第184話 第八章「王家の声」後編

 王冠台の通信盤が点灯した。

『王都中枢接続。現王アルノー・アークレイ』

 ハルがカイルを見る。

「父親?」

「王だ」

「今はどっち」

「聞くまで分からん」

 カイルが認証片を押す。

 音声だけが届いた。

 映像はない。

『カイル』

 低い声。

 慎重さが、呼吸の間にもある。

「父上」

『状況は星律局から受けた。自由港まで二時間を切った。旧軍令権で全艦を停止し、現行王国軍の管理下へ置け』

 命令は短い。

 理由が後から来る。

 父子は、似ている。

 似ている箇所ほど互いに嫌う。

「停止後の権限終了日は」

『今は定められない』

「管理者は」

『王国軍務院』

「自由港の参加は」

『事態収束後に協議する』

「艦隊の乗員記録は」

『保全する』

「所有権は」

『旧王家資産として王国へ復帰させる。砲弾が飛んでいる時に財産論をするな』

 正論だった。

 正論は、正しいから危険である。

 間違いなら拒みやすい。正しい一歩の先に、戻れない百歩が続く時、人は最初の一歩だけを指して全体を正当化する。

「三分だけ止める。その間に別の方法を試す」

『失敗すればヴェインが落ちる』

「王国へ編入すれば、自由港は艦隊の標的から王国軍の管理対象へ変わるだけだ」

『言葉を選べ』

「選んでいます」

『民を救うために必要な権限を使え。王位とは、嫌な権限だけ拒む地位ではない』

「分かっている」

『では』

「使った後、返せるのか」

 沈黙。

 父王は嘘を言わない。

 だから沈黙が長い。

『議会と協議する』

「返す日を今、言えない」

『砲撃下で恒久法を決めるな』

「砲撃下で恒久権限を取れと言っている」

『取らねば死者が出る』

「その通りです」

 カイルは右籠手を左拳で叩かない。

 衝動ではなく、言葉を選ぶ。

「父上。俺は停止権を使う。だが艦隊を王家の軍へはしない」

『代案を』

「今から作る」

『作れなければ』

「俺が責任を負う」

『その言葉を、王子が一番安く使うな』

 カイルは息を止めた。

 父王は、彼の悪癖を知っている。

 責任を負うと言いながら、身体を壊すことで支払いを済ませる悪癖を。

『責任は傷ではない。結果の後も職に残り、説明し、訂正することだ』

「……はい」

『お前が何を捨てるにせよ、捨てた後を誰かへ押しつけるな』

 通信は切れない。

 父王は命令を撤回しない。

 カイルも同意しない。

 親子の会話は、成立でも終了でもない。

 保留である。

 ただし、砲弾は保留を待たない。

 尖塔へ、仲間の声が次々に入る。

『自由港射程まで一時間四十七分』とエリア。

『二十一本、代行爪の順序は全部取った! 逆に回せる可能性はある! 可能性だから修理代は成功報酬じゃなく時間報酬だ!』とロロ。

『民間証人なら私が署名する』とミラ。

「空賊の署名で足りるか?」

『空賊だから軍籍外。法が嫌がる条件ほど、今回は使える』

『紙が濡れたら何が残る』とジル。

『音声証言、結び目、港の掲示板、住民投票。四重に残す』とミラ。

『今のお前、動けねえぞ』

『動けない人間が証人になれない法律なら、その法律から先に盗む』

 セレナの声が入る。

『星律官として手続を確認しました。放棄は可能です。ただし対象を明示してください。王家の現行防衛権全体ではなく、旧王家艦隊へ自動継承される世襲軍令権。曖昧な宣言は無効になります』

