第94話 第十一章「事故報告書」後編

 責任範囲の申告が終わると、セレナは演壇を降りた。

「次は、権限を持たなかった者の証言です」

 傍聴席の後方で、フィンとサラが同時に立ち、同時に譲り、同時に座りかけた。

「どちらからでも」とセレナ。

「では私が」と二人。

「仲がいいな」とカイル。

「悪いです」と二人。

 フィンが先に演壇へ来た。

 氷原で救護布の外周を支えた一年生。右手の二本に凍傷用の薄布を巻いている。

「私の証言は、新聞に名前を出して構いません。ただし家名と住所は出さないでください」

「理由を」

「親が学院を辞めさせるかもしれない。事故があったからではなく、私が事故の場にいたことを近所に知られるのを嫌がるから」

「受理。公開範囲を分けます」

「私は、救護布が滑った時、ティアさんの命令を待ちました」

 ティアの肩が少し動く。

「でも、あの時のティアさんには命令権がなかった。知りませんでした。声が一番はっきりしていたから従った」

「それを問題と思う?」と監査官。

「今は。現場では助かった。でも、声が大きい人が間違っていたら、同じように従うと思う」

「なら全員が命令章を確認すべきだった」

「回転している庭園で、胸章を見る余裕がありますか」

 監査官が黙る。

「私は、命令章の色を知りませんでした。授業で習うのは二年です。事故は一年にも起きます」

 ティアが手を上げた。

「私の報告へ追加してください。権限返上後も、口調と過去の地位によって事実上の指揮力が残った。返上は章を外すだけでは不十分」

「ではどうする」とオルト。

「発言の冒頭で『提案』『報告』『命令』を分ける。命令権のない者が命令形を使う場合、理由を添える」

 マオが首を傾ける。

「危機で全部言える?」

「一語にする。『報告、青旗側へ滑る』。『提案、三点支持』。『命令、全員伏せる』」

「短い。合格」

「まだあなたは――」

「そのやり取りも報告書に入れますか」とセレナ。

「入れないでください」と二人。

 サラは演壇へ、濡れた靴を持ってきた。

「証拠品?」

「生活品です」

 靴底には、青い砂と密林の赤土が同時に詰まっている。

「事故後、救護所で『どの区画にいたか』を聞かれました。氷原と答えたら、密林の煙吸入検査を受けられませんでした」

 医務教官が顔を上げる。

「名簿では氷原班だった」

「回転した後、密林の煙の中を通りました」

「申告は」

「しました。受付票に区画を一つしか書く欄がなかった」

 サラは靴を机へ置く。

「私は間違った区画を選んだんですか」

「いいえ」とリディア。「票が間違っていた」

「でも受付の人は、票どおりにした」

「その人も正常に」

 ロロが苦い顔をする。

「もうその言葉、聞きたくねえ」

「聞かなくて済むよう直す」とリディア。

 事故は、落下が止まった瞬間に終わっていない。

 名簿、受付票、保険区分、欠席記録。災害後の制度は、動いた人間を平時の箱へ戻そうとする。

 箱からはみ出した移動は、治療からも補償からも落ちる。

「検査は受けた?」とセレナ。

「マオさんが靴を見せろと言って、密林班の列へ入れてくれました」

 マオが肩をすくめる。

「土は名簿を読まない」

「平易版として採用」とセレナ。

「本当に?」

「『所属区画ではなく曝露履歴で診療する』の横へ」

「それならいい」

 次に立ったのは、砂漠区画の教官補だった。

 両手の火傷は薄布に覆われている。

「私は冷却水を増やした。後悔しています」

 記者が身を乗り出す。

「判断を誤ったと認める?」

「違う」

 教官補は、言葉を探した。

「同じ表示、同じ避難路、同じ時間なら、また開けると思います。開けなければ砂丘下の生徒が埋まった。だから、自分の判断だけを後悔しているのではない」

「では何を」

「開けた後、中央が受けると思って終えたことです。中央がどこへ捨てるかを知らなかった。知らなくてよい規則だった。それを便利だと思っていた」

「責任逃れでは」

「逃げない。私が開けた水は事故へ入った。だが『二度と開けません』とは約束しない。それを約束したら、次の生徒を埋める」

 講堂が静まる。

 反省とは、同じ行為を二度としないと誓うことではない。

 同じ状況に見える時、前回より一つ多く見えるようにすることである。

「次回は何を確認する」とオルト。

「排出先。隣区画の状態。表示時刻。それが確認できなければ、開けると同時に音声短報を出す」

「誰に許可を取る」

「生徒が埋まるまで待てない。緊急開弁権は残してほしい。ただし開弁後の共有を義務にする」

