『鋼花女塾、暁に轟け』
装甲旗取り競技。
それは、特殊な緩衝装甲をまとった車両に乗り込み、圧縮染料弾を撃ち合い、相手校の旗車に一発当てれば勝利という、由緒正しくも騒々しい学園競技である。
競技に必要なのは、精密な操縦、冷静な判断、車長と乗員の信頼、そして安全規則を一字一句守る理性だ。
少なくとも、全国競技連盟の公式教本にはそう書かれている。
私立鋼花女塾の教本には、その下に極太の筆文字で一行、書き足されていた。
――ただし、最後にものを言うのは腹の底からの気合である。
一
「装甲は乙女の礼服! 轟音は乙女の挨拶! 根性は乙女の化粧であるッ!」
朝六時。
山あいの霧を切り裂いた大音声に、小鳥遊澪は思わず革鞄を取り落とした。
校門の上には、黒地に金で「私立鋼花女塾」とある。
門の左右には巨大な鉄の歯車。校庭には、黒い短ランと長いプリーツスカートを身につけた生徒たちが整列し、肩にエンジン部品やら丸太やら巨大な炊飯釜やらを担いでいた。
檀上に立つのは、身長二メートル近い女だった。
白髪を一本に束ね、片目に古風な革眼帯。羽織袴の上から整備用の革前掛けを着け、腕を組んでいる。
「鋼花女塾、塾則第一条!」
女が叫ぶ。
「泣くなら前を向け! 涙が後ろへ飛ぶほど走れ!」
「押忍ッ!」
女生徒たちの返事で、校門脇の雀が三羽、気絶した。
澪は無言で鞄を拾った。
そのまま回れ右をしようとしたところで、背後から肩をつかまれた。
「転入生の小鳥遊澪だな」
振り返ると、檀上にいたはずの女が立っていた。
「いつの間に」
「説明している暇はない。わしは塾長、轟山紅葉。歓迎する」
「歓迎の前に、ここが本当に女子校か確認したいんですが」
「制服を見ればわかるだろう」
「丸太を見て不安になりました」
「朝の礼法稽古だ」
「どの礼法に丸太が必要なんですか」
「鋼花式だ」
轟山は断言した。
疑問を差し挟む余地を、声量で物理的に押し潰す話法だった。
澪がこの学校へ来たのは、好き好んでのことではない。
以前、彼女は名門・白鷺戦術学院で装甲旗取りの車長を務めていた。
一年生ながら地形を読む目を買われ、公式戦にも出た。しかし半年前、彼女の指揮車は渓谷戦で包囲された。澪は安全を優先して後退を命じたが、焦った操縦手が切り返しを誤り、車両を横転させた。
安全装置が働き、けが人はいなかった。
それでも澪は、横倒しになった車内で仲間が泣く声と、装甲を打つ染料弾の連続音を忘れられなくなった。
彼女は競技部を辞め、教室にも居づらくなり、母の勧めで遠縁が理事を務める鋼花女塾へ転入したのである。
装甲競技から離れるために。
よりによって、校門の内側に旧式装甲車が三台並んでいる学校へ。
「聞いていた話と違います」
「何がだ」
「ここは礼法と家政を重んじる、静かな伝統校だと」
「相違ない。礼法は挨拶、家政は炊事、伝統は装甲旗取りだ」
「静か、は」
「山は静かだ」
轟山が背後の山を指した。
その瞬間、校庭の隅でエンジンが爆発音を立てた。
「車両も時々は静かだ」
「帰ります」
「まあ待て」
轟山は、澪の鞄を片手で持ち上げた。逃げ道ごと持っていかれた格好である。
「おぬしに頼みがある」
「断ります」
「まだ何も言っておらん」
「装甲旗取りなら断ります」
「勘がいい」
「帰ります」
「話だけでも聞け。鋼花女塾は今年度いっぱいで廃校になる」
澪の足が止まった。
朝礼の列から、視線が集まっていた。
丸太を担いだ少女も、炊飯釜を抱えた少女も、笑ってはいなかった。
「生徒数の減少と、設備維持費の不足だ」と轟山は言った。「だが全国学園装甲大演武で優勝すれば、連盟の強化指定校となり、補助金が下りる」