「曖昧さが王家の得意技なんだが」

『今日は不得意になってください』

『カイル』とエリア。

「何だ」

『あなたが権限を手放した後、最後の艦が止まる保証はない』

「分かってる」

『逆順再生も未検証。二つとも失敗する可能性がある』

「分かってる」

『分かっている、では足りない。失敗した場合、ヴェインへの衝突をどう止める』

 カイルは尖塔の古星図を見る。

 艦隊の速度。

 自由港の位置。

 カンティレーナの翼鯨ラナ。

 ゼロスター号の残帆。

 停泊索。

 王盾。

「最後の一艦まで輪を切れなければ、俺が進路を受ける」

『盾で?』

「ああ」

『却下』

「即答だな」

『あなたは今朝、一度展開している。二度目は人数が増えるほど強くなるけれど、返る痛みも増える。自由港全域を守れば、肋骨だけでは済まない』

「じゃあ何がある」

『船首をずらす。推力を奪う。停泊索を分散する。翼鯨の上昇流を使う。王盾は最後の破片だけ』

「俺が守る人数を減らすのか」

『守る方法を増やすのよ』

 カイルは目を閉じた。

 母イレーネは、大勢を守る盾を一人で張った。

 国はそれを立派な犠牲と呼んだ。

 幼いカイルは、その言葉を褒め言葉として覚えた。

 後で、呪いだと知った。

 それでも身体は、危機になると同じ形を選ぶ。

 自分一人を代金にすれば、計算が簡単だから。

「了解」と彼は言った。

『復唱を』

「王盾を主手段にしない。俺一人の身体を撤退条件の外へ置かない」

『それでいい』

「厳しいな」

『生き残ったら苦情を受ける』

「検討するだけか?」

『却下する』

 通信の向こうで、ハルが笑った。

 カイルも少し笑う。

 笑えるうちに決める。

 王冠台には、命令を出す手形の他に、細い環があった。

 声を全艦へ均等に届けるための発声輪。

 ただし認証には、尖塔内部だけでは足りない。

 金属板の注記。

『王家の声は、戦列の全艦から可視かつ可聴なる中心点にて発すること』

「わざわざ外?」とハル。

「偽物が安全な地下から命令できないようにした」

「本物なら撃たれていい?」

「昔の王家は、勇気と防弾を混同してた」

「今は?」

「防弾はロロへ頼む」

 尖塔の上に、円形の露台がある。

 二十一艦の砲撃線が交わる中心。

 軍令を出す者が、自分の命令で何が飛ぶか見える場所。

 美しい理念である。

 美しい理念は、実務上たいてい危険だ。

 露台へ続く扉を開けると、風が喉へ入った。

 霧は薄れ、艦隊の全形が見える。

 二十一隻。

 人のいない旧軍船団〈ゴースト・フリート〉

 砲門が開く。

 すべての船が、同じ一人を見た。

『王嗣統監。中央認証線へ』

 床へ、白い一本線が光る。

 カイルが踏み出そうとする。

 ハルが袖を掴んだ。

「待て」

「時間がない」

「だから聞く」

「何を」

「停止した後、お前は何をする」

「軍令権を――」

「言葉じゃなくて、お前」

 風が赤金の髪を乱す。

「王家の声がなくなったら、王子じゃなくなると思ってる?」

 カイルは冗談を探した。

 苺。

 焼き肉。

 市場の串。

 どれも出てこない。

「少し」と言った。

「少し?」

「王子でない俺を、国が必要とするかは分からん」

「国は知らない」

「お前、国を一言で振ったな」

「俺は必要」

「盾が?」

「お前が」

 短い。

 飾りがない。

 約束でもない。

 必要という言葉は、所有と近い。

 だからハルは続ける。

「でも、必要だから命令していいとは言わない。残るかどうかも、お前が決めろ」

 カイルは左手で、ハルの肩へ触れた。

 私的な慰めをする時の手。

「それ、王子へ言う台詞じゃないぞ」

「王子じゃないお前へ言った」

「まだ王子だ」

「じゃ半分」

「算数を気合で通すな」

 砲門が旋回する。

 エリアの声。

『認証線へ入れば全艦の照準が一度、カイルへ集中する。停止句の発声まで十二秒。ハルは線の外。王盾の展開は禁止』

「禁止?」とカイル。

『盾を張ると声紋が炎音で乱れる』

「都合よく英雄をさせてくれないな」

『英雄ではなく発声者になって』

 セレナ。

『宣言前に確認します。自由意思ですか』

「ああ」

『強要、欺罔、負傷による判断能力の低下は』

「負傷はある。判断はできる」

『撤回できます』

「今はしない」

 ミラ。

『その権限、手放した後に売れないぞ』

「買う気だったか?」

『値段を知りたかった』

「いくらだ」

『高すぎて市場が壊れる。つまり値段を付けるべきじゃない』

「空賊らしくない答えだ」

『怪我すると趣味が悪くなる』

 ジル。

『元からだ』

 ロロ。

『十二秒だけ止めろ! その間に輪の歯を逆へ噛ませる準備をする! 永久停止の宣言はまだ出すな! 順序を間違えると、権限だけ消えて筒が最終命令へ落ちる!』

「分かった」

 カイルは白い線へ立った。

 二十一艦の砲口が、一斉に彼へ向く。

 人のいない甲板。

 帰れなかったかもしれない兵士の手紙。

 子供の絵。

 大きすぎる太陽。

 王家の声より、ぼくの声を聞いて。

 カイルは深く息を吸う。

 肋骨が痛む。

 痛みを決断の証拠にはしない。

「王嗣統監カイル・アークレイ」

 全艦が答える。

『声紋一致』

「旧王家艦隊へ命ずる」

 砲撃まで、九秒。

「全艦――停止」

 八秒。

 王家の声が、霧を裂いた。

 七秒。

 砲口が止まる。

 六秒。

 帆が畳まれる。

 五秒。

 二十一隻の巨体が、初めて同じ沈黙へ入る。

 四秒。

 ロロが叫ぶ。

『今だ! 輪を逆に噛ませる!』

 三秒。

 カイルの前に、二つの選択が灯る。

『軍編入』

『一巡後、代行復帰』

 永久停止は、まだない。

 声を持つか。

 輪へ返すか。

 その二つしかないように作られた機械へ、第三の言葉を入れなければならない。

 カイルは白線の中央で、次の発声を待った。