第236話 第十章「井戸を先に救う」後編

 作業が始まった。

 ロロが石輪の継ぎ目を爆ぜさせる。

 爆破ではない。

 古い樹脂だけを瞬間加熱し、膨張差で割る。

「一番! 外せ!」

 ティルカ兵が青い光拍へ合わせ、石片を持ち上げる。

 重い。

 十人で一片。

「二番、待て!」

 緑の光拍。

 ラウガの樹医たちが濾過根へ湿布を巻く。

「白、右路!」

 オルバ群が根橋の結びを外し、国土獣が別方向へ抜けられるようにする。

 ガンガは鐘棍を胸へ当てる。

 生物の心拍を束ねる咆哮〈ハート・ハウル〉

 いつもなら、近くの拍を一つへ寄せる。

 今は逆にする。

 ルムの恐怖。

 マドラの痛み。

 シドの疲労。

 一つの「逃げろ」にしない。

「ルム、左の水匂い」

 一拍を左へ返す。

「マドラ、低く。止まらなくていい」

 別の拍を中央へ。

「シド、右へ離れろ」

 三つ目。

 胸が裂けそうになる。

 群れを束ねる方が簡単だ。

 違いを保つには、三つを三つのまま聞き続ける必要がある。

「二」とガンガ。

 頭痛。

 自分で言った。

 ネムの光は三色。

 まだ混ざらない。

 国土獣が別々に進路を変える。

 ルムは北の空き地へ。

 シドは南の広い根海へ。

 マドラは速度を落とし、井戸を運ぶ時間を作る。

 居住区へ集中していた巨大な影が、三方向へほどけていく。

「成功?」とハル。

「途中」とエリア。

 石輪の三片が外れる。

 濾過根の菌床籠が持ち上がる。

 青苦砂の袋が、ティルカ貯水区から滑車で届く。

「誰が持ってきた」とアビナ。

 青装兵が言う。

「住民です。許可を待たなかった」

「倉庫印は」

「後で責任を取ると」

 ラウガ兵が袋を受け取る。

「敵国の資材を触るな!」

「今は虫除けだ!」

「記録を!」とセレナ。

「全部残します!」

「誰が何袋、どの井戸へ!」

「細かい!」

「後で奪ったと言わせないためです!」

 アビナが自分の印章を外した。

 袋の封へ押す。

「ティルカから共同水場への一時貸与」

 ベグが樹符を重ねる。

「ラウガが運搬と菌床を負担」

「返却条件は」

「水で返せない」

「砂で」

「収穫後」

「時期を」

「季節が動く」

「またそれか」

「季節で決める」

 争いながら、二人は同じ袋を持った。

 新しい水場の場所は、ラナとペルの間へ作った。

 正確には、どちらの背にも置かない。

 二頭が近づく季節だけ架かる太い根橋の中央へ、浮き台を吊るす。

「橋が外れたら」とハル。

「水場も移す」とエリア。

「井戸が歩く」

「最初から歩いていました」

「今度は自覚的に?」

「はい」

 ロロが浮き台の支柱を固定する。

「一頭へ所有させねえ。両側から索を一本ずつ。片方が切っても落ちないよう、下へ第三の吊索」

「第三は誰」とカイル。

 避難列を整理し終え、遅れて現場へ来た。

「オルバ群」とガンガ。

「三者共同?」

「違う。三つの責任」

「言い方が重要か」

「一つへすると、誰かが代表になる」

「王候補がそれを言うのか」

「王候補だから言う」

 ハダンが鼻を鳴らす。

「口だけは王より先になった」

「褒めた?」

「保留だ」

 最初の運搬は、失敗した。

 石輪の第一片を担ぎ棒へ載せた瞬間、ティルカ兵が「一、二」と号令し、ラウガ兵が「長、短、短」と足拍を取った。

 同じ速度へしようとして、互いに相手へ合わせる。

 青側が遅くする。

 緑側も遅くする。

 全体が止まった。

「重い!」

「そちらが持て!」

「持っている!」

 担ぎ棒が中央から沈む。

 石輪片が傾き、根橋の縁へ滑った。

「離せ!」と青装隊長。

「離すな!」と緑装隊長。

 二つの命令が同時に出る。

 片側が手を放し、片側が抱えた。

 石輪が回転した。

 下は雲。

 ハルが飛びつく。

「肩!」とエリア。

「腰!」

 彼は腰索を担ぎ棒へ巻き、身体を根橋の反対側へ投げる。

 石輪の回転が一瞬止まる。

 カイルの王盾が下へ開く。

 盾面へ石が落ちる。

 深紅の光がたわむ。

「右肋!」とセレナ。

「一!」

「今の衝撃で二です」

「本人より先に決めるな!」

「姿勢を見ています!」

「二!」とカイルが訂正する。

「申告を記録」

「褒めないのか」

「後で」

 ロロの補助腕が根橋の下へ回り、石輪へ仮輪を噛ませる。

「落ちてない! まだ失敗の途中!」

「成功にする?」とハル。

「言葉で持ち上げるな、縄を引け!」

 全員で引く。

 石輪片は橋へ戻る。

 誰も落ちなかった。

 だが、号令を一つにすればよいという案も戻らなかった。

「指揮官を一人」とアビナ。

「どちらから」とベグ。

「だから決まらない」とハル。

「ガンガ」とハダン。

 全員が彼を見る。

 王候補。

