第93話 第十一章「事故報告書」前編

歴史は、勝者が書くと言われる。

 事故報告書は、生存者が書く。

 その二つは似ている。

 死者は訂正できず、負傷者は会議へ来られず、現場を知らない者ほど整った結論を好む。

 火の中では一分だった迷いが、紙の上では一行になる。

 盾の裏で折れた肋骨が、「軽傷」とまとめられる。

 九人を救った規則違反が、成功という結果だけで正当化される。

 逆に、誰も死ななかった事故は、事故ではなかったかのように扱われる。

 記録する者が最初に守るべきものは、評判ではない。

 出来事が、あとから都合のよい物語へ変形するのを防ぐことである。

「『王太子と落下少年、四季の崩壊を救う』」

 セレナ・クロウは朝刊を読み上げた。

「見出しとしては景気がいいな」

 カイルが寝台から答える。

「事実としては景気が悪いです」

 学院医務棟。

 カイルの右腕は肩から手首まで冷却布で巻かれ、肋骨には固定帯。左膝にも熱が残っている。起き上がる許可は出ていない。

 それでも彼は新聞を欲しがった。

 セレナは渡さず、証拠品を読むように一字ずつ読んでいる。

「次。『公爵令嬢の一筆が奇跡の道を描いた』」

 隣の椅子でエリアの右眉が上がる。

「一筆ではありません。三十七回、線を消しました」

「消した線は記事にならない」

「だから記事は地図より危険なのよ」

「続けます。『風紀隊長、命令を破り決死の突入』」

 壁際に立つティアが言った。

「私は風紀隊長ではありません」

「訂正要求を出します」

「『決死』も。死ぬつもりはなかった」

 マオが低い椅子を自分の高さへ調整しながら言う。

「『障害を負う少女を抱えて救出』は?」

 セレナは紙を一枚めくった。

「あります」

「誰が誰を抱えたの」

「記事ではティアがあなたを」

「腕を借りた。抱えられてない。装具も壊れてない。障害を負う少女って、名前はどこ」

「ありません」

「私が人物じゃなく、感動の道具になってる」

 マオの言葉が鋭くなる。

「訂正して。名前、年齢、何ができて何を選んだか。装具を勝手に悲劇へするな」

「記録します」

「新聞へも」

「送ります」

 ロロが寝台の下から顔を出した。

「俺の名前は?」

「『小柄な整備生』」

「修理工!」

「学院上の身分は仮入学生です」

「じゃあ『請求権を持つ仮入学生』にしろ!」

「記事へ請求権はありません」

「弁箱、三枚。ピコの嘴、一本。補助腕の油、二缶。調査費――」

「明細を提出してください」

「もう出した!」

 ドランが窓際から紙束を掲げる。

「提出先の費目が誤っている。『英雄活動経費』ではなく『訓練設備緊急保全費』だ。英雄を費目にするな、年度末に削減できなくなる」

 全員がドランを見る。

「何だ」

「いいこと言った」とハル。

「当然だ。英雄予算など作れば、英雄が必要な事故を減らす動機が消える」

「もっといいこと言った」

「褒めるな。帳簿が濁る」

 セレナは新聞を畳んだ。

「本日の公開検証では、新聞記事を証拠として扱いません」

「当たり前では」とエリア。

「当たり前を最初に記すのが報告書です」

 王立星航学院の大講堂は、裁判所ではない。

 しかし、その日は裁判所より多くの人がいた。

 学院生、教師、整備員、保護者、王国監査官、下面区の救難組合、新聞記者。傍聴席の後方には、嵐庭園で使われていた給水弁と三分遅延板が、封印糸のまま置かれている。

 中央には四区画の縮尺模型。

 砂漠、氷原、密林、雷雲。

 模型の中央だけが、黒く焦げていた。

 セレナは演壇へ立った。

 左目の単眼鏡を押す。

「星律官セレナ・クロウ。検証の目的を述べます」

 広間が静まる。

「第一。誰が称賛されるべきかを決めない。第二。誰を処罰すれば安心できるかを決めない。第三。八時十一分五十九秒から庭園停止まで、何が起き、何が見えず、何を変えれば同じ因果を断てるかを記録する」