「優勝って……全国で?」
「うむ」
「去年の成績は」
「予選一回戦、開始四分で全車停止」
「事故ですか」
「気合を込めすぎて、全車同時にエンジンを焼いた」
「理性はどこへ行ったんです」
「今年、探すつもりだ」
轟山は澪の肩に、鉄板のような手を置いた。
「小鳥遊澪。鋼花に、頭脳を貸してくれ」
校庭にいる全員が、頭を下げた。
ただ一人、ひときわ大柄な少女だけは、肩に担いでいた丸太が地面に突き刺さって抜けなくなり、慌てていた。
澪は目を閉じた。
横倒しの車内。赤い警告灯。仲間の泣き声。
胸の奥が、冷たく固まる。
「できません」
それだけ言って、彼女は校舎へ歩き出した。
誰も引き止めなかった。
二
鋼花女塾は、見た目ほど恐ろしい学校ではなかった。
一時間目の国語では古典文学を読み、二時間目の数学では三角関数を学び、三時間目の家庭科ではエンジンの廃熱でふっくら炊く豆ご飯を作った。
「最後だけおかしい」
澪がつぶやくと、隣の席の少女が笑った。
「普通の炊飯器もあるんだけどね。電気代がもったいないから」
彼女は矢作トモエ。小柄で、頬にいつも機械油をつけている。
装甲旗取り部の操縦手兼整備主任だという。
「入部の勧誘なら聞かない」
「しないよ。嫌なものを無理にやらせたら、車も人も壊れるから」
トモエは豆ご飯を茶碗によそい、澪へ差し出した。
「でも、食べて。鉄椿号の左排気管で蒸したやつ。右はちょっと煤臭いから」
「車両ごとに味が違うの?」
「愛情かな」
「整備不良じゃなくて?」
「愛情」
昼休み、澪は校舎裏の格納庫をのぞいた。
理由は自分でもわからなかった。
ただ、豆ご飯が意外においしかったせいかもしれない。
格納庫の中央には、一台の古びた装甲車両が置かれていた。
ずんぐりと低い車体。何度も溶接された装甲板。砲塔の脇には、赤い椿の紋章が描かれている。
「主力旗車、鉄椿号ですわ」
声に振り返ると、長い黒髪の少女が茶碗を手に立っていた。
九条つばき。射撃手で、茶道部部長でもある。
「お茶、いかがです?」
「ここ、格納庫だけど」
「場所を選んでいては、戦場で一服できませんもの」
「戦場じゃなくて競技場でしょ」
「心構えのお話です」
つばきは鉄椿号の履帯に腰かけ、澪にも座布団を勧めた。なぜ格納庫に座布団が常備されているのかは聞かないことにした。
車体の下から、先ほど丸太を抜けなくしていた大柄な少女が這い出してきた。
「熊野すみれ。装填手です。よろしくお願いします」
立ち上がった彼女の頭が、鉄椿号の砲身に当たった。
砲身が鈍い音を立てて揺れた。
「大丈夫?」
「はい。砲身は無事です」
「あなたの頭を聞いたんだけど」
「そちらも、だいたい無事です」
最後に、砲塔上のハッチから顔を出したのが、通信手の丹生悠璃だった。
声の小さい、眼鏡の少女である。
「よろしく……お願いします」
「朝礼の返事、すごかったけど」
「あれは拡声器です」
「あなたの声じゃなかったの?」
「生声だと、蚊にも負けます」
四人は、澪に入部してほしいとは言わなかった。
ただ鉄椿号を磨き、履帯の泥を落とし、古い無線機の配線をつなぎ直していた。
トモエが運転席から顔を出す。
「去年ね、全車止まったとき、この子だけ最後まで動こうとしたんだ」
「動こうとした?」
「エンジンは焼けてた。でも坂だったから、重力で三メートル進んだ」
「それは動いたとは言わない」
「私たちには、動いたの」
つばきが、車体にそっと手を置いた。
「学校がなくなれば、この子たちも処分されます」
