第96話 第十二章「遠隔命令の焼け跡」後編

 実地訓練では、誰も一斉に同じ道を通らなかった。

 赤緑を見分けにくい生徒は、旗の形を読む。

 片耳の整備員は、警報具を見える位置へ置く。

 接触が苦手な者は、肩の代わりに救難棒を介して誘導される。

 マオは低い板の下を先行し、出口側から高さを報告する。

 ティアは命令しない。

 提案と報告だけ。

「青三角路、幅六十。マオ通過済み。次、誰が選ぶ?」

「私」と翼具生。

「理由」

「翼を畳めば肩幅五十五。高所路は雷警報役に譲る」

「受理」

「誰も行かなかったら?」とハル。

 見学に来ていた。

「別の路を作る」とティア。

「ティアが行けって言わない?」

「今は言えません」

「言えないから、別案が出る」

「不便でもあります」

「不便は失敗?」

「いいえ。費用」

「ドランっぽい」

「必要な費用です」

 訓練は予定の二倍かかった。

 全員が通過した。

 最後に、参加者はティアを採点した。

『説明が長い』十二票。

『言い直しが早い』九票。

『顔が怖い』七票。

『失敗を隠さない』十四票。

『また参加してもよい』十一票。

『条件付き』六票。

「全員、次も参加する」とハル。

「条件付きは賛成ではない」

「でも、拒否でもない」

「ええ」

 ティアは票を胸章の代わりに持ち帰らなかった。

 紙は参加者の前で破棄した。

 残したのは、制度へ移す四つの条件だけ。

 資格停止が終われば、彼女は再び権限を持つかもしれない。

 だから今、権限なしで何ができるかを覚える。

 マオは旧荷捌き場を出る時、黄色い袖布を指した。

「似合う」

「感想から始めましたね」

「用件。次の訓練、私が一つ作る」

「どんな」

「助ける側が、助けられる側の条件を当てる試験」

「当てる?」

「わざと間違わせる。本人へ聞かないと合格できない」

「採用したい」

「私は試験官になる」

「そこが目的ですか」

「半分」

 二人は別々の寮へ帰った。

 翌日には、別々の課題が待っている。

 ティアは資格停止中の異議審査。

 マオは奨学金の装具更新面談。

 ハルたちと一緒に世界を救わない日にも、彼女たちの物語は進んでいた。

 遠隔命令の書式を見た時、ヴィエル・ノクティスは最初に時刻を見た。

「八時十一分五十九秒」

 王都拘置塔、第五面会室。

 厚い透明壁の向こうで、仮面の男は椅子へ座っている。象牙色の仮面の右半分には黒い樹枝痕。杖は壁へ預けられ、手袋を外す順番まで監視官が記録していた。

 面会者はセレナ、ハル、エリア、ロロ。

 ノクスは入口で座り、自分から入らなかった。

「時刻に意味が?」

 セレナが問う。

「正刻の一秒前。旧基幹書式は、命令時刻を次の正分へ丸める運用が多い。記録上は八時十二分開始となる」

「操作記録と同時刻に見せるため?」

「可能性の一つ。あるいは単に古い自動処理」

「この書式を使える組織」

 ヴィエルは仮面の銀眼を細めた。

「王国基幹整備局。旧軍船団。王立学院群。公爵領の大型星脈炉。廃止前の王室救難網。正規鍵を保管していれば、さらに枝組織」

「多い」とハル。

「古い規格とは、多くの人が忘れた規格ではない。多くの設備が、忘れられないまま使っている規格だ」

「あなたは使える?」

「理論上」

「拘置中でも?」

「現実的に不可能だ。そう答えれば安心するか、少年」

「しない。できない証拠が欲しい」

「正しい」

 ヴィエルは時刻表を戻す。

「私の拘置記録、監視誓紋、面会室封鎖、能力抑制輪。星律官が既に確認したはずだ」

「確認済み」とセレナ。

「では私は候補から除ける。ただし、私が過去に設計へ関与した回線が転用された可能性は残る」

「自分をまた入れるの?」とハル。

「事実上の関与と当日の操作は別だ。君たちが今回学んだことだろう」

 ロロが透明壁へ書式図を貼る。

「送信者印だけ焼けてる。過負荷でそこだけ焼けるか?」

「印域は暗号鍵の展開時に最も熱を持つ。古い絶縁ならあり得る」

「わざと消した可能性は」

