第346話 第五章「同じ誓紋、違う靴」後編

 ロロは、全員の靴跡を高さ順へ並べた。

「アディル用、高補正。ミレイ用、低補正。三人目、補正なし。ここまでは昨日」

「今日は」とセレナ。

「役の像が、実際の身長差を最大六センチまで隠せる。七を越えると肩と腰の位置がずれる。花婿再現像の腰位置を測った」

 壁へ三枚の輪郭図。

 前半。

 中間。

 後半。

「前半、投影補正四・一。アディル」

「中間、補正マイナス一・二。ミレイ」

「後半、ほぼ零」

「三人目」とハル。

「身長百七十九から百八十一」

「多い」

「靴幅、二六・四。右足の爪先圧が左の一・三倍。踵外側だけ新品」

「新品?」

「削った跡。古い摩耗を消してる」

「証拠隠し」

「または礼装前の整備」とセレナ。

「何でも断定を止める」

「そのためにいます」

「でも、三人目が靴を直した」

「直した者は」とロロ。

「宮廷靴工房?」

「工房記録は」

「役務秘匿」とトーヴ。

「また!」

「ただし材料は読める」

 ロロが白い小片を歯へ当てる。

「骨灰樹脂。無面回廊の安修理材。宮廷工房は使わねえ」

「自分で直した」

「または、あの区画の修理屋」

「三人目は、無面回廊へ行った」

「靴が行った」

 ロロは譲らない。

「人と靴を一緒にするな。今回の授業だろ」

 ハルは頷く。

「三人目の靴」

「それなら正確」とセレナ。

 エリアは、歩行図を舞踏譜へ重ねる。

「第一曲、役移転可能時間は一回ではありません」

「転調ごと」とユノ。

「序曲内に三回。最初の小転調、主転調、終止前」

「アディルからミレイ」とハル。

「その前か後に、三人目」

「順番が分からない」

「靴底の砂層」とロロ。

 彼は三種類の黒靴を机へ置く。

 アディル、ミレイ、未確認の貸与靴を再現した模型。

「役務靴は、移転のたび役渡し鏡の黒油を踏む。油の上へ砂が付く。層の順番がある」

「仮面の擦れみたい」

「アディル靴。赤砂の上に黒油。つまり最初に外から来て、役を受けた」

「ミレイ」

「黒紫砂。黒油。上に赤茶の微粒」

「アディルの待機区画を通った?」

「または役渡し鏡の共通床」

「三人目」

「骨灰。黒油。黒紫砂。黒油が二層」

 全員が止まる。

「二回受けた?」とハル。

「靴が、二回役渡し鏡を踏んだ」

「同じ人が花婿を二回」

「可能性」

「順番は」

 ロロは図を置く。

 アディル。

 未確認。

 ミレイ。

 未確認。

「四回」とカイル。

「保持者は三人以上。移転は四回以上」

「第一夜、十二分で」とハル。

「役が忙しい」とリゼ。

「役は疲れない」とユノ。「人が疲れる」

「疲れた人が見えないように、同じ顔」

「そう」

 ハルは金の仮面模型を持ち上げる。

「じゃ、襲撃者は一人の花婿を追ってない」

「役の移る先を知っていれば追えます」とセレナ。

「知らなかったら」

「同じ仮面を追う」

「観客と同じ」

「または」

 エリアが条約台の図を指す。

「人ではなく、役が通る経路を狙う」

 花婿役は、条約原本の周囲を七点通る。

 誰が着ても。

 どんな足でも。

 同じ役務経路。

「顔を変えても、役の道は同じ」とハル。

「だから守れる」とユノ。

「だから狙える」

 同じ制度が、盾と的になる。

 検証が終わる頃、フリードリヒが小舞踏室へ来た。

 半月眼鏡。

 黒紺の礼装。

 左袖の安い青ボタン。

「エリア」

「公爵閣下」

 公の場の呼び方。

「今夜以降の随伴護衛役を、宮廷訓練者へ変更する案が出ている」

 ハルの手が、羅針盤の蓋へ行く。