「だから優勝したい?」
「それもあります。でも一番は、最後の試合をしたいのです。廃校を待つだけの一年にはしたくありません」
すみれが工具箱を持ち上げる。
「勝てるとは思ってません」
「言い切るんだ」
「はい。でも、負けるにしても、前を向いて負けたいです」
澪は鉄椿号を見た。
車体には無数の傷があった。装甲の継ぎ目には、何世代もの生徒が施した修理の跡が残っている。
競技車両は、勝敗の記録を傷として抱える。
人間も同じなのかもしれない。
「一つだけ、聞いていい?」
澪は言った。
「去年、全車のエンジンを焼いた作戦を考えたのは誰?」
四人が一斉に目をそらした。
砲塔の陰から、轟山塾長がぬっと現れた。
「わしだ」
「いつからいたんですか」
「心配するな。今年は最大回転数を百ほど下げる」
「根本から考え直してください」
澪は額を押さえた。
「全国大会の規則書、去年の映像、鉄椿号の仕様書。それから対戦校の資料を全部出してください」
「おお」
「入部するとは言ってません。見るだけです」
「うむ。見るだけの者には、臨時車長の腕章を渡す決まりだ」
「そんな決まりは今できたでしょう」
「伝統とは、最初の一日から伝統である」
轟山が差し出した腕章には、金糸で「頭脳」と刺繍されていた。
澪は受け取らなかった。
その日の放課後、なぜか彼女の左腕には腕章が巻かれていた。
三
全国学園装甲大演武まで、三週間。
鋼花女塾の訓練は、澪の予想をはるかに超えていた。
悪い意味で。
「鉄椿号を人力で曳く訓練は中止!」
「なぜだ、小鳥遊!」
「エンジンがあります!」
「故障したときの備えだ!」
「人間が先に故障します!」
「滝に打たれながら通信訓練するのも中止!」
「雑音に強くなる!」
「無線機が水没しています!」
「燃える橋を渡る訓練は」
「まだ燃やしておらん」
「未来永劫、燃やさないでください!」
澪は訓練メニューの九割を赤線で消し、代わりに基礎走行、短距離射撃、車外確認、通信手順を徹底させた。
最初、部員たちは戸惑っていた。
鋼花では、困難に遭遇したら叫び、さらに困難になったらもっと叫ぶのが伝統だった。
だが澪は叫ばない。
角度を測り、秒数を数え、失敗の理由を紙に書く。
「根性を否定する気はありません」
ある日の夕方、澪は黒板に大きな円を描いた。
「でも、根性だけで命中率は上がらない。履帯も直らない。作戦の穴も埋まらない」
「では、根性は何のためにあるのです?」
つばきが尋ねた。
澪は少し考えた。
「作戦を、最後まで実行するため」
「なるほど」
「つまり作戦が先、根性が後です」
「塾長と逆ですね」
「そうです。塾長は全部、根性から始めるから危ないんです」
教室の後ろで腕を組んでいた轟山が、満足そうにうなずいた。
「よし。作戦という名の根性を先に置こう」
「一文字も伝わってない」
それでも、鋼花は少しずつ変わった。
トモエは急加速をやめ、泥濘で履帯を空転させない操縦を覚えた。
つばきは一発必中にこだわらず、相手の進路を制限する牽制射撃を身につけた。
すみれは力任せに弾を押し込む癖を直し、装填時間を四秒縮めた。
悠璃は通信内容を短く整理し、蚊に負ける生声の代わりに、落ち着いた符号で全車をつないだ。
鋼花の参加車両は三台。
旗車の鉄椿号。
小型偵察車の雀蜂号。
そして、なぜか装甲を施された給食運搬車、大鍋号である。
「これ、本当に競技車両なんですか」
澪は大鍋号を見上げた。
後部には炊飯釜が六つ並び、前面装甲には「一膳入魂」と書かれている。
「連盟の規則では、自走し、規定の安全装甲と信号旗を備えれば補助車両として登録可能ですわ」
