第210話 第九章「本物の裏切り顔」後編
作戦を続けるかどうかは、ミラとハルだけで決めなかった。
秘密を作った二人が謝り、傷ついた一人が参加すると言えば、全員の同意になるわけではない。
通信鐘を外へ開く。
「計画の秘匿内容を公開します」とセレナ。「敵へ渡った行動は偽装。ハル本人には知らされず、反応を利用しました。契約原本の拒否権は有効。現時点で、全参加者は継続、撤退、保留を選び直せます」
外輪へ声が走る。
返事はすぐ来ない。
台風が速いからではない。
船長たちが考えている。
最初にジル。
『ミラ。私にも、ハルへ知らせないと決めた時刻を隠したな』
「作戦内容は共有した。決定時刻は言わなかった」
『何で』
「止めると思った」
『止めた』
「だから」
『だから先に外した』
「そう」
『船団を、私の知らねえ船長判断で使ったな』
「使った」
ジルの沈黙。
銅笛が一度だけ鳴る。
『私は続ける。ミラの命令だからじゃねえ。今撤退しても、最大加速が来れば外輪船が危ない。船団は私が持つ。お前の信号と衝突したら、私が今の風を選ぶ』
「契約どおり」
『その契約を盾にするな。今、選び直した』
ミラの顔がわずかに下がる。
「分かった」
次、ロロ。
「俺は怒ってる」
「何に」とミラ。
「冷たい帆骨を勝手に仕込んだ。機械の故障に見せた。俺が原因を見誤ったら、次から本物の冷却異常を疑うのが遅れる」
「観測鳥へ見せる必要が」
「説明は聞いた。免責にならねえ」
「分かってる」
「修理費」
「請求して」
「金で終わらせるな!」
「では」
「金も払え! その上で、次は機械へ偽故障を作る前に整備担当の拒否条件を決める!」
「続ける?」
「台風止める機械を、途中で放るか!」
「理由が仕事」とパル。
「悪いか!」
「いい」
パルは自分の番を待たない。
「私は続ける。記録を見る」
「ミラを許す?」とハル。
「私、知らない役なかった」
「でも」
「ハルが怒ってるの、私が許すか決めない」
「正しい」
「ミラ」
「何」
「私を使う時、子どもだから言わないの、なし」
「今回は全て共有している」
「今後」
「提案、保留」
ハルが言う。
「真似した」
「便利」
「利息」
「後で」
パルは六本指を開く。
「今は続ける」
カイル。
「俺は、王家の欠片を取り戻すためだけなら撤退する」
「何で」とハル。
「王家の物だと断定できない。王家由来の可能性がある共同保管物だ。俺が欲しがるほど、収庫監の『所有者は記録で決まる』を強くする」
「じゃ続けない?」
「職員家族の連結記録と、自由港の原簿を外へ出すために続ける。欠片はその範囲で確保」
「王子らしくない」とミラ。
「今は共同保管者だ」
「逃げた?」とハル。
「選んだ」
セレナ。
「私は続けます。ただし全原簿の無差別持ち出しには反対。対象限定、位置保全、私的情報の封印を維持します」
「時間がない」とミラ。
「時間がなくても、他人の秘密を戦利品にしません」
「敵の罪を証明する資料も」
「必要範囲。『悪い組織だから全部見てよい』という権限は認めない」
「面倒」
「秘密にした側の費用です」
第二章の言葉を返す。
ミラは受ける。
「分かった」
エリア。
皆が見る。
「私は続けます」
ハルが何も言わない。
「理由は」とセレナ。
「台風最大加速が起きれば、撤退路も危険になる。今の蓄勢網は救難路にもなる。止める作戦を完遂した方が、外輪の全船が生きて出られる可能性が高い」
「ハルへのことは」とパル。
「別に残す」
「今、続ける理由へ混ぜない?」
「混ぜません」
「よし」
最後にノクス。
誰も翻訳しない。
黒い小獣は通信鐘の上へ乗り、試験室の方向ではなく、外の船団へ二本尾を向ける。
それからハルの配達鞄へ入る。
「参加?」とカイル。
「本人が決める」とハル。
「今の行動は」
「鞄を使う許可だけ取られた」
ノクスが耳を噛む。
「逆?」
「翻訳しないで」
全員が選び直す。
同じ「続ける」でも、理由は違う。
ミラを信じた者だけが残ったのではない。
怒った者。
仕事を守る者。
記録を見たい者。
外輪の船を救いたい者。
共同作戦とは、同じ心になることではない。
違う理由のまま、同じ時刻へ動ける条件を作ることである。
「全部の作戦」とハル。
ミラが説明する。
「第一。私が敵側へ移り、風盗上限七を確認させる」
「済み」
「第二。試験で盗った勢いを、要塞の蓄勢管から外のモーション・バンクへ抜く。敵は私の身体と要塞側の帆骨だけを測る。内側が冷たい導管は見ない」