「理由」とエリア。

「凪野君の舞踏経験、王都法上の身分、現地語、身体状態」

「私の意見は」

「まだ聞いていない」

「先に案を作った」

「安全案は、比較する前に必要だ」

「私抜きで?」

「選択肢を用意した」

「用意した人が、勧める順番まで決める」

 五秒。

「そう見えることは認める」

「見えるだけ?」

「そうしている部分もある」

 父は訂正した。

「凪野君を外したい理由には、危険だけでなく、外交上の不安定さも含む」

「俺が恥をかく?」とハル。

「君が恥をかくことは、私の主要懸念ではない」

「少しは懸念して」

「娘が、君の失敗を補うため自分の判断を狭めることだ」

 ハルは言葉を失う。

 エリアが先に答える。

「私は補うと決めていません」

「第一曲で彼の足を導いた」

「相手役です」

「実戦でも同じことをしている」

「共同判断です」

「君は、共同という言葉で過負荷を隠す」

 正しい部分がある。

 エリアの顎が上がる。

 反論の姿勢。

 ハルは割って入らない。

 父娘の間に、自分を答えとして置かない。

「エリア」と彼。

「何」

「役の俺を変えたい?」

 彼女が見る。

「舞踏相手役として?」

「うん」

「変えない」

「本人としては」

 間。

「あなたが嫌なら、変える。下手だからではなく、嫌なら」

「嫌じゃない」

「では、続けます」

「俺が迷惑か、じゃなくて?」

「それを私が決めます」

「分かった」

「本人の返事?」

「本人」

 フリードリヒの五秒が、いつもより長い。

「案は残す」と彼。

「残してください」とエリア。「選ばない可能性も同じ大きさで」

「承知した」

 父は出ていく。

 ハルは息を吐く。

「怖い」

「お父様が?」

「エリアも」

「なぜ私まで」

「正確に聞くから」

「曖昧なままにしてほしい?」

「してほしくない」

「では何が怖いの」

「答えると、答えになる」

「言葉は、たいていそうです」

「今、俺が聞きたいことが、舞踏相手の話だけじゃない気がする」

 エリアの地図針へ手が行く。

「何を聞きたいの」

「ユノを選ぶか」

 言ってしまう。

 小舞踏室の音が、遠くなる。

 ユノは離れた場所で、リゼとトーヴへ記録を説明している。聞こえていない。カイルは聞こえている顔をして、あえて銀盆を磨く。

 エリアは、すぐ答えない。

「婚約候補として?」

「本人として」

「まだ選んでいません」

「選ぶかもしれない?」

「可能性を、あなたの安心のために先に消さない」

 胸へ小さな痛み。

 正しい。

「うん」

「でも、役が決めたから選ぶことはない」

「それなら」

「安心?」

「少し」

「何に」

 ハルは答えられない。

 エリアの礼儀が、急に完璧になる。

「では次の検証へ」

「逃げた?」

「あなたが答えないからです」

「エリアも聞いた」

「私は答えました」

「正確すぎる」

「注意です」

 カイルが銀盆へ顔を隠しながら笑う。

「王太子、何」

「景気が良くなってきた」

「事件中」

「だからだ。生きてる奴が難しい話をする余裕は、景気が良い」

 セレナが菓子箱を閉じる。

「その言葉だけは記録してもよい」

「褒めた?」

「評価です」

 ロロが靴底図を机へ叩く。

「恋愛会議は修理代払ってから! 三人目は同じ役を二回持ってる! こっちを見ろ!」

 同じ花婿役。

 違う三人。

 四回以上の移転。

 顔は一つ。

 靴は三つ。

 第二夜は、翌日の夕刻に始まる。

 犯人の顔は分からない。

 だがハルたちは、もう顔を追うつもりはなかった。