第395話 第六章「決められない王」前編

王とは、決める人である。

 この説明は短い。

 短い説明は、長い責任を隠しやすい。

 何を決めるのか。

 誰の代わりに決めるのか。

 決めた後、反対した者はどこへ行けるのか。

 王が間違えた時、誰が命令を止めるのか。

 それらを省けば、王は便利な一人になる。

 便利な一人は、共同体が考える時間を減らす。

 同時に、共同体が間違いへ参加する権利も奪う。

 翠獣環ヴァルカでは、王にならなかった少年が、決められないと責められていた。

「水は、あと三日」

 ハダンが杖を地面へ打った。

 乾いた土が、低く鳴る。

 七つの群れの代表が、王獣の脱皮殻で作った円座へ座っている。

 座っていない者もいる。

 移動群れは、座る会議を信用しすぎない。

 地面が動く国では、立ったまま決める方が早い。

 だが今回は、誰も動かなかった。

 北谷へ行くか。

 西の塩湖へ行くか。

 南の都市井戸へ行くか。

 三つの進路。

 北谷は水が多いが、崩落の危険。

 西湖は安全だが、幼獣の脚では遠い。

 南井戸は近いが、都市国境の通行契約が未成立。

「ガンガ」

 ハダンが呼ぶ。

 ガンガ・オルバは、胸を二度叩かなかった。

 自信を失っている時の合図。

「まだ、全群れの話を聞いていない」

「聞いた」とハダン。

「小雨群の三家が、発言していない」

「沈黙を反対と数えるのか」

「賛成とも数えない」

「なら、いつ決める」

「話せるまで」

「喉のない獣は、永遠に話さん」

 円座の外で、ネム・オルバが薄い骨板の耳飾りを外した。

 乾燥した風で、喉が痛む。

 彼は声を使わず、細い太鼓を一度打つ。

 短い音。

『聞いた。賛成ではない』

 ガンガが見る。

「ネム」

 ネムは珠を一個裏返す。

 まだ話さない。

「お前の意見を」

 長い休符。

 ネムが紙へ書く。

『私の意見より、会議の終わり方を先に決めろ』

「終わり方」とガンガ。

『全員が納得するまで、は終わり方じゃない。終わらない理由』

 ハダンが短く笑う。

「十三歳に言われたぞ」

 ネムが次の紙を出す。

『年齢で正しさを軽くするな』

「わしへも刺すか」

『刺さる場所に立った』

 ハダンはさらに笑う。

 笑いながら、杖を握る手は強い。

 彼女は合議の遅れで妹を失った。

 だから、決めない時間を死者の数へ換算する。

 ガンガは一人の王へ戻りたくない。

 九歳の時、恐怖した群れを一拍へ強制同調し、静かに反対していた小群れの退路を塞いだ。

 だから、決める力を暴力の数へ換算する。

 二人とも死者を見ている。

 違う死者を見ているため、正反対の結論へ立つ。

「三日」とハダン。「水が尽きる」

「二日で出る」とガンガ。

「どこへ」

「それを決める」

「今決めろ」

「今は、決め方を決める」

 円座から不満が上がる。

「また会議か」

「王にならなかったからだ」

「王なら一声で群れが動く」

 ガンガの額の白角へ視線が集まる。

 王冠はない。

 髪には、分かれた七群れの細い房が編まれている。

「俺は王ではない」

「だから決められない」

「違う」

 ガンガは胸を一度叩く。

 二度目が遅れる。

「王でなくても、期限は決められる」

 会議を止め、群れの生活へ入った。

 水の話をする者が、今どれだけ水を使っているか確かめる。

 幼獣は一日二桶。

 大獣は五桶。

 発熱中の子獣は七桶。

 発酵食の仕込みにも必要。

 同じ人数へ同じ量を分ければ公平に見える。

 体格も病気も違う群れでは、同じ量が不公平になる。

 ガンガは大皿を使わず、小皿へ分ける癖がある。

 水も同じように分けようとした。

「それ、誰が決めた」とネムが掠れた声で言う。

 珍しく声を使う。