「訓練の六番も、その試験?」とロロ。
「旧軍規格の二重管を使えるか確かめた」
「俺に言え!」
「言ったら観測鳥に顔が出る」
「顔で機械の仕組みが漏れるか!」
「ロロは隠し事すると工具を三回落とす」とパル。
「落とさねえ!」
「昨日四回」
「滑った!」
「今後、先に聞く」とミラ。
「今後の提案、保留!」とハル。
「お前が言うな!」とロロ。
少しだけ笑いが戻る。
ハルはまだ笑わない。
「第三」とミラ。「外の全帆を勢いの置き場にする。私は台風の回転を七以内ずつ切り取って、止めずに外へ渡す」
「切り取る順」とエリア。
「内輪から外輪へ。急に中心だけ止めると、要塞が折れる」
「第四。各帆が別の上限へ同じ瞬間に到達」
「なぜ同時」とカイル。
「一枚でも先に満杯になると、勢いがそこから跳ね返る」とロロ。「台風へ戻れば、止まらない。船へ戻れば帆が裂ける」
「第五」とエリア。「静止時間、一・五拍。金庫の同期だけを外す。要塞外壁は歯車の慣性で少し進む。金庫は台風とともに止まる」
「金庫を置き去りにする」とハル。
「空の中へ」とミラ。
「その後」
「要塞が再加速する前に、外壁側の扉から入る。原簿と欠片を確保。私の単独艇で離脱」
「全員で」とハル。
「全員は重い」
「じゃ、入る人数を決める」
「私、セレナ、パル」とミラ。
「パル?」
「自分の記録を見る権利がある」
パルは首の布を押さえる。
「見る。持つかは見て決める」
「ハルは外」とミラ。
「何で」
「左肩。扉分離時の横加速」
「腰索で」
「父の署名がある」
ハルが止まる。
「見せない?」
「見たいなら入る。身体条件は変わらない」
「選べるように言って」
「入れば左肩へ二回の全身荷重可能性。外なら救助路保持。署名はセレナが現状複写できる。ただし自分で見ないことになる」
「入る」
「即答するな」とエリア。
「見たい」
「肩」
「日常は平気」
「一腕吊りは禁止」
「二本索」
「分離衝撃は予測不能」
「じゃ外」
ハルは言い直す。
皆が少し驚く。
「見たいけど、外。セレナが写して。分からないって書いて」
「記録します」とセレナ。
「父さんだって決めない」
「その判断も」
「それは書かなくていい」
「記憶します」
「また!」
「職業です」
ハルは外の役割を選ぶ。
できないから外されるのではない。
条件を聞き、自分で外を選ぶ。
「期限」と彼。
エリアが時計輪を出す。
「準備十二分。同期開始から停止まで七十秒。静止一・五拍。金庫内滞在九十秒。再加速前に全員離脱」
「撤退条件」とハル。
「参加帆三十五未満」とロロ。
「同期誤差、一拍の三分の一以上」とエリア。
「ミラの痛み四、風鈴高音消失、蓄勢通過が七を越えた場合」とセレナ。
「金庫内で職員または滞在者を確認した場合、物品を捨て救助」とカイル。
「外輪船一隻でも操舵不能なら、近隣二隻が作戦から抜け救助」とジルの声。
「俺」とハル。「誰かが『保留』って言ったら」
「一度停止して条件再確認」とエリア。
「時間なくても」
「時間がなければ撤退」
「成立」とミラ。
ハルは彼女を見る。
「今のは使っていい」
「値段」
「一回」
「安い」
「値上げしない」
ミラの口元が少し動く。
作戦を言葉で共有した後、彼らは一度だけ、台風を盗まない試験をした。
各帆へ、船を動かさないほど小さい勢いを送る。
〇・一単位。
力の試験ではない。
時刻の試験。
「中央鐘、一回」とエリア。
パルが鐘棒を握る。
「誰の今?」
「ここから送る今です」
「外の船、後で聞く」
「遅延は計算します」
「嵐、計算どおり?」
「だから測る」
「測った時と本番、同じ?」
エリアは一拍止まる。
「同じではありません」
「じゃ、今を送るの、変」
「変でも必要」とロロ。「代わりがねえ」
パルは鐘を叩く。
ゴン。
通信索を通じ、外へ合図が走る。
第一帆が〇・一を受ける。
「返答!」
『ゼロスター仮設一、受領!』
次。
『旧艦二、受領!』
次。
次。
返事は列にならない。
近い船が先とは限らない。
外輪の強風に乗った音が、内輪より早く来る。
索の古い船は、一度たわんで遅れる。
無人帆の熱札は、温度が上がってから伝羽を飛ばすため、さらに遅い。
「最大差、二・一秒」とロロ。
「一拍より長い」とカイル。
「中央鐘で同時は無理」とハル。
「今の風なら」とエリア。
「本番で変わる」とパル。