 記者の一人が手を上げた。

「犯人を特定しないのですか」

「特定可能な証拠があればします。欲しい結論を先に犯人と呼びません」

「遠隔命令は人為でしょう」

「人為である可能性は高い。送信者は不明。さらに、その一行だけで全事故は発生しません」

「では事故だった?」

「人為か事故かの二択を拒否します」

 セレナは黒羽を一枚、模型の上へ放つ。

「事実だけを」

 羽が開き、時刻を映した。

『八時八分。試験開始五分前。外気三十二度』

「密林制御盤は、この測定値を三分移動平均として八時十一分に受信しました。遅延設定は前年の雷雲区画誤作動六件を防止するため、学院整備会議で承認されています」

 整備主任が立つ。

「私が提案しました」

「目的を」

「瞬間冷却による境界停止を防ぐため」

「他区画へ同じ数値が配られることを」

「把握していました」

「異なる制御へ使われることを」

「知っていました」

「同時異常試験は」

「行っていません」

「理由」

「四区画同時異常は訓練条件外。試験費が単独試験の十二倍。設備停止が三日必要だった」

 傍聴席でざわめき。

「費用を理由に安全を省いた」と記者。

 ドランがすぐ立つ。

「省いたと断定するな。予算の選択だ。問うべきは、十二倍が妥当か、代替試験があったか、承認者が残余危険を誰へ説明したかだ」

「侯爵家の擁護か」

「数字の擁護だ。家名を出すなら、我が家の監査費も公開する」

 セレナが木槌を一度鳴らす。

「発言は順番に。ドラン・グランデの指摘を記録。単独試験の合格が複合条件を保証しないことは、当事故の中心事実です」

 次の羽。

『八時十一分五十九秒。基幹保全優先。全区画同期、中央排出、外周閉鎖』

「送信経路は学院外部保全回線。書式は旧式。送信者印の領域だけが熱損傷し、復元不能」

「意図的に焼いた?」

「断定しません。過負荷で焼けた可能性も、送信時に欠落していた可能性もあります」

 ハルは傍聴席で羅針盤の蓋を一度弾いた。

 セレナは見たが、意味を求めなかった。

「この命令の効果は三つ。排出周期を同時化。外周扉を一斉閉鎖。中央炉を優先受け皿へ設定」

「それが犯人の仕掛けでは」

 別の監査官。

「効果の一部です」

 セレナはリディアを見る。

「学院長。事故条件を限定再現する訓練圏〈リハーサル・フィールド〉の使用同意を確認」

 リディアが演壇横へ進む。

「模型設備だけ。人間の痛み、恐怖、判断は再現しない。結果を『実際ならこうしたはず』という人物評価へ使わない。それで同意を得ています」

「異議」

 マオが手を上げる。

「模型の結果を、現場の人が愚かだった証明にしないこと。あと説明文を平易に」

「受理」

 リディアは左手の三指を模型へかざす。

 白金の膜が講堂中央へ広がる。

 実害を完全には消せない術である。今回は人を入れず、縮尺模型の水、熱、電荷だけを一拍遅らせる。

「第一再現。遠隔命令あり。手動開弁なし。加熱なし。弁閉鎖なし。飛行禁止なし」

 模型の四区画が同時排出へ切り替わる。

 中央炉は一時的に上昇するが、許容量五十二で止まった。

「遠隔命令だけでは、庭園は剥離しません」

 記録。

「第二再現。遠隔命令なし。実際の局所操作を同時刻に実施」

 砂漠開弁。

 氷原加熱。

 密林逆流閉鎖。

 雷雲飛行禁止と境界強化。

 排出周期はずれている。

 中央炉は六十四まで上がり、密林火災と氷原蒸気噴出が起きた。外周扉の一部も閉じる。

「遠隔命令がなくても、複数の負傷事故は発生した可能性が高い」

 ざわめきが変わった。

 悪い誰か一人を捕らえればよい、という期待が剥がれる音だった。

「第三再現。遠隔命令と局所操作を実施」

 模型の中央が黒く染まり、四基盤の留め輪が外れる。

「実際の因果へ最も近い。遠隔命令は危機を増幅し、局所操作は負荷を供給し、三分遅延は各装置の認識をずらし、区画間の情報欠如が修正を遅らせた」

 セレナは模型を止める。

「単独犯のいない因果事故。だから誰も責任を負わない、ではありません」

「私が責任を負う」

 最初に言ったのはリディアだった。