 大きな声。

 群れを一拍へ合わせる力。

 ガンガは胸へ手を置く。

 最も簡単な答えが、自分の中にある。

「俺は号令しない」

「またか」とアビナ。

「同じ歩幅にしない」

「担げない」

「棒を変える」とロロ。

 彼は中央一本だった担ぎ棒を、左右二本へ分けた。

 二本を短い吊索で石輪へつなぐ。

 青側の棒。

 緑側の棒。

 歩幅が違っても、吊索が上下差を吸収する。

「最初からやれ」とメーザ。

「最初の失敗がなきゃ、どこがずれるか分からねえ!」

「計算で」

「人が計算どおり歩くか!」

「訓練すれば」

「今、訓練してる時間がねえ!」

 ネムが三色の光拍を出す。

 青側へ短二拍。

 緑側へ長一拍。

 中央の吊索へ白い休符。

 休符の間に、吊索が揺れを吸う。

「音がない所も役」とハル。

 ネムが頷く。

「空白が支える」とエリア。

「言い方が地図」とロロ。

 再び持ち上げる。

 青側は速い。

 緑側は遅い。

 同じにならない。

 それでも石輪は水平に進む。

 ガンガは周囲の心拍へ耳を澄ませる。

 揃えたくなる。

 ずれを不安と感じる身体の癖。

 彼は術を使わない。

「青、速い」と言いかける。

 止める。

「青、今のまま。緑も今のまま」

「差があるぞ」と隊長。

「差があるから水平だ」

 隊長は石輪を見る。

 水平である。

「同じにする方が公平だ」と青装兵。

「同じ歩幅で、重さは緑へ寄っていた」とネム。

 声が掠れる。

「今は?」

「違う歩幅。同じ高さ」

 公平とは、同じ動作を求めることではない。

 同じ物を落とさないために、違う動作を許すこともある。

 第一片が浮き台へ着く。

 兵たちは歓声を上げかけた。

 ネムが休符を打つ。

「まだ」と彼。

 第二片がある。

 菌床がある。

 水がある。

 成功を早く一つへまとめない。

 それでも、最初の失敗は橋の上へ残った擦り跡として、次の運び方を教えていた。

「機械でもある」とロロ。「歯車は同じ速さじゃ噛み合わねえ」

「偽物の心臓?」とガンガ。

「今それ言うか!」

「取り消す」

「早い!」

「良い機械だ」

 ロロの補助腕が止まった。

「……値段は高いぞ」

「獣皮一枚」

「通貨で!」

「後で教えろ」

「成立!」

 石輪片が根橋へ入る。

 雲の上。

 下には何もない。

 両国の兵が同じ重さを担ぐ。

 同じ国にはならない。

 同じ意見にもならない。

 一人が足を滑らせる。

 反対側の兵が腕を伸ばす。

「借りだ」と緑装兵。

「救助だ」と青装兵。

「言い方で返済が変わる」

「なら借りじゃない」

「礼は」

「後で水一杯」

「成立」

 ミラはいない。

 それでも契約の言葉は、世界の別の場所へ移っていた。

 第二片。

 菌床籠。

 青苦砂。

 集水膜。

 次々に運ぶ。

 ガンガの頭痛が三へ上がる。

「三」と彼。

 言った。

 術を止める。

 国土獣の拍は、ばらばらへ戻る。

 だが既に三つの逃げ道へ入っている。

 誰かが術を止めても、道は残る。

「倒れるな」とハダン。

「命令か」

「頼みだ」

「断れる?」

「断って倒れろ」

「ひどい」

 ガンガは座った。

 倒れない。

 ノクスが肩から降り、彼の裸足へ二本の尾を巻く。

 古代竜の小さな温度。

「軽い」とガンガ。

「ノゥ」

「今は翻訳していい?」とハル。

「だめだ」

「厳しい」

 夕陽の中、最後の石輪が浮き台へ置かれた。

 ロロが導水管をつなぐ。

 サムが菌床を入れる。

 メーザが青苦砂の濃度を測る。

「五・八」

「通常は七・一」とアビナ。

「足りない」とベグ。

「最初の水としては飲める」とサム。

「虫は」

 透明皿へ幼虫を一匹置く。

 新しい水を一滴。

 幼虫が身体を反らし、逆へ逃げる。

「効く」とハル。

「一例です」とセレナ。

「増やす?」

「増やします。ただし、群れが既に匂いへ反応している」

 国土獣ラナが頭を上げる。

 ペルも。

 水の匂い。

 青苦砂。

 寄生虫の少ない場所。

 二頭は浮き台を挟み、速度を落とす。

 ほかの獣も、三方向から近づく。

 居住区ではない。

 墓地を塞ぐ線でもない。

 新しい水場へ。

「名前は」とハル。

「まだ」とネム。

「名前ないと困らない?」

「先に使う」

「誰の井戸」

「まだ」

「国は」

「まだ」

 ネムは疲れた顔で、同じ言葉を三度書いた。

 まだ。

 未完成は、失敗ではない。

 完成したふりをしないための状態である。

 根橋の上を、二国の兵が最後の菌床籠を運ぶ。

 青い肩。

 緑の肩。

 同じ担ぎ棒。

 違う歩幅。

 井戸は、地面から抜かれた。

 そして初めて、どちらの国へも固定されず、人の手で運ばれた。