「ある」

「どっちだ」

「分からない」

 ヴィエルは間を置かなかった。

 彼は万能な情報源ではない。

 知らないことを知っているふりで支配する男でもない。

「書式末尾の欠けた符号」

 エリアが指す。

「学院規格?」

「基幹保全規格の共通終端。学院だけではない」

「更新部品との関係は」

「部品を見なければ答えられない」

 ロロが銀板の写しを出す。

 ヴィエルの仮面が、わずかに傾いた。

「新しい」

「何年前」

「製造刻印は今年。設計思想は古い。一つの観測値を複数設備へ共有し、中央で最適化する」

「それが危険?」

 ハル。

「中央が全体を知っていれば効率的だ」

「知らなかったら」

「効率よく間違える」

「あなた好みだな」

 空気が硬くなる。

 ヴィエルは怒らなかった。

「そうだ」

 短い文。

「私は長く、全体を知る者を減らすことで安全を作ろうとした。知る者が誤れば、誤りも集中する。君たちの事故は別の原因だが、同じ弱点を持つ」

「誰が送ったか、分からない?」

「分からない」

「候補を絞れない?」

「書式だけでは、絞った気になるだけだ」

 ハルは羅針盤の蓋を弾かなかった。

 答えを持っていない人へ、答えを出せと迫ることは、尋問であって推理ではない。

「じゃあ、今分かるのは」

「旧規格を知る者が、正規または複製鍵で命令した可能性。印域は故意にも事故にも焼け得る。命令は事故を増幅したが、局所判断なしでは同じ結果にならない」

「報告書と同じ」

「報告書が正確なのだろう」

「役に立たないな」

「真実は、役に立つために存在しない」

「でも役に立てたい」

「それが君の仕事だ、少年」

 面会終了鐘が鳴った。

 ヴィエルは最後に、ハルではなくエリアを見た。

「地図を完成させなかったそうだな」

「誰から聞いたの」

「新聞は、消した線を書かなかった。報告書は書いた」

「だから?」

「完成していない全体図を、公爵家の者が共有した。小さいが、歴史的には珍しい」

「歴史に褒められるためではない」

「歴史は、本人の目的を聞かない」

「なら訂正線を残す」

 ヴィエルの銀眼が、ほんの少し細くなった。

「そうするといい」

 ドランの在庫監査は、面会の翌朝まで続いた。

 救難旗十五。

 配布十二。

 予備三。

 一つは密林班上級生が緊急持出し。

 使用後返却。

 割り留め二百四十。

 二個をピコが一時持出し。

 一個は扉軸応急固定に使用。

 一個はピコの腹から回収。

「一時持出しではない。窃取だ」

 ロロが言う。

「返却と用途が確認され、所有意思が機械鳥にあるか法的に未確定」

 セレナが答える。

「法が鳥に負けてる」

『ピ』

「誇るな!」

 そして、更新部品。

 境界外気象共通化板、四枚。

 嵐庭園へ今年導入。

 同じ製造番号帯の部品が、学院倉庫に八枚残っていた。

 ドランは納入先一覧を追う。

「この八枚、用途変更済みだ」

「どこへ」とエリア。

「白環杯〈ホワイト・カップ〉の競技結界」

 机の上に、白い封書が置かれた。

 学院対抗星航競走。

 複数校の生徒が、王都上空の白い環状航路を巡る競技。速度だけでなく、障害回避、救難、航路判断を競う。

 封蝋は学院連盟のもの。

「同じ部品だから危険、とは限らない」

 ロロが先に言った。

「用途も接続先も違う。嵐庭園の事故品は壊れてない。競技結界でどう使うか調べる」

「遠隔命令回線は」

「一覧では新規遮断済み。でも現物を見る」

「監査を申請する」とドラン。

「会計係が競技へ?」

「部品は走らん。人が走る前に数える」

 白環杯用の部品箱は、開ける前に三つの部署を呼んだ。

 学院整備課。

 競技連盟監査室。

 王都航路安全局。

「多い」とハル。

「少ない」とドラン。「同じ箱を三者が見る。誰か一者が『正常』と言って終わらせないためだ」

「全員が責任を押しつけるかも」

「だから署名欄を分ける。検査者、承認者、用途決定者」

「箱を開けるだけで政治になるのね」とエリア。

