第138話 第九章「宝石ではなく重さ」後編
ロロは模型へ、時間を足した。
六の鐘、二十四分。
グラウスが危険予約を申請。
六の鐘、二十六分。
上層第一倉庫船の喫水が上がり始める。
二十七分。
第二、第三倉庫船。
二十八分。
市場船の索張力上昇。
二十九分。
最下層浮力炉へ最初の追加負担。
三十一分。
第一税関金庫の登録荷重計が零になり、警報。
「警報は最後だ」とハル。
「そう」とロロ。「金庫の荷重が一瞬で消えたんじゃない。親札から子札へ分けて、順番に下へ流した。全部抜けた時、計器が零になって鳴った」
「保険申請は始める前」
「始める直前。親札を打つ人間は、いつ零になるか分かる」
「船体の感触で予測したんじゃない」とエリア。
「操作予定を知ってた」
「決定打は」とカイル。
「親札の新しい打ち粉。子札百枚の穴順。上から下へ変わった喫水の時間差。申請時刻」
「四つ」
「どれか一つじゃ足りない。全部が同じ順番を言ってる」
機械は正直だ。
紙も、書かれた時刻だけは正直である。
穴は、開けられた順序を残す。
船は、支えさせられた重さの分だけ沈む。
人間だけが、それぞれを別の話にしようとする。
セレナは証拠を全港放送へ流すことを提案した。
グラウスの裁定所は拒否した。
そこでカイルが、王太子の身分を使った。
「王国命令?」とハル。
「違う。放送回線を借りる」
「払えるの」
「王室信用」
「ここで一番安いって」
「だから前払いだ」
カイルは自分の深紅の半マントから、王家の星金留め具を外した。
「これを担保に」
通信商は目を丸くする。
「本物か」
「偽物なら、王太子を名乗る罪も付けて返してくれ」
「王子が担保を出すのか」
「顔は信用にならないらしい」
「景気が悪いな」
「その台詞、取るな!」
回線が開いた。
ロロは模型の前へ立たされた。
「俺が喋るの?」
「作った人が一番正確」とハル。
「説明下手って言っただろ!」
「四回目なら分かる」
「お前だけだ!」
「全港に四回言えば」
「回線料が四倍!」
「そこ?」
放送灯が点く。
自由港じゅうの伝声筒へ、ロロの声が流れる。
『箱の中に宝石はある。物理の重さもある。盗まれたのは、共同浮力網で誰がそれを支えるか決める登録だ』
彼は、模型を言葉へ変える。
箱。
宝石。
量札。
共同網。
上層船が軽くなった時間。
下層船が沈んだ時間。
親札の穴。
偽札の穴。
事故前の保険申請。
途中で言葉が速くなる。
息が切れる。
喘息の咳が一度出る。
ハルが水を差し出そうとする。
ロロは手で止めた。
「自分で言う」
小声。
そして回線へ戻る。
『誰か一人が九百六十七単位の物を盗んだんじゃない。上の船が払うはずだった負担を、異議を言えない船へ百枚に分けて押し付けた。下の船は事故の原因じゃない。事故の支払い先にされた』
港のあちこちで、伝声筒の前へ人が集まる。
登録船主。
市場の店主。
灰服の下働き。
船名を持たない住民。
『量札の付け替えを止めるには、親札を確保する。子札を一斉に抜くな。上へ同量を戻すな。いまの船ごとの強さを測って、一時的に負担を分け直す。その間、切離しを止める』
「それ、方法まである?」とハルが小声で聞く。
「今から作る!」とロロも小声で返す。
「放送中!」
『聞こえてるぞ!』と知らない船主の声が回線へ入った。
「双方向なのか!」
『最初に言え!』
『うちの炉は二十単位まで持つ!』
『下層へ回していい、ただし船首側だけだ!』
『白帆医療船は三以上無理!』
『第四十九――いや、数にない船だ。名前は《泥靴》。五単位なら受ける!』
『誰が払う!』
『後で決めろ!』
『後で決めたら押し付けられる!』
『先に死ぬよりいい!』
声が衝突する。
エリアが回線へ入る。
『負担上限と条件を分けて申告してください。今受けられる量。受ける時間。人員移動の可否。後日の精算希望。分からない項目は分からないと』
『全部書けない!』
『言葉で構いません。こちらで読み返し、確認します』
『信用できるか!』
『できないなら、別の記録役を選んでください』
『選ぶ時間が!』
『選ばず、私へ任せる選択もあります。ただし撤回可能です』
