第306話 第九章「王族を後に」後編
公開板だけでは、順番は守られない。
順番には、見える入口が要る。
広場へ七本の灯索を張る。
歩行困難者は白。
乳幼児と介助者は黄。
医療と操船は青。
一般住民は地域色を残したまま緑の輪へ。
記録運搬は灰。
交代船員は橙。
王族と高官は、何色も与えず最後尾の黒い杭へ。
「黒は不吉です」と侍従。
「空欄の色だ」とカイル。
「色ではありません」
「だからいい」
パルの色結び数が伝羽へ流れ、各列の人数が板へ加算される。
名前を書かない者も数から消えない。
王族の名は書く。
権限を持つ者ほど、匿名へ逃げない。
船長が出航時刻を板の一番上へ刻む。
『宮殿角度十八度、または西浮力嚢断裂で即時離脱。王族の未搭乗は延期理由にしない』
祭務上役が筆を奪おうとした。
「王家を置いて出れば反逆だ!」
「俺が許可する」
「外国の王太子に権限はない!」
「なら俺を待つ理由もない」
言葉が輪になる。
権限がないから待て。
権限がないなら待つな。
カイルは輪の一方を切る。
「船長の救難判断を、王族の到着から独立させる。俺はそれへ同意する。ほかの王族が同意しなくても、船長は出る」
老王族が最後尾へ立つ。
「若造。こういう順番は、先頭より寒いぞ」
「王族席の毛布を持ってきます」
「荷物は片手分だろう」
「では半分ずつ」
老王族が笑い、毛布の端を持った。
返事は、すぐには来なかった。
伝羽の向こうには風がある。
走る足音。
誰かの「橇を止めろ」という声。
別の誰かの泣き声。
助けを求めた側は、返事が遅い一拍を長く感じる。
『聞いた!』
ハルの声。
「遅い!」
『こっちも空域! 今どこ!』
「王族区画、共鳴導管室」
『地図にない!』
「王族の隠し部屋」
『隠すから助けに行けない!』
「正論を今使うな!」
『使う! 出口!』
カイルは周囲を見る。
上階段。
外桟橋。
保守井戸。
「三つ」
『順番じゃなく条件!』
「上階段は人が下りている。外桟橋は宮殿角度十八度で切れる。保守井戸は最終弁へ続くが、出口不明」
『人数』
「今は上部に百余。最終弁へ行くなら九」
『痛み』
「二」
『嘘』
「三」
『何で最初から言わない!』
「王族教育」
『捨てろ!』
「帰ったら議題」
ハルは息を一度整える。
『エリアが外から宮殿区画を追う。ロロが保守井戸の古図を探す。俺は飛べる船を集める。カイルは』
「弁を止める」
『戻る』
「努力目標」
『弱い!』
「薬種屋が増えた」
『戻れ!』
命令に聞こえた。
だが命令権はない。
あるのは、戻ってきてほしいという一人分の利害だけだった。
「了解」
『成立って言え!』
「それはミラ」
『細かい!』
「成立」
伝羽が切れる。
助けを求めたことは、助けが来る保証ではない。
それでも、誰かが自分の位置を知った。
カイルは盾を五拍で解除する。
六拍目を自分だけの美談へしない。
アウレリアの搭乗順を、カイルは広場へ掲示した。
一、歩行困難者。
二、乳幼児と介助者。
三、医療・操船に必要な者。
四、一般住民。到着順だけでなく地域ごとの残数を公開。
五、行政記録の運搬者。
六、船員交代要員。
七、王族、祭務上役、高官。
「王族を最後にすれば、王が死ぬ」と救難監。
「最後と置き去りは違う」
「船が出る時刻に間に合わなければ」
「俺たちの乗船のために出航を遅らせない」
「国家が」
「国家は船室へ入ってない」
「象徴が必要です」
「象徴のために寝台を降ろしたら、何を象徴する」
七地域の王家代表が反発する。
「外国王太子が我々へ順番を命じるのか」
「命じない。俺は自分の名を七番へ書く」
カイルは公開板の最後へ、自分で名を書く。
『カイル・アークレイ 乗船順位七 撤退判断は船長へ委任』
「あなた方の名は、あなた方が書け」
一人目は書かない。