「物を買う時点で政治だ。誰の金で、誰が危険を引き受け、誰が安さの利益を受けるか」

 ロロは封印糸を切らず、三者の印がそろうまで工具箱へ座っていた。

 四本の補助腕は暇を持て余し、一本がピコを追い、一本が自分の前髪を直し、一本が箱の寸法を測り、一本が請求書の余白へ歯車を描く。

「まだ?」

「競技連盟の立会人が階段を上がってる」とドラン。

「下面昇降機を使え」

「事故点検中」

「正常?」

「正常に停止中」

「その言い方やめろ!」

 ようやく三者がそろい、封印が切られた。

 銀色の板が八枚。

 嵐庭園で使われた境界外気象共通化板と、形は同じ。

 だが端子数が二つ少なく、裏面へ白い環の刻印がある。

「同じ物じゃない」とロロ。

「製造番号帯は同じ」とドラン。

「兄弟みたいなもんだ。顔は似てても仕事が違う」

「兄弟は危険性も似る?」とハル。

「家族で機械を説明すんな。設計の共通部を見る」

 ロロは一枚を透明台へ固定した。

「嵐庭園版は、外気平均値を十二装置へ配る。こっちは競技結界の風速、視界、電荷を三つの門へ配る」

「中央へ全部集める?」

「集めるが、中央排出はない。競技者へ警告を出すだけ」

「なら安全?」

「まだ言うな」

 ロロの声が本気で怒る時、専門用語が増える。

「入力値の平均化時間、三分。競技一周の最短が四分。つまり、先頭走者が見た危険を、次の走者への警告へ使う頃には、場所が変わってる可能性がある」

「危険を見逃す?」

「逆もある。もう消えた乱気流を警告し続ける」

「止まった人が損」とハル。

「競技なら順位。救難なら到着時刻」

 競技連盟の立会人が腕を組む。

「瞬時値は誤警報が多い。去年、観客避難を三回出し、競技が中断した」

「三分平均にした理由」とエリア。

「観客の混乱を減らすため」

「何を守った?」とハル。

 立会人は、問いの形に戸惑った。

「観客。競技運営。無用な中断」

「何を知らない?」

「今年の新航路で、乱気流の移動速度が上がるかもしれない」

「予想する次の状態は」

「警告数が前年の半分」

「安全が上がる、ではないのね」とエリア。

「測れる目標を置いた」

「警告を減らす目標が、危険を減らす目標の代わりになっている」

 立会人は黙った。

 数字は、目標の代理人として便利である。

 危険そのものは数えにくい。

 警告の回数は数えやすい。

 そこで人は、警告が減れば危険も減ったことにする。

 静かな町が安全とは限らない。

 鐘を外した町も静かである。

「瞬時値と平均値を同時表示」とエリア。

「競技者が混乱する」と立会人。

「入口は一つ、奥で二つ。平易表示は『今の風』『三分の風』」

「三分の風、とは」

「直近三分の平均」とロロ。「専門札に正式文。競技者札は短く」

「表示を増やす費用」とドラン。

「一門あたり四十八ルク。三門、予備込み二百」と連盟。

「競技中止一回の返金は」

「千二百」

「採用した方が安い」

「会計だけで決めるのか」と立会人。

「安全条件を満たす案が複数あるなら、続けられる費用で決める。安全条件を満たさない安案は比較対象に入れない」

 ドランは計算札を裏返した。

「なお部品交換だけでなく、警告を受けた現場から『外れた』と返せる通信が要る」

「双方向」とエリア。

「地図だけじゃなく、結界も」とハル。

「全設備へ会話させるな」とロロ。「返答先が増えすぎる。門ごとに一人、現場確認役」

「人件費」とドラン。

「またか!」

「無料の善意で立たせるな。事故の時だけ学生へ任せれば、訓練外の判断を無償で買うことになる」

 競技連盟立会人は、長く息を吐いた。

「白環杯は学院の名誉を競う大会だ」

「名誉は給料を払わない」とマオ。

 いつの間にか箱の反対側へいた。

「参加者へ安全確認をさせるなら、競技評価と分けて。止まって確認した人が順位で損をして、救難点で少し戻す方式はだめ」

「救難点がある」

「命を点で買い戻すな」

「では競技にならない」

「競技を続けるために人がいるの?」

 立会人の顔が硬くなる。

