、その顔」

「どちらさま、って言いそうになった」

「やめてよ、姉ちゃん」

「どこ行ってたの?」

「友達んち。昼に言ったじゃん」

「聞いてない」

「聞いたよ。母さん、千円貸してくれたし」

「私が?」

「財布から出したでしょ」

「……そうだっけ」

 朔也の部屋はちゃんとあった。

 洗濯物も、ゲーム機も、床に脱ぎ捨てた靴下もある。

 それなのに昼から夜まで、私たちの意識には、朔也の形をした穴が開いていた。

 フレームが一枚の写真を選ぶたび、写真から消えた人間は、現実でも見えにくくなる。

 姿が透明になるわけではない。

 もっと日常的で、もっと救いのない消え方だった。

 気に留められなくなるのだ。

 月曜日は母だった。

 私はスーパーのレジ前で、すぐ隣から「麻冬」と三度呼ばれても気づかなかった。肩をつかまれ、初めてそこに母がいると分かった。

「ずっと呼んでたのよ」

「ごめん」

「私、声小さかった?」

「お母さんの声が小さかったこと、一度もないよ」

 火曜日は父だった。

 父が会社から帰宅しても誰も「おかえり」と言わず、父は十五分ほど玄関に立っていた。

 あとで理由を聞くと、「この家に入っていいか、自信がなくなった」と言った。

 父がそんなことを言うのを、私は初めて聞いた。

 水曜日の夜、フレームは私のいない写真を映した。

 私の椅子には、里見さんが座っていた。

 母が鍋をよそい、父が無言でビールを飲み、朔也が笑っている。

 それはあまりに自然な家族写真だった。

 写真の隅に、数字が出ていた。

 《確定まで 25:13:42》

 カウントダウンは、一秒ずつ減っていた。

 私は里見さんに、フレームの写真を送った。

 返信は十秒で来た。

 《今から行きます》

 平日の夜十一時、里見さんは工具箱と『銀河配達局オービター』全話収録ディスクを持って現れた。

「なぜディスクを」

「異常現象に遭遇した場合、作中では過去の類似事例が解決の手掛かりになります」

「現実とアニメを混ぜないでください」

「青木さんは、今、三百円の写真立てに存在を消されかけています」

「確かに、現実側がだいぶ寄ってきてますね」

 里見さんはフレームを調べた。

 温度、重さ、磁気、無線。どれも異常なし。

 画面には電気が流れている気配さえなかった。

「壊せますか」

「壊す前に確認したいことがあります。表示上の家族数が五名なのは、最初からですか」

「はい」

「ご家族は四名」

「はい」

「昔、同居していた人は?」

「祖父母は別です。ペットもいません」

「亡くなった兄弟姉妹は」

「いません。私は長女で、朔也と二人きょうだいです」

 そこまで言って、私はふと台所を見た。

 食器棚のいちばん上に、誰も使わない黄色い子ども用のコップがあった。

 星のシールが貼ってある。

 いつからあるのか、思い出せない。

「青木さん?」

「いえ。何でもないです」

 何でもないことにした。

 家の中には、由来の分からない物がいくらでもある。母は捨てることが苦手で、父は拾ったねじまで保管する人だ。

 私たちは居間へ戻った。

 フレームのカウントダウンは、《00:17:08》になっていた。

 家族全員を起こした。

 母は最初、「明日も早いんだけど」と怒った。だが画面に私のいない写真を見ると、黙って私の腕をつかんだ。

 父は倉庫から金づちを持ってきた。

 朔也は「先にバックアップ取ったほうがよくない?」と言った。

