第246話 第三章「最強の一拍」後編
七候補の補助者は、体格も技能も揃っていなかった。
バルグは、小柄な老飼育者を選んだ。
鉄蹄群の歩調を四十年見てきた男で、腕は細いが、石が転がる半拍前に足場を読む。
「力比べじゃないの?」とハル。
「力は俺が出す」とバルグ。「止める目は、俺よりある」
シアはカイル。
「王子を補助に使うの、外交問題?」
「本人が承諾しました」とシア。
「王子として?」
「背中を痛めた十七歳として」とカイル。
「肩書きを外した」
「競技石は称号で軽くならない」
ヤッカは、自分より背の高い若い獣医見習いを選んだ。
見習いは緊張で手を震わせている。
「なぜ彼」とガンガ。
「今朝、最初に倒れた花鼠を見つけたから」とヤッカ。
「腕力は」
「私より弱い」
「補助になるか」
「私が見ないものを見る」
ガンガは黙る。
自分はハルを選んだ。
細い。
速い。
うるさい。
それだけではない。
「俺を選んだ本当の理由」とハル。
「さっき言った」
「三語は悪口」
「二語は観測だ」
「うるさいだけ悪口!」
「お前は、俺の拍へ入らない」
ハルの口が止まる。
誓星術を持たないからではない。
零星針を使わない今でも、ハルには地球で育った身体の拍がある。
アステリアの誓星術へ完全には馴染まず、万獣鼓動へ引かれても半拍だけ遅れる。
「それ、危ない?」
「群れを揃える時は、邪魔だ」
「正直」
「石を運ぶ時も、たぶん邪魔だ」
「選ぶなよ!」
「だから選んだ」
「論理が逆!」
「俺が強くしすぎた時、お前だけ別の拍で転ぶ」
「転ぶ前提?」
「転んだら言え」
「転ぶ前に言う!」
「それが補助だ」
ガンガは笑わなかった。
頼んでいる。
自分の強さへ入らないことを。
同じにされないまま、隣へ立つことを。
「成立」とハル。
「何が」
「俺が違うって契約」
「契約はしてない」
「ミラなら書面にする」
「なら俺は、地面へ書く」
ガンガは胸を二度叩き、ハルの足元を一度叩こうとして、止めた。
「何で止めた」
「お前の地面へ、俺の拍を入れるところだった」
「今は小さい一拍でも?」
「小さいからいい、と俺が決めるな」
ハルは一瞬、何も言わない。
「聞いた」
ネムが遠くで太鼓を二拍。
聞いた。
賛成ではない。
「兄弟で同じ会話へ参加するな!」
試走用の小鼓石が一つ置かれた。
本番の十分の一。
それでも、人一人では持ち上がらない。
「押せ」とガンガ。
「命令?」
「試走の開始合図」
「紛らわしい」
「押してください」
「急に丁寧!」
二人で押す。
石は動かない。
ガンガが胸を二度叩き、足裏から弱い拍を送る。
小鼓石の内部で空洞が鳴る。
重さの向きが前へ移り、石が転がる。
ハルの身体も、半拍だけ前へ引かれた。
「今!」
「何が!」
「引かれた!」
「どこへ」
「前! でも足は残ってる!」
「痛いか」
「痛くない。気持ち悪い!」
ガンガが拍を切る。
石が急に重くなる。
「止める時、先に言って!」
「お前が言えと言った!」
「切る前に!」
「今、切る!」
「もう切ってる!」
「次からだ!」
エリアが試走記録へ書く。
「使用開始、使用中、解除前。三つの合図が必要です」
「能力に方向指示器」とハル。
「動くものには要ります」
「ガンガにも?」
「特に」
「俺は乗り物か」
「九十三キロの移動危険物」とロロ。
「お前より重いだけだ!」
「俺は補助腕込みでも五十六!」
「張り合う場所?」とハル。
「重さは情報だ!」
試走をもう一度。
「使う」とガンガ。
「聞いた」
「使用中」
「今、引かれてる。足は平気」
「解く」
「聞いた。姿勢下げる」
石が重くなる。
二人とも転ばない。
「これなら」とガンガ。
「本番は十倍」
「石が」
「観客も。音も。勝ちたい気持ちも」
「お前は何倍うるさい」
「平常運転」
「なら計算できる」
ハルは小鼓石へ手を置いた。
冷たい表面の下で、今の二人の拍が少しずつ消えていく。
「残らない?」
「何が」
「押した人の拍」
ロロが測定針を当てる。
「短時間は残る。三十秒くらい。強い共鳴ならもっと」
「じゃ、前の候補者の拍が石へ残ってたら」
「次の組へ影響する。だから石は一組一個」
「地面と花は共通」
エリアが響花野を見る。
「前に通った拍が、次の色へ重なる可能性があります」
「記録で分けられる?」
「現在の装置では、強い拍が後から来ると前の弱い差は見えにくい」
ネムが右眉を上げた。
胸太鼓へ、短い、短い、長い拍。
響花の端へ三色。
次にガンガが試走の弱い一拍を送る。
三色が緑へ寄る。