 カイルが医務棟から通信鏡で割り込んだ。

『競技は人のためだ、と王子らしく言ってやろうか』

「安静中でしょう」とセレナの声。

『寝ながら政治をしている』

「政治は安静になりません」

『では短く。救難行動を順位損失にしない中断規則を作れ。救助者と救助対象の時計を止める』

「全競技を止めるのですか」と立会人。

『全体でなく関係走者だけ。再出発時刻は現場確認役が記録。王室杯の航馬競走で同じ方式がある』

 ドランが目を細める。

「王室杯は審判買収問題が」

『そこまで似せるな』

「制度は長所だけ移植できない。監査も付ける」

『任せる』

「殿下、勝手に任命を」

『友人へ相談した』

「承諾していない」

『では頼む』

 ドランは一拍黙る。

「監査費を請求する」

『受理』

「王子が受理するな、連盟が払う!」

 白環杯の部品は、危険だと断定されなかった。

 安全だとも認定されなかった。

『使用条件付き』

 三者の札が箱へ付く。

 一。瞬時値と平均値を分離表示。

 二。現場確認役を有償配置。

 三。警告外れを返す双方向短報。

 四。救難中の順位時計を個別停止。

 五。旧式遠隔一斉命令回線との物理非接続を実機確認。

「五が一番大事」とハル。

「五だけ見れば、別の事故を見落とす」とロロ。

「全部大事?」

「大事の列は、順番が変わる」

 箱が閉じられる。

 今度の封印糸は白。

 危険物の赤でも、検査済みの青でもない。

 条件が満たされるまで、結論を保留する色だった。

 ハルは白い封書を開いた。

 出場候補者名。

 エリア・ルーンベルグ。

 カイル・アークレイ。

 ロロ・ピクス。

 そして。

 凪野ハル。

 ただし名前の横に、赤い条件書きがある。

『期限付き仮入学生につき、白環杯完走および救難評価を正式星航資格審査の一部とする』

「完走できなかったら?」

 ハルが聞く。

 リディアは二つの時計を見た。

「仮入学期限の延長はしない」

「正式資格が取れない」

「現行規則では」

「事故で庭を止めても?」

「事故救難は試験ではない。功績を資格の代わりにすれば、危険へ飛び込める者だけが学生になれる」

「それは正しい」

「不満そうね」

「正しいから不満」

「よくあることよ」

 エリアが封書を覗く。

「白環杯は一人で走る競技ではない」

「地図は完成させる?」

「現場から訂正を受ける」

「俺が道を間違えたら」

「報告して」

「エリアが間違えたら」

「訂正して」

「カイルが痛みを隠したら」

「セレナがいる」

 治療室から声が飛んだ。

「俺は出場許可がまだだぞ!」

「安静!」

 セレナの声も飛ぶ。

 ロロが白環杯用部品の箱を叩いた。

「まず現物監査。競技結界が正常でも、組み合わせを見る」

「修理代は」とハル。

「競技連盟に請求する!」

「参加費から引かれる?」

「お前の参加費、学院持ちだろ!」

「得した」

「資格落ちたら損だ!」

「じゃあ走る」

 ハルは封書を折り、配達鞄へ入れた。

 羅針盤の隣。

 零星針は動かなかった。

 今は何も失われていない。

 道はまだ始まってすらいない。

 学院下面では、吊られた嵐庭園が朝日に照らされている。

 四つの季節は停止中。修理班の声だけが、砂漠、氷原、密林、雷雲を行き来する。

 事故の焼け跡は残っていた。

 送信者印は読めない。

 同じ更新部品は、次の競技場にも使われる。

 それ以上は、まだ誰も知らない。

 ハルは白い環の描かれた招待状をもう一度見た。

「正式学生になるのに、また落ちたらどうする?」

 エリアが聞く。

「今度は、落ちる前に帰り道を決める」

「少しは学んだのね」

「かなり」

「評価は競技後」

「採点するの?」

「私は試験官ではないわ」

「今回いちばん聞いた台詞だ」

 ノクスが二本の尾で、二人の靴を同じ方向へ押した。

 今日の下。

 今日の出口。

 今日、出発する向き。

 道は、まだ白紙だった。

              第四巻 了