「分かっています」
エリアは返答時刻を地図へ書く。
だが、線が多すぎる。
距離。
風向。
索の材質。
帆骨の温度。
船長が鐘を聞いてから手を動かす時間。
人間の反応まで数字へすれば、地図は一枚に収まる。
収まった瞬間、人間が地図の誤差へなる。
「反応時間を一律〇・四」と彼女。
『うちは爺さんだ、〇・八!』と外から声。
『こっちは補助腕、〇・二!』
『俺は怖いから一秒待つ!』
「待つのを誤差へしないで」とハル。
「では申告値へ」
「毎回怖さ、同じ?」とパル。
また止まる。
「同じではありません」
パルは試験で戻ってきた細い通信索を、床へ並べる。
早く届いた索は短く折る。
遅い索は長く。
途中で詰まった索には、大きな輪を一つ。
「何してる」とロロ。
「覚える」
「地図に書いた」
「地図、風で飛ぶ」
「索も飛ぶ!」
「結び目、触れる」
パルは六本指で、三つの違う結びを作る。
エリアが見る。
「船ごとに開始合図を変える?」
「開始、同じにしない」
「到達を同じにする」とハル。
パルは頷く。
答えは出ていない。
ただ、中央の一声で全員を同じ時刻へ動かす発想が、ここで一度壊れた。
セレナが記録する。
「試験結果。単一信号による同期は不成立。次の計画は未決」
「未決って書くと、失敗?」とハル。
「未決は、決まっていないことです」
「負けてない?」
「勝ってもいません」
「景気悪い」
「正確です」
ミラが、返答索の一本へ触れる。
「もう一つ試す?」
「帆骨へ熱が残る」とロロ。
「じゃ本番で合わせる」
「無茶」
「今までの計画より?」
「比較対象が悪い!」
ハルはミラを見る。
「これ以上、俺が知らない役は」
「ない」
「エリア」
「ありません」
「知らない危険は」
「あります。台風の変化、要塞の追加機構、各船の故障。隠している危険ではなく、まだ分からない危険」
「分からないって、最初から言って」
「今、言いました」
「次から」
「はい」
返答索の結び目が、床の振動で一つだけ動いた。
中央鐘は鳴っていない。
外の船が、自分の判断で現在値を送り返した音だった。
収庫監は、彼らの会話を全て聞いていたわけではない。
だが、要塞内の蓄勢管に異常な外向き流れがあることを知った。
彼は台風機関室へ入る。
中央へ、三百年使われていない赤い輪。
『最大徴収』
旧戦時規定。
敵対船が要塞資産を奪おうとした場合、台風の回転を増し、接近物から運動量を強制徴収する。
かつては船団を止めるための装置だった。
今は台風そのものを加速させる。
「外輪船を排除」と収庫監。
若い職員がためらう。
「現在、避難船も混在」
「未登録船は敵対分類」
「職員家族を乗せた艇があります」
「勤務離脱者は登録停止」
「人です」
「分類を守れ」
収庫監は赤い輪へ黒い人差し指を置く。
押す。
台風の音が、一段低くなる。
低くなるのは、遠くなったからではない。
巨大なものが速くなりすぎ、個々の風音が一つの唸りへ重なったためである。
通信鐘室の路図が、一斉に歪む。
「風速上昇!」とエリア。
「何パーセント!」
「十二、十四、まだ上がる!」
外の船から悲鳴。
『曳航枠三、索切断!』
『旧艦五番、外へ流れる!』
『右帆が持たねえ!』
ジルの銅笛が四回。
『全船、鼻を外へ! 回転へ逆らうな! 弾かれる方向を選べ!』
ゼロスター号の仮設帆骨が橙へ変わる。
まだ作戦を始めていない。
台風が先に最大加速した。
「準備時間、消えた」とロロ。
「撤退?」とカイル。
エリアは路図を見る。
全船が外へ弾かれている。
今撤退しても、外輪を越えるまでに帆が持たない船がある。
「撤退路も同じ危険」と彼女。
「じゃ選べない」とハル。
「選ぶ」とミラ。
「何を」
「失敗の形」
ミラは風鈴を七つ鳴らす。
今度は全て聞こえる。
「作戦開始を前倒し。準備しながら盗る」
「同期誤差!」とロロ。
「走りながら合わせる」
「帆が先に壊れる!」
「壊れる順を変える」
「どうやって」
「私が先に外へ出る」
「痛み三」とハル。
「三。継続可能」
「誰が決める」
「私」
「次の申告」
「四で縮小、五で中断」
「今決めた?」
「前から」
「黒い所」
「なし」
ハルは頷く。
「行く」
台風が要塞も船も空も一つの巨大な車輪へ変える。
人々は外へ弾かれる。
計画は、紙の上から吹き飛ばされた。
残ったのは、共有された役割と、撤退できない現実と、まだ許されていない怒りだけだった。