第325話 第七章「循環する救援隊」前編
迷子には、二種類いる。
行き先を失った者。
行き先へ着かない道を歩き続ける者。
前者は止まれば見つけやすい。
後者は止まると、追う側が同じ道へ入ってしまう。
古い砂漠の救難書は、循環路へ入った者へこう命じた。
『同じ景色を見たら、自分を疑う前に景色の傷を数えよ』
人間の記憶は、恐怖で繰り返しを作る。
砂は、同じ場所へ同じ傷を作らない。
「入る」
ハルが言った。
「許可しない」とセレナ。
「理由」
「作戦が一語です」
「循環へ入って、ナジュの傷を拾う」
「役割、期限、撤退条件」
「エリアが道。ロロが鏡。カイルが盾。俺が走る。サミラが生活路。セレナが記録」
「全員入る案になっています」
「ユノとリゼとトーヴは残る」
「残る側の役割」
ユノが白いヴァイオリンを軽く持ち上げる。
「各鏡へ、入口、出口、観測の表示を維持。未知は白縁。演奏は連続十五分で交代休止」
リゼ。
「縁色の更新。兄さんが白を薄くしたら止める」
「信用が限定的ですね」
「具体的」
トーヴ。
「鏡裏検査の版管理、住民班の記録統合。古式閲覧痕は救難と分離して保全」
「ファル」とハル。
「石を置く」
「何個」
「戻るたび一個」
「ノクスが食べたら」
「石じゃなく硬い豆」
ノクスが耳を立てる。
「食べる」とロロ。
「じゃ苦い豆」
ノクスが低く唸る。
「本人の選択権」とハル。
「食べない選択がある」とリゼ。
セレナは単眼鏡の縁を押す。
「期限」
「四十分」とエリア。「循環一周の最長推定が六分。六周で三十六分。残り四分を撤退余裕」
「水」
「各自二杯分。ナジュ隊へ四人分」
「負傷条件」
「ハル、肩二で後退。方向感覚四。私、呼吸二が二十拍継続、踵二。カイル、肋部二または色覚低下。ロロ、喘鳴一回で申告、二回で撤退。サミラは」
「私も申告するの」
「隊商の人は壊れない?」とハル。
サミラは少し驚き、次に黒縄を腰へ巻いた。
「右手首一。昨夜、鏡枠で捻った。脱水零。鏡酔い一」
「ノクス」
「ナゥ」
「分からない」とセレナ。
「耳が伏せたら恐怖。二尾が同じ方向なら追跡。逆なら時差」とハル。
「本人が同意した証拠は」
ノクスがセレナの証羽を一枚、前脚で伏せた。
「記録するな?」
「ナゥ」
「では、群れの判断として撤退させます」
「俺たち、群れ?」
ノクスはハルの耳を噛む。
「同意だと思う」
「翻訳は仮説」とセレナ。
役割。
期限。
撤退条件。
作戦が、やっと一語ではなくなる。
入口は、青枠鏡。
像の奥に、ナジュの鈴。
通過先は、赤天幕。
普通なら、入る意味がない。
入っても戻る。
だから入る。
「同じ場所へ戻ったら」とファル。
「豆一個」とハル。
「右側の皿」
「ノクス対策?」
「左はノクスが寝る」
ノクスが左皿へ座った。
「先読みされた」
「出発」とセレナ。
ハル。
エリア。
サミラ。
ロロ。
カイル。
セレナ。
ノクス。
鏡へ入る。
塩光。
上下のない裏海。
短い冷気。
赤天幕。
ただし、床の傷が一本増えている。
「一周目」とセレナ。
ファルが苦い豆を右皿へ一つ。
伝羽越しに、ユノの一音。
赤天幕の十二枚へ、目と矢印の印が浮かぶ。
観測先。
通過先。
白縁の鏡が七。
確定が五。
「ナジュの像」とハル。
第十一鏡。