「必要量」

「誰が測った」

「獣医」

「小雨群は、発言してない」

「水量は測れる」

「移動中に捨てる荷物は測った?」

 ガンガが止まる。

 北谷へ行けば、急斜面で荷を減らす。

 西湖なら、長距離のため水を余分に持つ。

 南井戸なら、通行料を払う物資が要る。

 行き先は水だけでなく、何を捨てるかを決める。

 小雨群は、祖霊骨を運んでいる。

 都市契約では価値がない。

 彼らにとっては、置いていけない。

「聞く」とガンガ。

 ネムは耳栓を青へ替える。

『聞く』議題の色。

 小雨群の天幕へ行く。

 誰も会議へ来なかった理由を尋ねる。

 年長者は答えない。

 子供が、空になった杭穴を指す。

 天幕が一つ足りない。

「もう出た?」

 年長者が頷く。

「いつ」

「夜」

「どこへ」

「決めていない」

「ならなぜ」

「決められる前に」

 全員の声を聞く会議に参加すれば、多数の行き先へ含まれる。

 発言しなければ、沈黙を賛成に数えられるか、無関心として無視される。

 だから小群れは、会議の外へ出た。

 離脱は反対票ではない。

 自分を数える仕組みそのものから降りる行為である。

「追う」とガンガ。

「会議は」とハダン。

「離れた群れがいる」

「水は三日」

「だから追う」

「一人で行くな」とネム。

「お前も来る?」

 ネムは首を振る。

『私は残って、期限を作る』

「俺の代わりに?」

『違う。私の仕事』

 兄の物語へ吸収されない。

 ガンガは頷く。

「頼む」

 命令ではない。

 ネムは太鼓を二拍。

『聞いた。引き受ける』

 離れた小群れは、王獣の背の外縁にいた。

 乾いた草。

 薄い地面。

 下は雲海。

 ガンガは裸足で振動を読む。

 十七人。

 幼獣二頭。

 荷車三。

 心拍を聞く。

 万獣鼓動〈ハート・ハウル〉を広げれば、全員の恐怖を一つの拍へできる。

 しない。

 異なる拍を異なるまま聞く。

 速い子供。

 遅い老人。

 発熱した幼獣。

 怒りで強い年長者。

 その中に、一つ、ほとんど聞こえない拍。

 ガンガは術を止める。

 耳で聞く。

 足裏で探す。

 荷車の下。

 小さな獣が、乾燥で倒れている。

「水!」

 小群れの者が止める。

「残りが」

「今飲ませる」

「北谷へ着く前になくなる」

「北谷へ行くと決めた?」

「決められる前に出た。だから一番近い北へ」

 決められたくなくて離れた者も、時間がなければ最も近い一案へ流される。

 自由は、選択肢の数だけでは成立しない。

 休める途中路がなければ、撤回できない最短路へ追い込まれる。

 ガンガは自分の水袋を幼獣へ渡す。

 年長者が睨む。

「王の施しは要らない」

「王じゃない」

「だから責任を取れない」

「責任を取るために王になる必要はない」

「言葉」

「水もある」

 幼獣が飲む。

 ガンガは鐘棍を地面へ置く。

 武器を持たず座る。

「戻れとは言わない」

「なら何を」

「次の安全な場所まで、一緒に行く」

「行き先は」

「仮の水場」

「どこ」

「昨日の脱皮溝。雨水が残ってる」

「最終地じゃない」

「だから行ける」

 決めないことと、動かないことは違う。

 最終目的地を保留したまま、死なない途中路へ移る。

 小群れはすぐ頷かない。

 ガンガも同調術で頷かせない。

「日が二指下がるまで待つ。来る者だけ」

「来ない者は」

「追わない。水袋を一つ置く」

「盗られる」

「誰かが飲む」

「お前の群れが困る」

「俺の群れって、どれだ」

 ガンガは七色の髪房に触れる。

「今は、同じ水を必要としてる者」

 美しい答えではない。

 次の干ばつで変わる。

 別の季節には別の群れになる。

 だから使える。