「砲は?」
「ありません」
「何をするの?」
「炊きます」
「試合中に?」
「空腹は判断力を鈍らせますから」
「せめて偵察をしてください」
三週間後。
鋼花女塾は地区予選を、誰も予想しなかった方法で勝ち上がった。
一回戦。
相手が鉄椿号を追って狭い林道へ入り、大鍋号が横道から現れて進路を塞いだ。相手車両は釜から立つ湯気に驚き停止。その隙につばきが旗車を撃ち抜いた。
二回戦。
雀蜂号が相手を誘導し、鉄椿号が乾いた沢底から側面射撃。大鍋号は試合開始前に握った塩むすびを配り、選手全員の集中力を支えた。
準決勝。
鉄椿号は故障したふりをして相手を近づけ、すみれが砲塔から白旗を――ではなく、巨大な布団を干した。視界を奪われた相手の旗車へ、つばきの染料弾が命中した。
「布団は規則違反では?」
試合後、相手校の監督が抗議した。
審判団は長い協議の末、「洗濯物を干してはならないという条文は存在しない」と判定した。
翌日、規則書に新たな一文が加わった。
――競技中、車両上で寝具を乾燥させてはならない。
鋼花女塾は、全国決勝へ進んだ。
相手は前年優勝校、王立バルキル工科学園。
白銀の新型車両五台をそろえ、通信と隊列を一秒のずれもなく統制する強豪である。
隊長は皇モネル。冷静沈着、全国最優秀車長に二年連続で選ばれた少女だ。
記者会見で、モネルは澪をまっすぐ見た。
「あなた方の試合は拝見しました」
「どうも」
「奇策は、相手が知らなければ効果があります」
「そうですね」
「決勝では通用しません。偶然と勢いだけでは、完成された戦術には勝てない」
会見場の後方で、鋼花の生徒たちが色めき立った。
「勢いだけではない!」と誰かが叫んだ。
「塩むすびもあるぞ!」と別の誰かが叫んだ。
「そこは戦術を主張して」と澪は小声で言った。
モネルは表情を変えない。
「気合は戦術ではありません」
「ええ」
澪はうなずいた。
「気合は、戦術を最後まで動かす燃料です」
言ってから、自分で少し驚いた。
三週間前なら、絶対に口にしなかった言葉だった。
轟山塾長が感極まり、背後の記者席を二列まとめて抱きしめた。
四
決勝の舞台は、閉鎖された山岳温泉郷だった。
坂道、石段、木造旅館、湯気を噴く配管、山腹を貫く二本の隧道。
かつて観光客を運んだ小さな索道も残っている。
試合開始前、澪は鉄椿号の車内で地図を見つめていた。
「作戦を確認します」
鉄椿号は中央の旧街道を進む。
雀蜂号は東の石段道を偵察。
大鍋号は西の温泉配管区へ向かい、バルキル隊を誘導する。
敵の新型車は速く、射程も長い。
正面から戦えば、鋼花に勝ち目はない。
だが鉄椿号は車高が低く、古い代わりに低速での粘りがある。
狭い温泉街と急坂なら、新型との性能差を縮められる。
「大事なのは、予定どおりにいかなくても慌てないことです」
澪は一人ずつの顔を見た。
「トモエ、道が塞がれていたら戻る。無理に抜けない」
「了解」
「つばき、最初の一発を外してもいい。二発目を作るために撃って」
「心得ました」
「すみれ、装填より安全確認を優先」
「はい」
「悠璃、通信が切れたら規定どおり三十秒待つ。叫ばない」
「……努力します」
「塾長」
「なんだ」
「どうして車内にいるんですか」
「精神支援要員だ」
「降りてください」
「せめてこれを持っていけ」
轟山は、小さな木札を差し出した。
表に「不撓」、裏に「不屈」と彫ってある。
「両面同じ意味では?」
「迷ったとき、どちらを向いても前向きになれる」
「便利ですね」
澪は木札を受け取った。