「人間をどうやってバックアップするの」

「姉ちゃんの動画、撮っとく?」

「遺言みたいで嫌」

「じゃあ変顔」

「もっと嫌」

 残り五分。

 父がフレームを床に置き、金づちを振り下ろした。

 甲高い音がして、金づちの柄が折れた。

 フレームには傷一つつかなかった。

「ホームセンターでいちばん高いやつだった」

「今、そこを悔しがる?」

 母が濡れ布巾をかぶせた。

 画面は布の上に浮かび上がった。

 朔也が窓から外へ投げようとした。

 窓を開けて投げたはずなのに、フレームは背後の棚へ戻っていた。

 里見さんが玄関から持ち出そうとした。

 ドアを出た彼は、なぜか台所の勝手口から戻ってきた。

「廊下を走ったはずなんですが」

「うちの間取り、そんなに複雑じゃないですよ」

「知っています」

 残り一分。

 画面に文字が出た。

 《入替対象を確定します》

 《青木麻冬 → 里見朔》

「勝手に将来を決めないでください」

 里見さんが低い声で言った。

 《将来の食卓参加率:87%》

 《家族適合度:良好》

 朔也が、こんなときなのに「高っ」と言った。

 母は「やっぱり」と言った。

 私は二人をにらんだ。

 残り十秒。

 母の手が、私の腕から滑り落ちた。

「……どなた?」

 冗談ではなかった。

 父が私を見る。

 その目から、私を知っている人の色が消えていった。

「里見君の知り合いか」

 朔也は露骨に身を引いた。

「なんで知らない人が、うちのパジャマ着てるの」

 私は自分の手を見た。

 消えてはいない。

 声も出る。

 けれど家族の視線が、私の表面を滑っていく。ポスターやカーテンを見るときと同じ目だった。

「お母さん、私だよ」

「ごめんなさい。どこかで会った?」

「お父さん」

「……すまない」

「朔也。私のプリン、勝手に食べて怒られたでしょ」

「プリンはよく食べるけど」

 カウントダウンが、ゼロになった。

 フレームの中で、私の姿が薄くなった。

 そのとき、里見さんが私の手を握った。

「僕は覚えています」

 指先が冷たかった。

 彼も怖いのだ。それでも、離さなかった。

「青木麻冬さん。経理部。請求書のファイル名に全角のかっこを使う。コーヒーは砂糖を二本。『オービター』第九話の船長は偽物だと主張している。投稿名は凍結みかん」

「最後のは家族の前で言わないでほしかったです」

「覚えていることを、全部言います」

 里見さんは母へ向き直った。

「この人の好物は?」

「知らないわ」

「冷蔵庫の二段目に、名前を書いたプリンがあります」

「……また朔也に食べられないように」

「母さん、何でそれ知ってるの」

「知らない。でも、書くときは赤い油性ペンで……」

 母の顔が歪んだ。

「麻冬?」

 私の名前が戻ってきた。

 里見さんは父の工具箱を開けた。

「このラベルを書いたのは?」

 ドライバー、ペンチ、六角レンチ。

 一つ一つに、私の字で名前が書いてあった。父が工具を元の場所へ戻さないので、高校生の私が貼ったものだ。

 父はラベルを指でなぞった。

「字が右上がりだ」

「お父さん、私の字、そう言うよね」

「麻冬の字だ」

 父の目が私に合った。

 朔也には、ゲーム機のセーブデータを見せた。

 子どものころ、二人で遊んだ冒険ゲーム。朔也の主人公の隣に、私が作った魔法使いがいた。名前は「ミカン」。装備は初期のままなのに、プレイ時間だけが百二十時間を超えている。