「受理」

 ティアは教官補へ向き直った。

「あなたを処罰すべきだと、私は事故直後に考えました」

「今は」

「処罰の可否と、緊急権をどう設計するかを分けます」

「許す?」

「私に許す権利はありません」

「それでいい」

 下面区救難組合から来た老女は、資料を一枚も持っていなかった。

「死者がいないから大事故ではない、と外では言われている」

 低い声だった。

「私らの組合は、死者の数で鐘を鳴らす。零なら鳴らさない。今回は鳴らさなかった」

「規則どおり」と監査官。

「だから町は知らなかった。学院下面に四季が落ちかけ、救難索が切れ、九人が扉に閉じ込められたことを」

「不安を広げる必要は」

「不安は、知らせなければ消えるのかい」

 老女は傍聴席を見回した。

「死者の鐘だけでは遅い。落ちかけた鐘を作れ」

「落ちかけた鐘?」とハル。

「死ななかったから学べる事故を、町へ知らせる鐘さ。大騒ぎにせず、忘れもせず」

 ドランが帳簿へ書く。

「警報等級を増やすと費用が」

「また金かい」

「金を付けなければ鳴らない。鐘番、通信、記録、全部人が要る」

「なら費用まで書け。安全は無料の善意で回すな」

 ドランは眼鏡を押し上げた。

「その意見には全面的に賛成する」

「若いのに話が分かる」

「金の話だけで評価しないでくれ」

「金を軽く見ない若者は、命も無料扱いしにくい」

 ドランは返事をしなかった。

 褒められた時、彼は請求書を出すより困る。

 最後に、証言を拒んだ二名の席が空いたまま残された。

 セレナはその空席を指ささなかった。

 理由も読まなかった。

「証言しない選択がありました」とだけ記録した。

 誰もが事件を物語へ変えたいわけではない。

 体験を共有することが癒やしになる者もいれば、共有しないことで自分の輪郭を守る者もいる。

 報告書へ欠けた声があることは、報告書の失敗ではない。

 欠けた理由を勝手に埋めないなら、それも正確さの一部である。

 セレナは四区画模型の前へ戻った。

「以上の証言を、設備改訂だけでなく、指揮、診療、公開、補償の改訂へ反映します」

 改訂案は、九項目になった。

 一。四区画をまたぐ複合試験を、実機停止なしの縮尺訓練圏で定期実施する。

 二。共通データには測定時刻と受信時刻を併記し、三分平均値を瞬時値と同じ表示にしない。

 三。手動操作は自動送信に加え、音声で全区画へ短報する。

 四。安全装置が危険をどこへ移すかを、作動表示へ明記する。「安全排出中」ではなく「中央へ熱排出中」と書く。

 五。飛行禁止時には、身体条件の異なる者が使える地上・低所・待機の三経路を同時に示す。

 六。一斉安全命令は二鍵承認と送信者印を必須とし、旧式外部回線を物理的に遮断する。

 七。救難指揮権は一定拍ごとに再承認し、現場班から異議を一つ以上受け取る。

 八。負傷・痛み・能力代償の申告は、撤退だけでなく役割変更へ使う。申告者を自動的に現場から外さない。

 九。無断持出しを防ぐだけでなく、緊急利用を記録できる事後申告箱を設ける。

「十個目」

 マオが言った。

「説明を平易に」

「それは全項目へ適用」とセレナ。

「書いて」

「第十。規則、警報、報告書には、十三歳が読めない語を使う場合、同じ場所へ平易な説明を付す」

「年齢で決めるな。読む人で決めて」

「訂正。利用者が理解できる説明を、同じ場所へ付す」

「合格」

「あなたは試験官ではありません」

「今日だけで何回目?」

 誰も数えていなかった。

 ドランだけは数えていたが、言わなかった。

 夕刻。

 セレナは空になった講堂で、報告書の表題を書いた。

『王立星航学院嵐庭園・複合気候救難試験事故』

 次に、副題を消した。

 最初は『四季崩落事件』と書いていた。

 事件という語は、犯人を期待させる。

 崩落という語は、落ちた結果だけを示す。

 代わりに一行。

『局所的に合理的な複数判断と、出所不明の基幹命令が同一方向へ作用した因果事故』

 長い。

 だが短くしてはいけないものもある。

 最後の頁へ、未解決事項を記す。

『八時十一分五十九秒の遠隔命令。旧式基幹保全書式。送信者印は熱損傷。現時点で送信者、意図、侵入経路を特定できず』

 その下へ。

『本未解決事項は、当事故の全責任を未知の送信者へ移す根拠としない』

 セレナは筆を置いた。

 犯人逮捕はなかった。

 英雄叙勲も、その日はなかった。

 運用改訂と、監査継続が決まった。

 それは物語として地味である。

 人が次に死なないための決着は、たいてい地味だった。