ミラがいれば、そこへ値段を付けただろう。
ハルは思った。
そして、彼女がいない時にも、彼女の問いが会話へ残っていると気づいた。
無料は、負担の形を隠す。
だから今、誰が何をするかを言葉へ出す。
作戦は、七枚の紙になった。
一、セレナ。
証拠原本の保全。親札確保後、打ち粉と穴順を現場で確認。撤退条件は、証羽の連続記録が切れた時。
二、ロロ。
共同浮力網の仮配分盤を作る。子札を一枚ずつ無効化し、負担を空へ落とさず暫定索へ移す。撤退条件は、炉温が赤域を越えた時。
三、エリア。
全船の現在強度と申告上限を立体路図へ載せる。一つの最適解ではなく、三案を常時維持。撤退条件は、呼吸四、踵四。
「数字が同じ」とハル。
「分かりやすくしました」
「本当は」
「呼吸三で交代を申請。四なら強制中止」
「先に言えた」
「いま言いました」
四、カイル。
切離し刃の進行阻止。王盾は残り一回を三十秒以内。盾が切れたら物理索へ移る。
「半回使ったから、半回では」とカイル。
「切り上げ」と全員。
「王族の端数が!」
五、ジル。
下層六層の係留索を等張結びへ組み替える。危険時、ミラではなく現場船長の撤退命令を優先。
「船長が戻っても?」とジル。
「戻った場合」とセレナ。
「戻る」とハル。
「観測事実ではありません」
「作戦上の前提」
「希望です」
「希望も前提にできる」
「撤回条件を書いてください」
「……鈴線が十分途絶えたら、救助班を送る」
「誰が」
「俺」
「肩」
「四なら行かない」
「三で交代」
「交渉?」
「条件」
「成立」
六、ハル。
各層の量札中継器へ仮札を届ける。零星針は使用しない。走行路が切れたら、エリアの第二案へ。左肩四で中止。
七、パルとノクス。
「私も?」
「最下層の非公式経路案内」とエリア。「ただし危険区画へ入るかは、都度あなたが決める」
「断ったら」
「別路を探す」
「遅れる」
「その責任を、あなた一人へ置きません」
「報酬」
「一経路一食。加えて、本人が望む場合だけ、共同修理帳へ案内労働として記載」
「望まないと」
「食事だけ」
「後で減らさない?」
「減らしません」
「ノクスは」
「干し魚三枚」
「ノゥ!」
「四だって」とハル。
「値上げ係をやめろ!」
パルは考え、三つの結び目を作った。
「成立」
最後の紙。
ミラ。
空欄。
「何を書く」とセレナ。
「親札を確保して戻る」とハル。
「本人が合意していません」
「じゃあ、観測された役割。金庫内部の確認、証拠送付」
「撤退条件は」
「分からない」
「書けません」
ジルが紙を取った。
『船長。自分の値段は自分で決めろ。ただし船を沈める額は却下』
それだけ書く。
「契約?」とパル。
「悪口だ」とジル。
「違い」
「返事を要求しない」
鈴線が鳴った。
短く一回。
長く二回。
短く三回。
ジルが訳す。
「親札、確認。分割済み。主弁、港主室」
「主弁?」とハル。
ロロの顔から血の気が引く。
「共同浮力網の中央遮断弁」
「切ったら」
「船ごとの浮力炉は残る。でも負担を分ける網が切れる。量札記録も、現在の配分も、一度全部ばらばらになる」
「証拠消し」とセレナ。
「それだけじゃない」とロロ。
模型の四本の紐を、まとめて持ち上げる。
「今、下層は共同網から余分な浮力を受けて、ぎりぎり落下を遅らせてる。上層も軽くなりすぎて姿勢制御を網へ預けてる。中央を切れば――」
全港放送に、グラウスの声が入った。
『不正な外部介入により、共同浮力網の安全が失われた。港主権限により、中央網を停止する』
「待て!」とロロ。
『各登録船は独立浮力へ移行せよ。無登録接続は切離す』
「今切ったら全部――」
音がした。
町全体の奥で、巨大な綱が一本、緩む音。
共同浮力網〈フロート・プール〉が切れた。
最初に、机の木箱が浮いた。
重力が消えたのではない。
机も、人も、部屋も、同じ速さで落ち始めたからだ。
水差しが空中へ離れる。
量札が舞う。
パルの匙が、ゆっくり回る。
「自由落下!」とロロ。
自由港は自由を名乗った。
その瞬間だけ、千隻すべてが、本当に何からも支えられなくなった。