胸ポケットへ入れる。
轟山は満足そうに降車し、ハッチを閉めた。
開始信号の花火が上がった。
「鋼花女塾、前進」
鉄椿号のエンジンが唸る。
古い車体が一度、大きく震えた。
それは怯えた震えではない。
長い眠りから目を覚ます、獣の身震いだった。
試合開始から三分。
予定どおり、雀蜂号が敵二両を発見した。
『東坂、敵二。こちらを追跡』
悠璃の通信は落ち着いている。
「雀蜂、予定地点まで誘導。無理はしないで」
『了解』
五分。
西側の大鍋号から連絡。
『こちら大鍋。敵一両、接近! 炊飯完了まで残り七分!』
「炊飯は中止して」
『すでに蒸らしです!』
「じゃあ焦がさないで!」
鉄椿号は中央の狭路を進む。
予定では、敵の隊列が東西に分かれたところで隧道を抜け、旗車を狙う。
だが、隧道の手前でトモエが急停止した。
「崩落!」
昨夜の雨で、入口が岩と土砂に塞がれていた。
「地図にはなかった」とつばき。
「今朝崩れたんだ」とトモエが言う。「通れない」
その瞬間、遠くで発砲音。
続いて悠璃の無線に雑音が走った。
『雀蜂、被弾! 走行不能。ごめん、澪ちゃん……』
車内が静まる。
計画の最初の歯車が外れた。
「大丈夫。乗員は?」
『全員無事。安全停止した』
「ならいい。退避手順へ」
澪は地図を見る。
隧道が使えない。東は敵二両。西には敵一両。敵旗車と護衛一両の位置が不明。
完全な統制を誇るバルキル隊は、奇策を警戒して最初から隊を分散していたのだ。
こちらの誘導には乗らず、逃げ道だけを丁寧につぶしに来ている。
「中央を戻る」と澪は言った。「西へ合流して、大鍋号を回収。二両で狭路を――」
車体に激震が走った。
染料弾が左装甲へ命中。
安全表示灯が黄色に変わった。まだ走れるが、次に主要判定部へ当たれば停止だ。
「敵、後方!」
つばきが潜望鏡を回す。
隧道へ続く道の向こう、白銀の車両が一台。さらに高台の旅館脇にも一台。
挟まれた。
第二弾が石壁に当たり、青い染料が窓を覆った。
衝撃音が車内に反響する。
澪の呼吸が止まる。
赤い警告灯。
横倒しの車内。
泣き声。
判断を誤った自分。
「澪ちゃん?」
トモエの声が遠い。
地図の線がぼやけた。
命令しなければ。
早く。
でも、また間違えたら。
第三弾が砲塔をかすめた。
すみれが、装填途中の弾を抱えたまま叫んだ。
「怖いなら、怖いって言ってください!」
澪は顔を上げた。
「え?」
「私たち、察するの苦手です! 特に塾長の教育を受けてますから!」
「それは自覚がありますのね」とつばき。
「はい! だから言ってください! 怖い分は、みんなで持ちます!」
トモエが操縦桿を握ったまま、前を向いて言う。
「間違えても、私が止まる。無理なら戻る。今度はちゃんと、澪ちゃんの命令を聞く」
つばきが照準器をのぞく。
「外しても、二発目を作りますわ」
悠璃がマイクを握る。
「声は小さいですけど……必要なら、拡声器もあります」
澪の胸ポケットで、木札が固く当たっていた。
不撓。
不屈。
どちらを向いても前向き。
怖さは消えなかった。
胸の中で、氷の塊のように残っている。
澪はそれを抱えたまま、大きく息を吸った。
「怖い!」
車内の全員が、うなずいた。
「でも、まだ勝ちたい!」
「押忍ッ!」
四人の返事で、天井のボルトが一本落ちた。
「トモエ、後退。左の旅館へ突っ込む」
「旅館へ?」
「玄関を抜ける。廃屋だから競技区域内」
「道じゃないよ」
「今から道にする!」
鉄椿号が後退し、追撃弾をかわす。
トモエが車体を鋭く切り返し、崩れかけた木造旅館の玄関へ突入した。