「学院長として、複合試験を行わず訓練を実施した。外部保全回線を旧規格のまま残した。待機命令が密林班の退避路を失わせた」

 ティアが立つ。

「待機命令を破ったのは私です」

「命令を出したのは私」

「違反を選んだのは私」

「二人とも、責任を独占しないで」

 マオの声。

「責任を取るって言う人ほど、他の人を話から外す」

 講堂が静かになる。

「私たちは救助される側だった。解除条件を決めた。ロロは順番を出した。エリアは流向を見た。オルト先生は全班案にした。ティアは来た。学院長は止めた。全部ある。誰か一人が『私の責任』って持っていくと、次にまた本人抜きで決める」

 ティアはゆっくり座った。

「訂正します。私の責任範囲を述べる。臨時規律権限を返上し、命令不服従を選択した。判断根拠と危険幅を記録した。成功したため違反を消すことには反対する」

「処分を求める?」

「審査を求めます。処分ありきではなく」

 オルトが立つ。

「私の範囲。開始時、今は一つにする指揮を優先し、各班の異なる情報を中央で共有する手順を持たなかった。待機解除の理由を三十息ごとに更新したが、更新先が私一人だった。危機で権限を集中させすぎた」

「それでも指揮集中は必要だった」と教官の一人。

「必要と無制限は違う」

 オルトは耳の鉄輪へ触れた。

「号令へ七拍の期限を付けた。次は指揮権自体にも、再承認時刻を付ける」

 リディア。

「私の範囲。『失敗してよい範囲』を作ったつもりで、複合失敗を範囲外へ置いた。範囲外を起こらないものとして扱った」

「学院長辞任を?」と記者。

「辞任すれば設備が直るなら、今すぐ辞めるわ」

 声は穏やかだった。

「辞任は責任の一形態であって、修理方法ではない。監査が必要と判断すれば従う。同時に、明日から直すべきものを列挙する」

 カイルが包帯の腕を上げた。

「俺の範囲も」

「医務室にいるはずです」とセレナ。

「王太子に壁は効かん」

「無断離床を記録」

「それも含めて頼む。盾で三人を守った。盾熱を境界へ追加した。痛みを最初に偽った。次回は能力使用前に、熱排出先と交代条件を指揮へ申告する」

「次回を前提にしないでください」

「事故を?」

「無断離床を」

「そこか」

 笑いが起きた。

 セレナは木槌を鳴らさなかった。

 緊張を和らげる笑いと、責任を薄める笑いは違う。今のものは前者だった。

 ハルが手を上げる。

「俺は、犯人を探してた」

「行動責任として記録します」

「針も音も使わなかった。でも、誰か一人にひびが鳴れば簡単だと思ってた。誰も鳴らなくて、やっと質問が間違いだって分かった」

「零星針の不使用を功績にしますか」と記者。

「しないで。使わないのは普通のことにしたい」

 エリアが横で頷いた。

「私の範囲。完成した地図を一方的に渡す癖が、非常時に現場の訂正を遅らせる可能性がある。今回は空白を共有し、報告で更新した。今後の路図訓練へ双方向確認を必須にする」

 ロロ。

「俺の範囲。単独点検で全部正常だから通した。機械が壊れてないことと、組み合わせが安全なことを分けて請求――じゃない、記録しなかった」

「請求はあとで」とドラン。

「お前は俺の母親か!」

「会計係だ!」

「もっと怖い!」

 ドランは自分の紙を開いた。

「私の範囲。予備旗一つの欠品を事件発生まで見抜けなかった。ただし、持ち出した上級生は避難窪地を示すため使用し、実際に六名の方向喪失を防いだ。無断持出しと有効利用は別々に記録する。今後は緊急持出し箱を設け、使用後申告を許す」

「侯爵家では――って言わないの?」とハル。

「家名は在庫を数えない」

「成長した」

「採点するな!」

 最後にセレナ自身が演壇へ戻る。

「私の責任範囲。負傷者の痛みと時刻を記録した。一方で、救出直後の聞き取りに同意確認が不足した者が二名。記録を優先し、休息を遅らせた。証羽二枚を本人希望により封印し、公開版から除外する」

 単眼鏡を外す。

 左目の薄い瘢痕が、広間へ見えた。

「正確な記録は、すべてを公開することではありません。誰が見られるかを決める権利も、当事者にあります」