二人目も。
三人目の老王族が筆を取る。
「若造に格好を独占させるな」
「格好じゃなく順番です」
「歴史は後で格好へする」
「では、失敗も一緒に書いてくれ」
老王族は自分の名を七へ書く。
次の者も。
全員ではない。
書かない者の名も、空欄として残す。
アウレリアから、最後の搭乗報告が来る。
『歩行困難者、完了。乳幼児、完了。医療要員、完了。一般住民、残り九。記録運搬、完了。船員交代、完了』
「残り九」とカイル。
「共鳴塔作業員七、救難監、あなたです」とセレナ。
「一般住民は」
「全員乗船」
「なら出せ」
「船長判断は宮殿角度十五度」
床の傾斜計。
十四・七。
十四・八。
作業員の一人が言う。
「私たちも先に乗れば」
「遮断弁を誰が回す」と救難監。
「遠隔で」
『無理!』とロロ。「旧皮がずれて連動杆が噛んでる。手動二人、補助三人。残り二人は退路索!」
「七人全員が必要ではない」とカイル。
作業員たちが彼を見る。
「必要な役を言え。人数を役職名で水増しするな」
救難監が数える。
「手動輪二。補助楔二。退路索一。構造確認、私。六人」
「一人、船へ」
「誰が」
「痛み、家族、技能。自分たちで一分」
誰も名乗らない。
残ることが勇敢だからではない。
先に行くと卑怯に見えるからだ。
カイルは怒鳴らない。
「俺が決めれば、また王族の順番になる」
若い作業員が右手を押さえている。
火傷。
隠していた。
隣の女作業員がその手を見る。
「あなた。楔を握れない」
「握れる」
「三回落とした」
「見てたのか」
「役を見てた」
若者は唇を噛む。
「先に行く。代わりに、外から退路索を張る」
「成立」と救難監。
「逃げたと書くな」
「外部索担当と書く」とセレナ。
十四・九。
若者は桟橋を渡らず、宮殿側の外縁へ回る。
船へ渡す退路索を、剥がれかけた板の外から固定する。
十五。
船長の笛が鳴った。
アウレリアは、まだ桟橋を切らない。
しかし機関を離脱出力へ上げる。
待つのではない。
定めた手順を進めながら、戻れる余地を一拍ずつ減らしている。
「行こう」とカイル。
残った八人は、宮殿下層へ向かった。
召集音は三割弱くなった。
止まらない。
七頭は中央へ向きを変えたまま、互いの旧皮を引く。
共鳴塔の最終遮断弁は、宮殿区画の下にある。
「行く」とカイル。
「肋骨三」とセレナ。
「盾は使わない」
「同行」
「お前は記録を船へ」
「命令ですか」
「頼む」
セレナは一拍止まる。
「具体的に」
「召集音を止めた後、誰が何をしたか残してくれ。俺が戻らなくても、美談で一人の決断にしない」
「戻る努力を条件へ」
「する」
「撤退時刻」
「宮殿角度十八度、または遮断後二分」
「証人」
「救難監」
救難監が顔を上げる。
「私も行きます」
「責任を取るため?」
「構造を知っている」
「それを先に言え」
「両方です」
「なら、戻る方にも責任を取れ」
二人で下層へ入る。
下層へ降りる階段は、上部客室ほど親切ではなかった。
もともと人を通す場所ではない。
共鳴塔の保守穴は、王獣の骨板と旧皮の間へ後から掘った縦井戸だった。
宮殿が傾くたび、梯子が壁になり、壁が床になる。
「右手を離すな」と救難監。
「右手は剣だ」
「今日は梯子です」
「剣より役に立つ」
「剣に聞かせないでください」
作業員六人が先に下る。
一人は細い保守灯。
一人は弁棒。
二人は索。
二人は、戻れない場合に別の弁へ回る予備だった。
人を予備と呼ぶ制度を、カイルは嫌う。
しかし同じ作業を二人が知ることまで否定すれば、知識はまた一人へ集中する。
「名前」とカイル。
作業員たちが振り返る。
「今?」
「今だ。『作業員七人』で記録されたくない」
彼らは一人ずつ名乗った。
カイルは復唱した。
傾斜が強まり、三人目の名を一度間違えた。