安全用の軽量壁が、派手な音を立てて左右に倒れる。
畳敷きの大広間へ装甲車が入った。
「お邪魔しますわ」とつばき。
「礼儀正しい場合じゃない!」
鉄椿号は床板を踏み抜きながら、建物の反対側へ抜けた。
敵車両は車幅が広く、追ってこられない。
「悠璃、大鍋号に連絡。温泉配管の主弁を開けてもらって」
「湯気を出すんですか?」
「違う。配管の圧力計を見てもらう。索道の動力は温泉蒸気式。まだ生きてるかもしれない」
澪は地図の端に描かれた索道を見る。
山腹の旅館と谷底の浴場を結ぶ、小型貨物用の斜面軌道。
廃止されているが、線路自体は残っている。
「鉄椿号で乗るの?」とトモエ。
「重量制限を超える」
「ですよね」
「だから、乗らない。線路脇の保守坂を上る」
「傾斜、二十八度あるよ」
「鉄椿号なら低速でいける」
「途中で止まったら?」
「そのときは」
澪は一瞬考えた。
「みんなで、叫ぶ」
「それ、意味ある?」
「鋼花ではあるらしい!」
大鍋号から通信が入る。
『主弁、作動します! 圧力正常! ついでにご飯も炊けました!』
「索道を動かして。無人の搬器を上へ」
『了解! おかずは?』
「今はいい!」
谷の向こうで、古い索道が軋みながら動き始めた。
空の搬器が、湯気をまとって斜面を上っていく。
白銀の敵車両二台が、それを鉄椿号と誤認した。
砲塔が一斉に索道へ向く。
「今!」
鉄椿号は保守坂へ突入した。
履帯が石を噛む。
車体が大きく傾く。
エンジン音が悲鳴のように高くなる。
「速度、落ちてる!」とトモエ。
「一速維持! 右へ半枚!」
「半枚って何?」
「気持ち右!」
「了解!」
斜面の途中で、鉄椿号はついに止まりかけた。
エンジン回転が落ちる。
履帯が空転し、砂利が谷へ落ちていく。
「澪ちゃん!」
澪は無線の全校回線を開いた。
「鋼花女塾、全員へ。聞こえますか」
待機区域、停止した雀蜂号、大鍋号、そして観客席。
鋼花の生徒たちが一斉に顔を上げる。
「鉄椿号、坂の途中で止まりそうです」
轟山塾長の声が返る。
『ならば、何が必要だ』
「無根拠でも、非科学的でも、今だけは――」
澪は息を吸った。
「気合を、貸してください!」
次の瞬間。
山が吠えた。
『押ォォォォォ忍ッ!』
待機区域の全員。
観客席の全員。
停止車両の乗員。
大鍋号の炊事班。
轟山塾長。
なぜか対戦校の応援団の一部まで、つられて叫んだ。
鉄椿号のエンジン出力が上がるはずはない。
履帯の摩擦係数が変わるはずもない。
ただ、その声でトモエの足がアクセルを踏み直し、すみれが車体の揺れに合わせて重心を移し、つばきが砲塔の角度を調整し、悠璃が冷却温度を正確に読み上げた。
人が、人としてできることを、一つずつ完璧にやった。
鉄椿号は、再び動き出した。
「上った!」
保守坂の頂上。
眼下に温泉街が広がる。
敵旗車を発見。
白銀の護衛車両一台を伴い、中央広場にいる。
モネルはすぐにこちらへ砲塔を向けた。
『見事です、小鳥遊澪』
共通回線に、澄んだ声が響く。
『ですが、こちらの射程内です』
「こちらもです」
鉄椿号と敵旗車が同時に発砲した。
モネルの一弾は正確だった。
鉄椿号の前面を狙い、真っすぐ飛んでくる。
「トモエ、前へ半車身!」
鉄椿号が斜面を下る。
染料弾が後部装甲をかすめ、赤い飛沫を散らした。
つばきの一弾は、敵旗車の手前に落ちた。
「外れましたわ」
「予定どおり。二発目!」
敵旗車は射線を外すため、右へ動く。
その先は石畳の細い水路。
澪の狙いは最初から命中ではない。
避ける方向を、一つに絞ること。
「すみれ!」
