第83話 第六章「閉じた扉の向こうの熱」前編

扉は、入る者を選ぶためにある。

 同時に、出る者を選ぶためにもある。

 城門は敵を外へ置き、牢門は囚人を内へ置く。病室の扉は感染を分け、寝室の扉は孤独を守る。

 どちら側が安全かは、扉には分からない。

 扉は命令された側を閉じる。

 その命令が古くても、外からでも、善意でも。

「壊して」

 密林班の上級生が言った。

「さっきは待機命令に従うって」

 マオは閉鎖扉の下へ膝をつき、隙間を測っていた。

「状況が変わった」

「なら、何が変わったか言って」

「中央も閉鎖された。救助が来ない」

「来ないと、まだ決まってない」

「君はどちらなんだ。待つのか、動くのか」

「条件で決める」

「それが遅い」

「二択にする方が雑」

 マオは装具の横から薄い定規を出した。

 扉の下、四ミリ。熱風は外から内へ。圧力差は強い。蝶番は正常。封鎖錠も正常。

 ロロが制御箱へ耳を当てる。

「一斉安全命令だ。中央からじゃねえ。外部保全回線。四区画ぜんぶの扉を、外側危険優先で閉じてる」

「解除できる?」

「機械的にはできる。解除した瞬間、向こうの熱がこっちへ来る」

「壊せるかを聞いた」

「壊すだけなら三十息」

「開けて生きられるかは」

「分からねえ」

「なら壊さない」

 上級生が苛立つ。

「君は閉じ込められる側だから、慎重になりすぎている」

 マオの声が丁寧になった。

「救助される側は判断できない、とおっしゃいましたか」

「そうは言っていない」

「言葉は違います。便利は同じです」

 彼女は立ち上がった。右肩へ荷重を寄せる。左股関節の痛みは三。まだ歩ける。走れない。

「私ができることを言います。低所水路は六人通過済み。残り三人。私は最後に通れる。摩擦固定はあと二回。扉の下へ楔を入れる役ができる。装具の工具で手動解除輪を回せる。できないことは、段差を飛び下りる、誰かを背負う、冷えた後に長く立つ」

 上級生は黙る。

「あなたができることを」

「……救難旗の掲示。担架。煙中誘導」

「旗は一つ?」

「二つ」

 赤い旗の下から、もう一本が出た。

 予備旗。

「それ、帳簿から消えてたやつ」

 ロロが言う。

「開始前に取った。湿地棚の避難窪地を示す旗が足りなかった。あとで申告するつもりだった」

「誰を守ろうとした?」

 マオが問う。

「煙で方向を失う一年生」

「取ったことは正しい?」

「必要だった」

「記録しなかったことは」

「……正しくない」

「別々に言えるなら、今は使える」

 マオは旗を受け取らず、上級生の手へ戻した。

「あなたが持って。私の代わりに高い所へ結んで」

「君を外すためでは」

「先に聞いたから、違う」

 救助とは、全員に同じ役を与えることではない。

 役を奪わず、違う役を作ることだった。

 人工の昼が消えた。

 中央炉の過負荷で天蓋灯が落ち、密林区画は突然、夜になった。

 外ではまだ朝である。

 だが庭園の中では、制度が定めた夜が来た。

 重力も少し傾いた。

 床に落ちた水滴が、扉の方ではなく左の壁へ流れる。

「下が移った」

 上級生が言う。

「下は移らない」

 ロロが訂正する。

「俺らが移ってる」

「言葉遊びしてる場合?」

「言葉を間違えると、工具の向きを間違える」

 マオは低所水路の先に臨時待避所を作らせた。

 救難布を壁面へ張る。今の重力方向に沿って、寝る場所を並べる。煙は上ではなく、斜め上へ溜まる。低い場所という言葉すら、更新が要る。

「椅子は使わない」

「なぜ」

「高さが合わない」

 マオは床を選んだ。

 普段からそうする。だが今回は、床が壁へ変わりかけている。

 ロロが工具箱を枕にしようとしたので、マオは取り上げた。

「硬いでしょう」

「工具が逃げない」

「頭が逃げる」

「どこへ」

「痛みのない方へ」

「それなら便利だ」

「不便。起きなくなる」

 煙を吸った一年生へ水を渡す。

 熱傷した生徒の布を替える。

 上級生は予備旗を待避所の入口へ結んだ。

 赤い布が、斜めの重力に垂れる。

 旗は風向だけでなく、今の下を示す道具になった。

「帳簿外の旗が、一番役に立ってる」

 ロロが言う。

「だから記録しなくていい、にはならない」

 マオは即答した。

「善意は、見つからなければ美談になる。見つかった時だけ不正になる。それ、ずるい」

「お前、言い方が刃物だな」

「刃物は切る場所を選べる」

「お前は?」

「練習中」

 通信筒が鳴った。

『密林班、応答』

 ティアの声。

「第一条さん」

『その呼称を正式記録へ入れないで』

「元・隊長さん」

『長くなっています』

「臨時七拍さん」

『マオ』

「聞こえてる」

 声が少しだけ柔らかくなった。

『人数』

「九人全員。六人を水路先へ。三人が扉側。熱傷一、煙吸入二。私の痛み三。固定あと二回」

『救助案を』

「扉は外からの一斉命令で閉鎖。壊せるけど、圧力差で熱が入る。解除するなら外側の排出を一時だけ切る必要がある。低所水路は中央保守壁まで通じる。壁の向こうへ人が来れば、工具を受け渡せる穴がある」

『誰が行ける』

「私」

『脚条件』

「低い場所なら速い。帰りに冷えると遅くなる」

『別の者は』

「肩幅で詰まる。ピコは行けるけど、輪を回せない」

『あなたが行く理由を、能力ではなく選択として確認する』

 マオは一拍、答えなかった。

「私がやる。やらせて、じゃない。私がやる。でも、戻る道を先に作って」

『受理。戻る道を先に作る』

「それから」

『何』

「命令するなら、私ができないから待て、じゃなくて、全員が危ないから待てって言って」

 通信の向こうで、短い息。

『訂正する。マオだけを外す待機命令は出さない。全員の危険条件を更新して決める』

「今のは合格」

『あなたは試験官ではない』

「今日は全員それ言う」