「戻ったらもう一度聞く」
「戻る前提でお願いします」
「努力目標だ」
「弱いですね」
「薬種屋にも言われた」
第一隔壁。
王印穴の横に、保守用の小さな蝶番がある。
王には見えない扉を、整備する者は毎日開けてきた。
救難監が板を外す。
熱風が噴いた。
カイルは籠手を上げかけ、止める。
ここで王盾炎を張れば、返る痛みで最終弁まで腕が保たない。
「布!」
作業員が濡れ布を重ねる。
全員で顔と手を守り、十拍だけ進む。
強い一枚の盾ではなく、八枚の薄い布。
第二隔壁で索が切れた。
カイルは剣を抜く。
「やっと剣ですね」と救難監。
「索を切る」
「切れてます」
「絡んだ方をだ!」
刃で古索を外し、新索を結ぶ。
第三隔壁の向こうで、召集音が身体の中から鳴った。
六人の作業員のうち、一人が膝をつく。
「戻れ」とカイル。
「弁棒は私しか」
「二人目は」
「後ろにいます」
「なら交代。知識を分けた意味を使え」
二人が彼女を空気溜まりへ運ぶ。
弁棒は別の手へ渡る。
仕事を替えることは、役に立たなくなることではない。
彼女は座ったまま、次の隔壁の締め順を指で示す。
「右、半回転。左、四分の一。最後は同時に戻す。間違えると逆流します」
「声が出るなら指揮できる」と救難監。
「指揮ではありません。手順です」
「その違いは?」とカイル。
「私が倒れても、手順は残ります」
カイルは復唱する。
「右、半。左、四分の一。最後は一緒に戻す」
「最後だけ曖昧です」
「同時に」
「合格」
八人は再び進む。
最下層。
王印穴は壁の中央にあり、その下へ保守板が付いていた。
王の鍵は一つ。
保守板の留め具は六つ。
歴史は正面へ王を描き、裏面へ六人分の工具を要求した。
救難監が一つ。
作業員が四つ。
最後の一つは錆びている。
カイルが剣の鍔を差し込む。
「壊しますか」
「回す」
「王子が工具になるのは規則外です」
「剣だ」
「剣が工具になるのも規則外です」
「今日の規則は働いた方が勝ちだ」
錆が割れ、板が落ちる。
中に、手動輪があった。
王の両腕を模したほど大きい。
中央に立った一人が国を回すように見える意匠である。
実際には、固着して一人では動かない。
「設計者は象徴が好きですね」と救難監。
「象徴に油を差す役目は嫌いだったらしい」
八人が外周へ手を掛ける。
カイルは中央へ立たない。
空いている場所へ入る。
「一、二、三で押すな」
「合図なしで?」
「滑った者が『止まれ』と言う。止まったら全員止まる。押せる者は自分の速度で押せ」
最初の半回転で、二人の手が滑った。
「止まれ!」
全員が止まる。
輪は少し戻る。
「失敗」と救難監。
「記録」とカイル。
布を巻き直す。
二度目。
一人が速い。
一人は遅い。
膝を傷めた作業員は、押さずに戻り止めへ足を置く。
同じ力ではない。
同じ役割でもない。
それでも輪は、一歯ずつ回る。
「右、半!」
「完了!」
「左、四分の一!」
「圧、上昇!」
「止まれ!」
熱風が板の隙間から吹く。
カイルは籠手を上げない。
濡れ布を八人で重ねる。
「最後、同時に戻す!」
手順を教えた作業員が、座った姿勢から声を張る。
左右の小弁が戻る。
主輪が沈む。
鐘の音が、さらに割れた。
七頭の向きが止まり始める。
その時。
中央宮殿の白い旧皮が、完全に剥がれた。
アウレリアとの桟橋が裂ける。
「殿下!」
船から声。
カイルは走る。
左膝が一度崩れる。
桟橋まで十歩。
九。
八。
白い皮が風へ立つ。
宮殿区画が、巨大な一枚の皿として雲海側へ滑り出す。
アウレリアは、人を載せて離れる。
公開した順番どおり、王族席を待たない。
カイルは桟橋へ届かない。
救難監と、共鳴塔の作業員七人。
王族が最後に残った。
英雄になるためではない。
船が先に出ると、自分で書いたからだった。