「装填、完了!」
「つばき、車体じゃない。水路脇の古い看板、その支柱を撃って!」
「承知!」
第二弾が支柱へ命中した。
巨大な木製看板が倒れ、敵旗車の前へ落ちる。
モネルは即座に後退を命じた。
だが後方には、いつの間にか坂を上ってきた大鍋号がいた。
砲を持たない給食運搬車が、堂々と道を塞いでいる。
『こちら大鍋! 通行止めです! 塩むすびなら通します!』
敵旗車の動きが、一秒止まった。
その一秒で十分だった。
「つばき」
「いただきます」
第三弾が白銀の旗車に命中した。
鮮やかな赤い染料が、校旗判定板いっぱいに広がる。
山岳温泉郷に、試合終了の鐘が鳴った。
五
鋼花女塾、全国学園装甲大演武優勝。
電光掲示板にその文字が出ても、澪はしばらく信じられなかった。
鉄椿号のハッチを開ける。
外の光がまぶしい。
観客席から、黒い制服の波が駆けてくる。
先頭は轟山塾長。速い。猛烈に速い。
「小鳥遊ィィィ!」
「塾長、走行中の車両に飛び乗らないで――」
轟山は鉄椿号へ跳びつき、砲塔ごと抱きしめた。
「よくぞやった!」
「痛い、装甲と一緒に抱きしめないで!」
つばきがハッチから顔を出す。
「優勝祝いのお茶を準備しましょう」
「その前に車両点検!」とトモエ。
「その前にご飯です!」とすみれ。
「大鍋号に、百二十人分あります」と悠璃。
対戦を終えたモネルが歩いてきた。
白い競技服には、赤い染料が一筋ついている。
「完敗です」
彼女は澪へ手を差し出した。
「奇策だけではありませんでした。最後まで、全員の判断がつながっていた」
「ありがとう」
「ただし、索道を囮にする戦法は次回から規則で禁止されると思います」
「布団に続いて二つ目ですね」
「大鍋号による炊飯は」
「それは許してください」
「検討します」
二人は握手した。
その日の夕方、表彰式が終わるころには、連盟から強化指定校認定の連絡が届いた。
鋼花女塾は存続する。
古い格納庫も、鉄椿号も、大鍋号も残る。
帰りの輸送列車で、澪は窓際に座っていた。
隣には、優勝旗。
膝には、轟山から返された木札。
不撓と不屈。どちらを向けても、同じように前を向けと迫ってくる。
「澪ちゃん」
トモエが向かいの席から尋ねた。
「来年も、車長やってくれる?」
つばき、すみれ、悠璃も澪を見る。
誰も叫ばない。
誰も無理に腕章を巻かない。
澪は少し考えた。
競技が怖くなくなったわけではない。
砲撃音を聞けば、きっとまた胸が固くなる。
判断を間違えることもあるだろう。
けれど、怖いと言っていい場所がある。
間違えたとき、一緒に戻ってくれる仲間がいる。
なら、もう一度くらいは進める。
「条件があります」
澪は言った。
「滝行は禁止。丸太も禁止。燃える橋は絶対禁止。訓練計画は全部、私が確認します」
「了解!」
「それから、大鍋号は競技前日にちゃんと整備すること」
「炊飯前ではなく?」
「両方」
「了解!」
四人が笑った。
そのとき、隣の車両から轟山塾長の声が響いた。
「聞けい、鋼花女塾! 明朝六時より、優勝記念・鉄椿号人力曳航百里行軍を――」
「中止です!」
澪の声が、列車の最後尾まで届いた。
車内が静まり返る。
蚊にも負ける声の悠璃が、そっとつぶやいた。
「澪さん、声、大きくなりましたね」
澪は自分でも驚いて、それから笑った。
山の向こうに、朝より少しだけ明るい空が見えた。
鋼の花は、たぶんこうして咲くのだ。
根性だけでも、理屈だけでもなく。
怖さも弱さも全部積み込み、仲間の声を燃料にして、一歩ずつ前へ進む。
古い車両のように不格好で。
けれど、止まらずに。
了