彼女は青鈴を腰へ下げ、砂袋を一つ抱えている。
向こうの床へ、短い傷を付ける。
「同じ傷?」とエリア。
「長さが違う。前は指二本。今は三」
「時刻が進んでいる」
「入る」
小石。
通る。
出口は赤天幕第八鏡。
「分かってる」とハル。
「分かっていて入る理由を」とセレナ。
「通過中の長さを身体で測る」
「許可」
ハルはロープを腰へ。
もう一端をカイル。
一、二、三。
入る。
裏海。
今回は、目を閉じない。
光が右から左へ流れる。
塩の匂いが二度変わる。
足元のない感覚が一回。
耳へ、青鈴。
ほんの一瞬。
出口。
赤天幕。
「鈴、聞こえた!」
「通過時間」とエリア。
「四拍。途中で一回」
「鏡裏路が、ナジュの通路へ近接」
「近接って物理?」
「裏海での経路」
「見えない線が交差した」
「可能性」
ハルの身体に、細い青糸が一本付いている。
サミラが取る。
「ナジュの路糸」
「途中で拾った?」
「裏海で物へ触れられる?」
「通常は、同じ路を通る物だけ」
青糸の先に、小さな結び。
三。
一。
三。
「救援信号」とカイル。
「意図的に流した」とサミラ。
ナジュは、通過する者へ物を渡している。
鏡の中にいるだけではない。
こちらの路へ手を伸ばせる位置にいる。
第二周。
赤天幕第八鏡から、第四鏡。
第四から夜砂。
夜砂から低い白枠。
白枠から赤天幕。
戻る。
豆二。
床の傷、二本増加。
「同じ一周じゃない」とハル。
「出口は同じ。経由が違う」とエリア。
彼女は物理座標板を使わない。
通過順だけを、透明板へ矢印で描く。
A。
B。
C。
赤。
別の路。
D。
E。
F。
赤。
どちらも同じ赤天幕へ戻る。
途中で聞こえる青鈴の拍が違う。
第一路、一回。
第二路、三回。
「三回の方が近い?」とハル。
「音量も」
「大きい」
「では第二路を繰り返す」
第三周。
豆三。
ノクスが右皿へ近づく。
匂いを嗅ぎ、顔を背ける。
「勝った」とファル。
ノクスはファルの袖を噛んだ。
第三周の途中、夜砂天幕。
外は黒い砂。
昼の裏側。
気温が急に下がる。
鏡柱の陰に、青い布片。
「ナジュ」とサミラ。
布には、砂傷。
三本。
一方向。
次の鏡へ。
「置いた目印」とセレナ。
「像じゃない」とハル。
触れる。
冷たい。
端が裂けている。
ノクスが匂いを嗅ぐ。
二本の尾が同じ方向を指す。
「近い」
「約束の匂い?」とカイル。
「ナジュを知らない」とハル。「人の匂いか、路糸」
「ノクスだけで決めない」とセレナ。
「分かってる」
青布。
床傷。
鈴の音。
三つを重ねる。
次の鏡。
像は、赤天幕。
通過先は、別の夜砂。
入る。
出口で、砂袋が一つ落ちている。
袋には水。
「運んでる」とサミラ。
「誰が」
「ナジュたち。循環路の中で、水をどこかへ運ぶ」
「水車へ?」
「逆かもしれない」
袋の口へ、青糸。
結びは四。
「四人分」とハル。
「人数か、四番路か」
「断定しない」
セレナが水袋を開けない。
「救難物資ですが、持ち主が使う可能性」
「一滴だけ検査」とロロ。
外側の湿り。
温度。
重量。
「半分減ってる。運んだ途中」
水袋を元へ置く。
持ち去れば証拠を得る。
残せば、誰かの命を残す。
証拠より先に生活を置くことは、証拠を軽んじることではない。
何を証明するための証拠かを忘れないことだった。