ガンガが止めても、数秒は緑が残る。
その下で、最初の三色は見えない。
「消えた」とハル。
『隠れた』
ネムの小板。
「戻る?」
『時間で』
十秒。
二十秒。
花の縁から、三色が薄く戻る。
「強い拍は、違いを消すんじゃない」とエリア。「見えなくする」
「見えない間に、いないことにされたら」
誰も答えなかった。
開始の角笛が、二度目の予告を鳴らした。
「右!」
「右は穴だ!」
「だから右!」
「説明しろ!」
「左へ転がる!」
「先に言え!」
「今言った!」
ハルは鼓石の前を走った。
響花野の地面は平らに見える。
実際には、花の根が作る柔らかな膨らみと、角峰から伸びる硬い骨筋が交互に走っている。
鼓石は硬い筋へ乗ると跳ね、柔らかい土へ入ると沈む。
ハルは足裏の感触で区別した。
右に穴。
ただし浅い。
鼓石の左側が、内部共鳴で重くなっている。
浅い穴へ右半分を落とせば、傾きが戻る。
「三、二、一、押す!」
ガンガが肩を入れる。
鼓石が穴へ落ち、左へ傾き、止まった。
「逆じゃねえか!」
「一拍待て!」
ハルは腰索を骨筋へ掛ける。
右足で石の下へ踏ん張る。
左肩は使わない。
「ガンガ、拍を落として」
「重くなる」
「一回重くして、底を噛ませる」
「言葉が機械みたいだ」
「ロロが移った」
「俺は病気か!」と遠くからロロ。
「聞こえてる!」
ガンガが万獣鼓動を弱める。
周囲の観客と獣の拍から、鼓石の共鳴が外れる。
重さが戻る。
石の下端が穴の硬い縁へ噛んだ。
「今!」
ガンガが再び拍を広げる。
鼓石が軽くなり、噛んだ縁を支点に回転した。
正面へ向く。
「成功!」
「最初から説明しろ」
「走りながら考えた」
「考える前に右と言った?」
「体が知ってた」
「口より信用できないものが増えた」
バルグの組は、まっすぐ進んでいる。
彼は自分の鉄蹄獣を響花野の両側へ並べ、足踏みで鼓石を共鳴させた。補助者は後ろから押すだけでいい。
速い。
強い。
迷いがない。
シアは遅い。
カイルと二人で花の色を見ながら、共鳴しやすい帯を選んでいる。
「王子、左!」とシア。
「左は沼だ!」
「浅い!」
「この会話、どこかで聞いた!」とカイル。
「著作権?」とハル。
「命の危機に権利を持ち込むな!」
ガンガの鼓石が、中央の花帯へ入った。
周囲の響花が一斉に開く。
赤。
青。
黄。
緑。
観客の拍、獣の拍、ガンガの拍、ハルの拍。
違いごとに色が分かれる。
「綺麗」とハル。
「前を見ろ」
「見てる!」
ガンガが万獣鼓動を強くした。
四色が、一本の濃い緑へ寄る。
鼓石が軽くなる。
速く進む。
同時に、花の中へいた小動物が一斉に動いた。
細い脚の花鼠。
羽のない地蜂。
丸い殻を背負う種虫。
それぞれ異なる拍で生きていた小さな生き物が、急に大きな基準へ引かれる。
花鼠が転んだ。
一匹。
二匹。
ハルは足を止める。
「ガンガ!」
「何だ」
「弱めて!」
「石が止まる」
「鼠が倒れてる!」
ガンガが範囲を狭める。
鼓石が重くなった。
勢いを失い、花の窪みへ沈む。
バルグが前へ出る。
歓声がそちらへ移る。
ハルは花鼠を拾わない。
野生動物へ勝手に触れない。
ネムが先に来た。
地面へ指を当てる。
花鼠の胸へ直接触れず、近くの花へ細い拍を入れる。
異なる心拍を混ぜず光へ分ける譜〈セパレート・ビート〉。
花弁へ、三本の細い光が出た。
一匹目、速い。
二匹目、遅い。
三匹目、乱れている。
「生きてる?」とハル。
ネムは頷く。
耳栓を一段深くする。
大音量の会場で、能力を使う負荷が顔へ出ている。
「頭」
ハルが聞く。
ネムは指を三本。
「休む?」
首を横。
「ガンガを止める?」
ネムの目が細くなる。
「違う。ごめん。何をする?」
小板。
『花を見て』
響花野。
ガンガが範囲を狭めた場所では、色が戻っている。
赤、青、黄、緑。
だが、中央から禁足谷へ向かう細い一帯だけ、色がない。
花は咲いている。
枯れていない。
白いままでもない。
色が抜けている。
「拍がない?」とハル。
ネムは首を横に振る。
『消えたのでなく、分けられない』
「平均になった?」とエリアが地図板を持って来る。
ネムは一度頷き、また首を横に振った。
『近い。まだ』
まだ分からない。
まだ決めない。
その言葉を、ハルは今度こそ先へ送らなかった。
花畑を横切る無色の帯は、第三試練の競技路から外れ、禁足谷へ続いていた。
ガンガの鼓石が丘へ着いた時、観客は二位通過を告げた。
だがハルは、順位を見ていなかった。
色が消えた場所を見ていた。
強い一拍が通った後にだけ残る、違いのない空白を。