「姉ちゃん、弱い装備にこだわって、ずっと死んでた」

「見た目が一番かわいかったから」

「覚えてる。何回も回復させた。めちゃくちゃ面倒だった」

 朔也が泣きながら笑った。

 フレームの画面が激しく明滅した。

 《家族境界を整理してください》

 《登録可能数を超過しています》

 《一名を除外してください》

「お断り」

 母が即答した。

 《一名を除外してください》

「うちはね、鍋だって水を足せば増えるのよ」

「母さん、今いいこと言ってるけど、鍋にコーヒーゼリー入れる人だから説得力が」

「朔也は黙ってなさい」

「はい」

 父は折れた金づちを置き、物置から折り畳み椅子を持ってきた。

 食卓の端へ広げる。

「一人増えたら、椅子を出す」

「お父さん」

「耐荷重、八十キロ」

「里見さんを座らせる前提なんだ」

 里見さんが、握った手に少し力を込めた。

「僕は、青木さんと入れ替わるために来たんじゃありません」

 彼はフレームへ言った。

「隣に座りたいだけです」

 こんな状況でなければ、一生覚えておきたい告白だった。

 こんな状況だったので、やはり一生忘れないと思う。

 私はフレームを食卓の正面に置いた。

 父、母、朔也、私、里見さん。

 五人で並んだ。

 画面の中では、何度も誰かが消えた。

 父が消え、母が消え、朔也が消え、私が消え、里見さんが消えた。

 それでも現実の私たちは、互いの名前を呼び続けた。

「正志」

「春江」

「朔也」

「麻冬」

「里見、朔です」

「そこだけ自己紹介なのね」

「まだ家族ではないので」

「候補なんでしょ?」

「お母さん、今は黙って」

 写真がぶれた。

 輪郭が重なり、五人の顔が一つの光の塊になった。

 《分類できません》

 《全員が互いの記録を保持しています》

 《境界が不明です》

「それでいいのよ」

 母が言った。

「家族なんて、だいたい境界が不明なの」

 画面に大きな亀裂が走った。

 一瞬だけ、別の写真が見えた。

 今の五人の後ろに、もう一人いた。

 中学生くらいの女の子。星形の髪留めをつけ、母の肩へ手を置いていた。

 私とよく似た目をしていた。

 そして最後の文字が浮かんだ。

 《警告》

 《登録済み五名のうち、一名が未表示です》

 フレームは真っ黒になった。

 今度こそ、何をしても二度と点かなかった。

 翌朝、家族は全員、私を覚えていた。

 母はフレームを燃えないごみの袋へ入れながら、「三百円損した」と言った。

 父は折れた金づちの保証書を探した。

 朔也は私のプリンを食べた。

 家族が正常に戻った証拠として、これ以上のものはなかった。

 里見さんは、朝まで居間にいた。

 始発が動くころ、玄関で靴を履きながら言った。

「昨日のことですが」

「どの部分ですか。投稿名を暴露したことなら、許してません」

「隣に座りたいと言った部分です」

「ああ」

「あれは、異常現象に対応するための方便ではありません」

「はい」

「将来の食卓参加率を、上げたいと思っています」

「機械の数値を信じるんですか」

「機械ではなく、機械のふりをしたルールです」

「もっと悪いですね」

 私は少し考えてから、彼のコートの袖をつかんだ。

「まずは食卓じゃなくて、映画館からにしませんか」

「上映予定は調べてあります」

「早い」

「復刻版の特別上映が来週です」

「それ、デートというより通常運転では」

「通常運転を、一緒に増やしたいです」

 成人オタクの恋愛は、派手ではない。

 ただ、予約開始時刻を共有する相手が、少しずつ人生の予定表に増えていく。

 私は「はい」と答えた。

 今度は、勝手な写真立てに押される前に。

 二か月後、里見さんはまた、うちで鍋を食べていた。

 母は彼を「朔くん」と呼び、父は無言でビールを勧め、朔也は『オービター』を第一話から見始めていた。

 鍋には、コーヒーゼリーの代わりに焼き芋が入っていた。

「甘い」

「秋だから」

「理由になってないよ、お母さん」

 母が食器棚から取り皿を並べた。

 一、二、三、四、五、六。

「一枚多いよ」

 私が言うと、母は不思議そうにこちらを見た。

「何言ってるの。いつも六枚でしょ」

 部屋が、しんとした。

 父が、誰も座っていない折り畳み椅子を引いた。

 朔也が、廊下の先を見た。

 玄関で、鍵の回る音がした。

 扉が開く。

「ただいま。遅くなってごめん」

 制服姿の女の子が入ってきた。

 星形の髪留め。

 写真の中にいた子だった。

 母は何のためらいもなく、「おかえり、結衣」と答えた。

 父も朔也も、ずっと待っていた人を見る顔をした。

 里見さんだけが、食卓の下で私の手を握った。

 結衣と呼ばれた女の子は、まっすぐ私の前へ来た。

 私と同じ目で、うれしそうに笑った。

「お姉ちゃん」

 彼女は言った。

「今度は、忘れないでね」